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短編小説:「おばあちゃん」

 西暦2077年
「お母さん。これ、食べる?取ろうか?」
 33歳になった息子が、甲斐甲斐しく料理を取り分けてくれています。
 私の膝の上には、3歳になる孫娘がフライドポテトを手に持って、しゃぶるように食べています。

 今日は、私の還暦祝いということで、息子がレストランを予約してくれて、息子家族と食事に来ています。
 息子夫婦には3人の子供がいます。
 上から、5歳の男の子、次が私の膝の上に座っている3歳の女の子、そして、0歳児の男の子。
 子供たちが小さい事もあって、レストランの個室を予約していたので、他のお客さんの目を気にせず、孫たちは伸び伸びとしています。
 さっきから、5歳の孫は落ち着きがなくウロウロして、個室の中を探検しています。
 息子のパートナーの百花(ももか)さんは、0歳児をあやしながら、食事をしています。
 なので、息子は、百花さんと私に食事を取り分ける係になってしまっているのです。

 小学校の教師である息子は、現在、育児休暇を取得中です。
 一昔前と違って、学校の先生の業務は、一人ひとりの負担が軽減され、日々の残業も殆ど無くなり、息子のように育児休暇も取得しやすくなりました。
 一人の教員が全てを抱えるのではなく、多くの教員や職員で業務を分担し、又、同じ業務をする人数を増やしたので、ゆとりが生まれたそうです。
 一昔前の『根性論』は捨て去られて、様々な角度からの効率化を図った結果なのだそうです。
 それは、教師に限らず、他の業種でも同じで、『適性適合検査』のおかげで、どの業界も効率的に業務を行えるようになった結果が表れているのだそうです。

 効率化が進むと、余暇が出来て、又、収入も余裕が出来て、それぞれの家庭にゆとりが生まれました。
 そして、息子夫婦のように、子供を二人以上育てる家族が増えていきました。
 又、この二人以上の子育てが可能になった背景には、その効率化によって生活に余裕が生まれた人が早期退職を選ぶケースが増えた事も影響しています。
 百花さんのご両親が、早期退職を選び、息子夫婦の子育てのサポートして下さっているので、育児休暇明けも安心して子育てが出来るのだそうです。
 私は、マミーズホームのマミー業務が生きがいなので、まだまだリタイヤは、しません!

 そして不思議なのは、子供の数が増えているのに対して、マミーズホームに入所する子供の数が減ってきたことです。
 昔の児童養護施設にあたるマミーズホームの入所者数が減った理由として、学校で『医学』が必修科目になったことがあげられます。
 『医学』の授業では、怪我をした時の対処の仕方や、主要な感染症や病気、障がいの知識、育児、介護、そして性教育も医学的な角度から学ぶため、性について面白半分な扱いをしなくなりました。又、その影響で、おかしなアダルトコンテンツが無くなっていきました。
 それに、様々な医学的知識を得る事で、他者に対する『偏見』が少なくなり、お互いの寛容性が高まったように思います。それは、思いやりや優しさへ繋がったのだと思います。
 又、『適性適合検査』によって、自分がどのような特性を持っているのかを理解する事が出来るようになった為、注意して自制する事が出来たのだと予想されます。

 子供が生まれた後の子育てに関しても、大きく変化しました。
 小学校入学前の子供の、幼稚園義務教育化です。
 3歳から幼稚園に入園し、授業を受けることになりました。それによって、子供が家庭だけでなく幼稚園で様々な知識を得られる事で、家庭によるマナーの差などが解消されました。
 又、短時間ではあるものの、子供が幼稚園で授業を受けている間に時間が出来るので、親はその間に家事などを集中して行ったり、息抜きが出来る時間が出来ました。
 それに、保育所やベビーシッター業の充実も、影響していると思います。
 『適性適合検査』によって、適している人材が業務に従事することで、個人でも集団でも業務がスムーズに行われるようになったのは、他の業種でも同じですが。保育所とベビーシッター業に適正を持っている、それまでの自分の仕事をリタイヤした高齢者が余暇の中で活躍する事が目立つようになりました。
 元看護師や元保育士などの資格を持つ人は、意外と多く存在しています。又、私のようなマミーズホーム(昔の児童養護施設のような施設)のマミー資格(子供をお世話する職種の資格)を持っている人や、元教師、元管理職の経験がある人達が、資格試験をパスして、老後に保育所やベビーシッター業で働くケースが増えました。又、その中には、企業役員が副業として勤めるケースもあります。それらの人達は、マミー業務に携わる中で、業務のヒントを得て、役員業務に活かすこともあるようです。
 これも『適性適合検査』によるIQや性格診断で、その人の適性が見極められる事が出来るおかげで、それまでの業務経験が異なっていても、適任者が業務に就くので安定性があります。
 更に、資格試験をパスする事、その後も定期的に講習会に参加する事が義務付けられ、資格更新の為のテストも行われます。『適性適合検査』も定期的に行われる為、老齢の為の変化にも対応が出来ているので、事故の発生率も低いのです。
 又、医学の発展の影響で高齢でも働ける体力を持つ人が多く、彼らは余暇での活動なので収入に拘りが無いため、サービス価格が抑えられて、多くの一般家庭が気軽に利用できるようになりました。
 それに、これらのサービスを利用する子供の親が、高齢の彼らに、育児や家庭、仕事の事等を相談することが出来て、子供だけでなく親自身の成長にもメリットがありました。

『適性適合検査』の効用は、社会全体に素晴らしい結果をもたらしました。
 そもそも、子供の時から『適性適合学習』が行われているため、早い段階で自分の特性を理解し、自分に向いている職種を把握して、その中で自分が無理なく実力を発揮出来る職業を見つけることが出来た為、進学についても、昔のように肩書欲しさに、「ただ何でもいいから大学に行く」という事がなくなりました。
 その為、ただ大学を出ただけ人材と企業側のミスマッチが殆どなくなりました。それによって、業務も効率的に行われるようになり、それぞれの企業が目覚ましく発展していきました。

 又、『適性適合学習』のレベルによっては、義務教育化された高等学校が、昔の大学の『一般教養』にあたる授業と、一部の学校では大学の学部のプレ授業(先行した予備授業)のような専門的な授業を行うようになりました。
 それは、幼稚園から義務教育化された為に、その影響で、『適性適合学習』のレベルによって、小中学校での授業で昔の高校レベルまで授業をこなすことが出来るようになった事の影響です。
 それらは、幼稚園からのそれぞれの授業が、効率的に行われるようになったことも理由です。
 又、その中で、飛び級制度の活用も素晴らしく、若い学者が世の中を牽引していく姿も目立ち始めました。
 有償である私立の学校は、それぞれに専門分野や文化教養の授業を特色として、富裕層の人気をあつめていました。
 又、公立の学校は、高校までは一律無償ではありますが、高校からはレベルの高い学校は入試のレベルが上がり、又、無償である公立の大学は優秀な学生しか入学が出来なくなりました。その為、公立の大学の授業レベルが飛躍的に高くなり、広く世界に貢献できる人材が育っていきました。又、公立の大学に対して、企業が出資をしたり、共同開発を行ったりして、企業が大学を育てる事に貢献しました。
 高度な分野以外の業種でも、『適性適合学習』と『適性適合検査』のおかげで、適任者が就業することになったので、どの業種も効率的な業務が行われるようになりました。それらの会社の中でも、管理職には管理職の適性を持つ者のみが就くことになったので、職場内の問題や事故が減少しました。
 又、能力と業務のミスマッチが減る事によって、どの業種でも人員確保が安定したのでした。それによって、やみくもに集められていた外国人労働者は数を減らし、今では、経営者として日本に出店したり、起業する人や、会社員として勤務する為の入国者の外国人のみとなりました。
 多くの人が、安定して仕事をすることが出来るようになり、その影響なのか、日本人や外国人など人種に限らず犯罪も減少していきました。
 しかしながら、完全には無くなりません。犯罪の原因は、色々とあるからです。

それから、農業の国営化が進みました。『米』、『麦』、『大豆』、『その他、豆類』、『玉ねぎ』、『じゃがいも』、『人参』、『きゃべつ』など、又、『蜜柑』や『林檎』等の一部の果物等、多く膳に上る食材の農業を国営で行う事になりました。
 そのおかげで、国の食料自給率も上がり、価格は下って安定しました。
 植物の研究者と収穫に喜びを感じられる肉体労働が向いている人達等がタッグを組んで、善い結果を出していきました。
 それとは別に、私営の農家では、高級食材や、珍しい種の生産が行われて、様々な野菜や果物などが家庭やレストランの食卓を彩りました。

 他の話では、成人の年齢が22歳になりました。
 今思えば、なぜ18歳を成人にしたのか?政治家が政治家の為に政治家に都合がいいように変更したとしか思えませんでしたが、当時の実際の18歳は反対意見を集める事も出来ず、実際の18歳ではない人たちが反対意見を集める意志がなかった社会状況では、政治家の思い通りに勝手に決定する事が出来たのだと思われました。
 結局、18歳で社会に出る人が少なくなり、「寧ろ、成人は22歳からでいいのではないか?」という声が社会から多く出ることになりました。

 又、役所や学校、銀行などが、土日も営業を行うようになった結果、土日休みという考え方が無くなりました。その為に、ショッピングモールや遊園地などでは、曜日による集客の偏りがなくなり、従業員も満遍なく(まんべんなく)勤務する事が求められ、従事する人たちの給料も平等に安定しました。

 又、土日休みという考え方が無くなったことによって、祝日が本来の意味のある日付に戻されました。正しく祝日のお祝いが行われるようになったのです。

 この半世紀で、日本の社会は大きく改善されました。
 それは、前の政権が行政に『やっている振り』だけをさせていたという事実を露呈させた結果でもありました。
 それまで、正しく行政が機能していなかったのです。
 正しく機能するだけで、社会はこんなにも善くなるのです。

 改善された行政は、多くの意見を市民から集めました。インターネットによって意見を募り、AIで分析して、それらを行政の活動にいかしました。
 又、政治家も、個人的に市民の声を集めて、改善点などを模索し始めました。SNSで対話をしたり、秘書を介して意見を聴いたり、安全面を考えて市民と直接面会する事はしませんでしたが、それは大きく社会を改善させることになりました。
 又、それらの市民の意見を取り入れる際にも『適性適合検査』の結果は有効でした。話の信憑性や、レベルによる思考傾向なども考慮する事で、よりよいデータの収集に繋がりました。立場によって、考え方の違いや偏見があるからです。
 それは、決して新しい事をしたのではなくて、政治家と市民が130年前の昔の関係性に戻っただけなのでした。
 本来の関係に戻ったのです。

 『失われた30年』などと経済状況を表現する言葉が昔にありましたけど、経済以外の部分で、当時の社会を動かす役割が正しく機能していなかったのだと思います。
 『している振り』ではなく、正しく仕事がされていれば、日本が傾く事は無かったと私は思うのです。

 どれもこれも、原因は、ミスマッチなのだと思います。

「おばあちゃん?」
と膝の上の孫の声で、私は我に返りました。
「お母さん?大丈夫?悩み事?僕、聴くけど。役に立つかは分からないけど」
と息子が言いました。
 私は、息子の心配されてしまった事に少し驚きましたが、
「大丈夫、ちょっと考えてただけよ」
と答えて、孫娘の頭を撫でて笑顔を見せました。

 そう。親もミスマッチがある。
 親子間でもミスマッチがあるけれど、それ以前に、親に向いている人、向かない人もいます。

 私は、夫を亡くして、経済的にも、私の精神的にも、息子を育てることが難しくて、息子をマミーズホームに入所させました。私自身が親に向いていたのかは私には分からないけれど、タイミング的に子育てとのミスマッチが発生して、それを回避するためにマミーズホームを活用しました。
 ミスマッチがあれば、そのミスマッチを回避する事が多くにとって最善なのだと私は思います。
 なんにしても、無理は『いけない』のよ。

 私はマミー業務を『生きがい』に思っています。
 息子を自分で育てる事は出来なかったけれど、沢山の子供達を育ててきました。
 今も『適性適合検査』の結果で、マミーは私の適職に含まれています。

 還暦を迎えて、私は、『名誉マミー職』になります。
 三交代制のシフトを外れて、フレックスタイム制の勤務になり、通常シフトで勤務しているマミー達のサポートをしながら、多くの子供たちに関わっていくことになります。
 子供達を育てるのと同時に、若いマミー達を育てることが私の仕事になるのです。

 マミーのマミーだから、仕事でも『おばあちゃん』になるのか・・・。
 それまで、『還暦祝い』を誕生日の特別版としか考えていなかったけど、急に年寄りになった気がした・・・。
 思わず、膝に座っている孫をギュッと抱きしめてしまって、孫がフライドポテトを食べるのを邪魔してしまった。

サポート頂けると大変ありがたい所存であります。