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短編小説:「マミー」

 西暦2122年 日本国
 
「嬉しかったです。子供たちが、みんな、私の生前葬に来てくれて」
 モニター画面の中で、丸くて大きくて皺の深い柔和な笑顔で老女が話している。
 モニター画面は、老女の丸くて大きくて皺の深い柔和な笑顔を大きく映している。
「私には、1000人の子供がいるんです。そのほとんどがね。来てくれて。小さな会場だったから、みんなが入りきらなくて。会場の外に長い列が出来ちゃってね。ふふふふふ」
 その老女は、喜びに溢れた幸せそうな笑顔で、少しの自慢を含んで話した後に笑った。
 モニター画面は、老女の顔から変わって、バーチャルスタジオの司会者の二人を映した。
 司会者は、昭和時代の中年の男性アナウンサーをモデルにしたアバターと、平成時代初期の女性のアイドルアナウンサーをモデルにしたアバターだ。
 昭和時代の恰幅の良い七三分けスタイルの男性のアバターが、見た目に似合う深い穏やかな声で言った。
「最高齢のマミーであるイシダ・ソレイユさんです。ソレイユさんは、現在105歳。最高齢のマミーです」
 それに合いの手を入れるように、平成時代の肩幅を強調した派手な色のスーツの女性のアバターが言った。
「インタビューの中でソレイユさんが仰っていましたが、なんと、ソレイユさんに育てられた方が1000人もいらっしゃるんですよね。それに今も現役のマミーでいらっしゃいますので、これからも人数が増えていきますね」
 僕は、モニターのスイッチを切った。
 真っ暗になった画面を見つめながら考えた。

 マミー制度。
 2033年に始まった制度だ。
 『マミー』とは、子供を育てる仕事の名称だ。
 充分な収入のある家庭で上質なナニー(乳母)や家庭教師などを雇える家庭は、それぞれが自らで依頼し、家庭の中で子に充分な教育を与えていた。しかしながら、当時は、そうではない家庭の方が多数であった。その為に、子供の教育に大きな差がうまれていた。
 その差を埋めるために、マミー制度が施行された。
 富裕層以外で、充分な子育て環境を確保できない多くの家庭が、子供を行政施設に預けて、そこでマミーが子育てを担当するのだ。
 『マミーズホーム』と名付けられた施設には、沢山の子供たちが集められていた。
 マミーは、一度に二人の子供の相手をする。乳児から大学院生まで、同時に相手をするのは二人までだ。
 しかしながら、一定の時間ごとにローテーションで相手をする子供が代わる。同じ子供に付きっ切りなのではない。なので、子供も複数人のマミーの中から相性の良いマミーを見つけることが出来た。そして、その相性の良いマミーにだけ秘密の相談をすることも出来た。
 又、子供同士も、時間ごとに一緒に居る子供が代わるので、大人とも子供とも、色々な人と関わることになり、社会性を身に付けることが出来た。

 子供たちは、ずっとマミーズホームにいるわけではない。
 平日の昼間は学校に行き、マミーから離れて多くの子供たちと子供同士のコミュニケーションをとることが出来る。
 又、休日には、マミーとショッピングモールや動物園、遊園地などに出かけて、色々な体験をすることが出来る。

 マミー制度も始めた当初は、色々と上手くいかない事も多かった。
 子供を預ける事を親が渋ったからだ。
 しかしながら、マミー制度を活用した子供達の多くが生き生きとして育っている様子が目立ち始めると、中流クラスの家庭が次々にマミー制度を活用するようになった。その流れに乗って貧困層の家庭が活用するようになった。

 何故、親が子供を預ける事を渋ったのか。
 それは、マミー制度が、子供が成人した後も親子の同居が認められない制度だからだ。
 親が子供に依存して、子供の生活を脅かすことを防止する為に、親が子供に接触しないルールが設けられている。
 子供が大学あるいは専門学校を卒業するまでは、親子間の手紙やメールのやり取りや、面会は禁止されており、又、マミーズホームの退所後も親子の同居を認めないことになっている。
 しかしながら、近所に住むことは可能なので、双方が一緒に食事をしたり、旅行に行くことは認められている。だけれども、親が子供に金品を要求する事は禁止されていた。子供の意思によるプレゼントの場合も特に現金や高額な現物に関しては細かく金額が定められている。
 又、介護や看病は、専門の業者に依頼することで、家族だからといって負担する事がない仕組みも同時に確立していった。
 とにかく、子供の人生を守る仕組みの制度である。
 なので、休日の外出の際に実際の親との接触を防止するために、マミー制度の子供達が外出する日時が決められており、その時には、それ以外の人達はそれらの施設を利用できないように制限が設けられている。又、その制限のおかげで、子供たちは気兼ねすることなく伸び伸びと過ごすことが出来ている。

 又、医学的な心身の不自由に対しても、それぞれの子供に適した設備が整えられており、親の都合ではなく、子供の都合に適した環境を提供している。

 マミー制度が安定すると、子供の数がジワジワと増えていった。
 親の子育ての負担が格段に減少したからだった。
 そして、マミー制度で育った子供たちが成人する頃には、社会の道徳観が安定し、その子供たちが安定した生活を築き上げて、子供を授かっていった。そして、彼らもマミー制度を上手く活用していった。
 社会が安定したのはマミー制度のおかげであり、家庭ごとに異なっていた『個人』の倫理観や道徳観の差が縮まったことが大きな要因だった。
 多くの国民が同じ道徳観を持つ事で、コミュニケーションがスムーズに取れるようになった。

 それに、マミー制度が始まって5年くらいが経過した頃になると、マミーの中で、子供たちの得意分野を見抜く能力に長けた者が現れ始め、子供の就職にも一役買った。
 昔は『学歴社会』などといって、誰でも彼でも大学に入学させる時代があった。国から大学へ補助金が支払われることもあり、金目当てで大学を創設する輩も現れた。大学への補助金として多額の予算が使われた為に、国の財政も悪化させていた。
 又、一部の大学では、中学レベルの勉強も出来ない学生が存在し、大学生としては不充分なレベルであるにも拘わらず単位を取らせて卒業させていた。
 本来は土木業に適した子供を、勉強に興味が無いにも拘わらず大学に押し込み、『大卒』の肩書をつけた為に、いざ就職活動をする際に、その学部卒なら適職はデスクワークであるという風潮に乗せてしまい、向いていないデスクワークに就いて、しかしながらデスクワークに不向きであった為に業務に支障をきたし、仕事が出来ない為に卑屈になり、パワーハラスメント(当時はそれらが犯罪行為であるにも拘わらず犯罪として扱っていなかった)を行った者が多くいて、社会全体を悪質的なものにしていた。
 そして、彼らが不向きなデスクワークに就いたために建築・土木業界の人材が不足した。
 機械などで補える部分もあったが、人力が必要な場面が多い仕事であり、それを補うために外国人労働者を多く雇うようになったが、言葉や文化の違いで上手くいかない事も多くあった。
 そして、日本の一般的な社会常識を悪用した外国人による犯罪が増えた。

 ただ闇雲に『大卒』の肩書をもつ人材を増やしただけで、実際には肩書と能力が伴っていない人材を増やしただけであった。
 その為に、職場環境の中でも、大卒の肩書はあるものの、高卒の人よりも能力の低い人材もいて、能力と給料の逆転現象が発生しているケースもあった。
 又、大卒の肩書を持っているが実際には能力の無い者を管理職にする会社もあり、そういった会社はハラスメント行為が頻発し、又、管理能力が無いために業績を落とし、倒産するケースが多く発生した。
 それは国の省庁等にも起こり、行政も不安定な状態に陥った。
 しかしながら、マミー制度の影響で、それぞれが自らの能力を理解する事によって、適材適所の学校に進学し、自分の得意分野に就職をすることが出来るようになると、社会のバランスが良くなり、国力も次第に高まっていった。
 又、マミー制度の影響で、日本国憲法の『職業選択の自由』の『公共の福祉』の部分が正しく機能する事になった。
 憲法の『職業選択の自由』は、「誰もが好きな事を仕事にする事が出来る」という意味ではない。
 例えば、戦時中の軍国主義などの中で、その権力者が一方的に国民の仕事を限定して強制することを禁じていると解釈するのが正しい。よって、第三者によって職業を強制されないので、自らで職を選ぶ事になったのだ。
 即ち、「好きな事を選んでいい」のではなく、「第三者が強制する事を禁じる」というものなのだ。
 又、『公共の福祉』とは、「社会全体の共通の利益」であり、社会的に問題(不利益)が発生する場合は、個人の職業選択の自由に制限をかけられるものと読み解くのが正解である。
 例えば、悪質的に道路交通法の違反を繰り返す者を運送業などのドライバー業務に従事させない事は、職業選択の自由を妨げるものではなく、公共の福祉を正しく実行している事になる。
 マミー制度のおかげで、衛生観念に乏しい者が、他者が口にする食べ物を扱う業務に従事しないようになった。又、手先が不器用な者が理容師業務に従事しないようになった。マミーが子供たちの人格を見抜いて彼らの得意分野を見つけ、それらの得意分野の中で彼らが興味を持てる仕事を一緒に探すことが出来た。
 希望と能力のミスマッチが大きく減少したのだ。
 その為に、業務上の事故が昔に比べて減少することになった。

 マミー制度が始まるまでの日本国は、少子化問題と、それに相反するように幼児虐待、子供の貧困などと名付けられた社会の歪が社会問題とされていた。
 それらの問題を放置していた長期政権が終わり、新たな政党が政権を持ち、そこからジリジリと地道な改善が行われた。
 その中でも、『子供』に関する事については、一進一退を繰り返し、マミー制度に至るまでに長期間を要した。
 特に当時は、離婚により母親が子供を引き取り、シングルマザーとなって一人で子育てをする家庭が増えていた。近所に母親の親が生活していても同居はせず、保育園や学童保育などを利用して生活をし、朝から晩まで、子育てと仕事に追われ、再婚の機会もなく、子供に兄弟姉妹を作る機会も失っていた。
 又、同性婚を問題視し、憲法の中の「両性の」という言葉を用いて「子供が作れるのは男女だからだ」と言って、同性婚を反対する声をあげる者もいたが、男女のペアだからといって皆が子供を作れるとは限らない事を彼らが無視していることに誰もが口を閉ざしていた。
 
 少子化の原因は、日本国の中でも一部の人には分かっていたが、それを正面から世間に公言する事がはばかられた。
 それは、知能レベルの低い人間が原因だったからだ。そして、その知能レベルの低い人間の割合が非常に多いからだった。
 又、その知能レベルの低い人間は、多分に漏れず国会議員にも多数いたからだ。彼らは、自分が否定されることを嫌う。そして彼らが多数派であるがために、真実から目を背けられ、何も進歩しないまま、多数派である彼らが気持ちの良い政策ばかりを行い、社会が進歩どころか後退していったのだった。
 その後退した社会の中で、多くの知能レベルの低い人間たちが社会を悪質化していった。
 そんな社会状況の中で、個人的な経済状況の悪化や、悪質な社会では子育ては出来ないと考えた多くの人達が結婚も子育てもしないことを選択した。

 同性婚の問題の中で、男女のペアでも子供を作れない夫婦があることを無視していた者。彼らは『無視』していたのではない、そこに考えが及ばなかったのだ。即ち、思考の視野が狭い人格の持ち主だったのだ。
 知能レベルの低い人間は、思考の視野が狭い。目の前の小さな問題だけを解決して満足するが、実際は小さな問題だけが解決しても、その問題を繰り返すだけであり、イタチごっこが永遠に継続していくのだ。しかしながら、知能レベルの低い人間は、その目の前の小さな問題を解決したことを大手柄のようにひけらかし、自らを誇示して満足し、周囲の人を威圧することに快感を覚えているのだ。
 反対に、思考の視野が広い人からすると、無駄な行為であるにも拘わらず。

 マミー制度が軌道に乗る頃には、『同性婚』は問題視されず、『婚姻制度』が問題視されるようになった。
 離婚をしてシングルマザーになる人が多くいたが、その場合には『養育費』を父親側が定期的に支払い、子供の生活や進学費用を補うやり方が一般的であった。
 しかしながら、その中で、養育費の支払いを止める男性が多く現れるようになった。
 動物としての人間の雌雄の負担として、女性側の方が命がけで出産することを考えると、男性側の身体的な負担は軽いものである。又、昔の日本国は、男尊女卑という言葉があり、ジェンダーバイアスが強くある傾向があった。
 育児や家事は女性の仕事であり、男性は会社で仕事をするという考えを持つ男性が多くいた時代があった。しかしながら、実際は女性も会社で働いているケースが多くあり、その場合に、女性は会社の仕事を男性と同じくしているにも拘わらず、会社の仕事以外に育児や家事をするという過酷な状況に置かれているケースがあった。
 又、離婚後に養育費を払わずに、妻子と関係を断ち切った男性が、別の女性と再婚し子供をもうけるケースもあり、その中には再び離婚をして、子供を女性側に引き取らせて、養育費も払わずに関係を断ち切る事を繰り返す男性もいた。
 マミー制度が安定すると、子育てはマミーズホームに任せられる為、家族という概念が薄れていった。
 そんな中で自由恋愛を楽しむ男女が多く現れた。
 彼らは婚姻に拘りを持たずに、子供が出来るとマミーズホームを利用して子供を行政に任せて、再び恋愛を楽しみ、子供を作り、マミーズホームを利用する事を繰り返した。

 又、マミーズホームを退所した子供たちは、自らで自立している為に、親の財産に頼る事は無かった。その為、親の方も子供に財産を残す事を考えずに生活をすることが出来た。
 そういった状況から、『家族』の概念が変化していった。
 その結果、『婚姻制度』が必要なくなり、『家族』単位ではなく『個人』の人生をそれぞれが生きることが出来るようになった。
 そして、家族の中で『父親や母親が偉い』という概念が消滅したのだった。
 その為、その影響で『大人は偉い』という概念も無くなり、会社などでは、年長者だからといって偉ぶる事も無くなり、年齢に関係なく、それぞれが『個人』として尊重される風土が出来た。
 又、その影響から、『役職』に対する考え方も変化して、「管理職だから偉い」という考えも消滅した。管理職という業務を担当する人物であり、管理職業務が出来なければ、他の業務を担当するという当たり前の考えが定着した。
 それもあって、昔あったパワーハラスメントという概念も消滅した。

 そもそも、パワーハラスメントといわれる行為は、『脅し』、『詐欺』、『暴力』、『傷害』などの刑事事件であるにも拘わらず、会社内で行われるハラスメント行為として、警察が対応しなかったことは、今現在から考えるとおかしな状況である。
 とは言え、当時の警察官は公務員試験に受かり、警察学校を卒業しただけの者が就業していたので、適性が無い者も少なからず含まれていて、警察官でありながら暴力事件や性的な事件などで逮捕される者も散見された。
 しかも、犯罪を行い逮捕されたにも拘わらず、その後も警察官として勤務していて、犯罪行為を繰り返して逮捕されるケースもあった。
 異常な状況だったと言える。

 マミー制度と併せて社会的に『適性検査』が定期的に国民全員に行われるようになった。
 それぞれの『適性』や『知能レベル』にあわせた教育や就業が出来るようになったために、お互いが尊重しあえる風潮が生まれた。
 昔は、『発達障害』や『知能レベル』の検査を一部の人しか行っていなかった。
 その為に、個人の状態が分からないまま放置されており、他人に対して威嚇をする人がいても、『面倒くさい人』として扱われて誰もが関りを持つ事を拒み、他人が彼らに攻撃されているのを見て見ぬふりをして、攻撃された人が心身ともにダメージを負うということが多くあった。
 しかしながら、『適性検査』が定期的に行われる事によって、その人の傾向が分かり易く分類されることになり、自らや他者の傾向と対策が整理されて、お互いがお互いの傾向を理解して対処できるようになった。それによって個人間の関係性が平和的になり、『人間関係』で苦しむ人が昔に比べると少なくなったそうだ。
 それもまた『個人』を尊重した社会になった要因でもある。

 『個人』を尊重した社会は、孤独な社会ではない。
 それぞれが、個人同士で気遣うので、「集団行動をよし」としていた時代のように、個人がその集団から弾かれたことによって孤独になる事がない。
 「仲間だから助ける」という概念が無いため、誰か『個人』が困っていれば、『他の個人』が気にかけて助けることが出来た。
 それはその二人の『個人』だけの関係ではなく、『困っている個人』に対して、『多くの個人』が手を差し伸べることでもある。

 集団は、時に悪い方に多くの人を巻き込む。
 しかしながら、『個人』が個人意識をしっかりと持って集まる場合は、善い力が発揮される傾向にある。
 マミー制度や教育改革は、洗脳ではなく、『良質な個人』を作り、知能レベルを尊重した話し合いが出来るようになった為に、良質な意見交換が行われ、広く社会の行政サービスを改善させていったそうだ。

 動物としての人間としては、どうなのだろうか?
 野生であれば、攻撃力が強い者が子孫を多く残す傾向にある。
 このマミー制度や行政改革は、野性的な攻撃力については注視していない。寧ろ、自然界では淘汰されてしまうくらいに体の弱い人たちが、医療や行政サービスによって守られている。
 僕たちは『人』だ。
 人間社会を構築している『社会的動物』だ。
 しかも、道路や街など人工物を創り出して、自然界とは異なる生活様式を確立している。
 それは、人にとって歩きやすく舗装されており、建物の上層階に昇るのにエレベーターが設置されていたりする。
 野生であれば、道を舗装する事もなく、高いところに昇るのに機械仕掛けの昇降機を設置したりしない。
 僕たちは、様々な人が、出来るだけ生活がし易い社会を創り出してきた。
 もはや、野生ではないのだ。

 マミー制度は、明かに社会的動物の仕組みだ。
 『人間』として、社会的動物として、より良い社会を構築する為の仕組みの一つなのだ。

 昔は、自分の遺伝子を持たない子供に暴力行為をする親が存在していた。恐らく、現代だって、マミー制度で規制されている為に、実の親子の関りが禁止されているせいで暴力行為を行う隙がないだけで、その規制が無ければ、そういった痛ましい事件が発生する可能性はあるだろう。
 しかしながら、マミー制度のおかげで、社会的に子供は、社会の大人が育てる存在であると皆が認識していて、実際に守られている。僕自身も守られてきたと実感している。

 これからも、様々な意見が出てきて、僕たちは議論し、新しい社会的な仕組みを作っていくだろう。
 その時に、皆が平和的で幸せな社会を保ち続けることが出来るだろうか?

 僕は、窓の外の景色に視線を移した。
 街の建物のずっと向こうの方に、木々が風に揺れているのが見えた。
 鳥が二羽、仲良く並んで飛んで、僕の視界を横切っていった。


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