【大きな独り言2025】10コ目の大きな独り言|『電車のリュック問題はダレトクなのか?』

 散歩をしている時に、近所の公立の中学生の下校と重なり、沢山の制服姿の中学生を見かけました。
 そして、その中で、女子生徒がズボンを履いている姿がありました。
 それまで、近所で制服のズボンを履いた女子生徒を見たことがなかったので、ついに近所の中学校も女子のズボンを取り入れた事を喜ばしく思いました。

 雪の日も、台風の日も、強風の日も・・・。スカートの無防備なことよ。
 私が高校生の時は、制服のスカートの下にジャージのズボンを履くことが流行っていましたが、それをすると教師に怒られたりしていました。
 今の時代からしたら、理不尽だと思います。

 そして、思ったのです。
 そもそも、女子がスカートを履かされている理由って何なんだ?

 日本人は、着物の国でしたので、スカートを履くようになった影響といえば、明治時代の西洋文化の影響だと思います。
 海外のスカートの文化を調べるのは、面倒なので、これ以上スカートの歴史は紐解きません。

 昨今、幼い子供に対する性犯罪のニュースを目にすることがあります。
 それが、性犯罪なのかを判断をすることは、子供には難しいと思います。
 被害に遭った子供が疑問に思って親に報告する事で、警察に被害届が出されるケースが多いのではないかと思うのです。
 そうだとすると、実際は性犯罪なのに、子供が判断出来ずに犯罪として報告されることが無く、被害届が出されていないケースが沢山あるのではないかと思うのです。

 自分が子供の時のことを思い出すと、学校などで「不審な人について行ってはいけません」と注意をされることはありましたが、基本的に、大人は『大人』であり、『大人の対応をしてくれる』と考えていたと思います。
 しかしながら、今振り返れば、中学や高校の時の男性教師など、怪しい言動もあったなと考えられます。けれども、子供だった当時は、少々の違和感があっても、『先生だから、そういうことはない』と考えていたところもあります。
 今思うと、教師だからといって、そういうことはないとは言えないという事が分かるのですが。

 そもそも、エロコンテンツに触れていない子供に、エロコンテンツの共通言語を隠語として言っても分からないので、子供や女性が、そういった被害に気が付かないケースは多くあるのだと思います。
 実際に、以前の職場で、そういった類の隠語を業務の会話に忍ばせて、目で笑っている男性の同僚もいました。私は、『コイツ、アホなんだな』と思っていました。しかも、私がそう思っていることにも気が付いていない様子だったので、ソウトウアホだと思います。
 職場などで普通に業務の話をしているのに、無意味にニヤニヤしている奴がいたら、そういった器の小さなセクハラを行っている場合も考えられるので、ご注意を。その職場がマトモな職場であった場合は、信頼できる男性に「さっき、あの人がニヤニヤしていたのは何故ですか?私、変なことを言っていましたか?それとも変なことを言われていたんですか?」などと、それとなく違和感を伝えるといいかもしれません。マトモな会社なら、それがセクハラだった場合に、何かしらの処分が行われると思います。

 それにしても、平成時代の初期の頃は、学校の制服や体操服、水着など、今思えば、女子生徒にとって不可解なルールがあったようにも思うのです。
 (地域によって異なると思いますが)
 スクール水着の胸のパッドがついてなかったり(ヌーブラの無い時代であり、水着の構造にパッドを入れるポケットも無し)、制服の夏服のトップスが白い生地だったり。体操服も白の薄い生地のTシャツだったりしたわけで。
 今思うと、教育委員会で、男性がエロ目的にデザインを決定していたのでは?とも思えてくるのです。

 そんな事を考えていたら、最近の話題の『電車の中でリュックを前に抱えずに、ハンドバッグのように手で持つルール』を思い出しました。

 そもそも、『電車の中のリュック問題』は、リュックサックを背負ったまま電車に乗った場合に、それが背後の人との距離感が考えられない人の場合に、他者にぶつかったり、他者を圧迫したりして迷惑になる事から、自らのリュックサックが視界に入り、周囲の人への影響が考えられるようにと、背中側ではなく、お腹側に鞄がくるように持ちましょうという提案だったと考えられます。
 私も電車通勤をしていた頃に、リュックサックを愛用していました。その際に、電車内ではお腹側に鞄が来るように肩に掛けて持っていました。

 そもそも、私がリュックサックを愛用していたのは、お弁当や水筒を持参して出勤していた為、荷物が重かったからです。荷物が軽ければ、トートバッグなど、ショルダーバッグを利用していたと思います。
 重いリュックを片手で持つこと自体、理不尽な行為のように思います。そうなってくると、リュックではなくタイヤのついた鞄で出勤しなくてはいけないかもしれません。昨今の海外からの旅行者の旅行鞄の方が、足の置き場を制限されて、混雑時にシンドイと思う事があるのですが。

 また、『リュックサックをお腹側に抱える』持ち方には、利点がありました。
 混在している電車内で、前に立っている人の顔と自分の顔が近づかないのです。空間を確保することが出来ました。どんな人とも分からない他人の息がかかるのとか、嫌じゃないですか。現代では感染症に対してもシビアに考えますし。
 又、体も、鞄がお腹側にあることで、お腹同士が接触する事がありません。夏場など、薄着の季節は最悪ですよね。
 足元も、スペースが出来る為、隣人と足が密着して、足を踏ん張るスペースが無いということを回避する事も出来ます。混雑していると、足の置き場がなく、体が斜めになったりして、立っている事が非常に困難な事もあります。
 即ち、他人とのパーソナルスペースを多少確保することが出来るのです。

 さて、この利点から考えると、『リュックサックをハンドバッグのように手で持つ』ということは、混雑時に、前後の人と体が接触するということです。

 おかしくないですか?

 そもそも、鉄道会社が、混雑しないように工夫をすべきなのではないでしょうか?
 又、その鉄道会社や、社員の通勤に対して、企業側が配慮する工夫も必要なのではないでしょうか?
 電車が混雑していなければ、リュックサックは邪魔ではないのですから。
 しかしながら、今回の私の思考のゴールは、そこではないのです。

 おかしくないですか?

 リュックサックを手に持つということは、物理的にスペースには変わりないのです。
 想像してください。
 太もも付近に大きなリュックサックを持った人が乗車した電車を。
 太ももの脇には重い鞄があるので、足を踏ん張る事が出来ず、体をまっすぐにして立つことが難しく、背中が曲がってしまいます。無理のある変な体勢で、混雑する電車に乗っているのです。そして、片手には重い鞄を持っていて、反対の手は(運が良ければ)つり革を掴むので、両手がふさがれます。

 さて、痴漢なら、どうする?

 この状況って、痴漢的には喜ばしい状況ですよね?

 リュックサックをお腹側に抱えていれば、両手が空きます。片手はつり革につかまるので、ふさがれますが、片手は空きます。
 又、前に立っている人との距離は確保できます。
 場合によって、背後の人が不審な動きをしていたら、出来るだけ体をずらして、横向きになったり、出来たら回転して鞄を間に挟むことで距離を確保することが出来るのです。

 過去に、混雑している電車に乗っている時に、見たのですが。
 ドア付近に立っている若い女性のすぐ後ろに目をつむった中年男性が立っていて、電車内が非常に混雑していたので、男性は女性に密着していて、さらに男性の顔が女性の首の後ろ辺りにありました。
 そして、ある駅で沢山の人が降りました。
 電車は、混雑が緩和され、立っている人がまばらになりました。
 しかし、ドアの脇に立っている女性の後ろには、中年男性がぴったりと接触したままでした。女性は窓の外を見ていたので、電車内が空いたことに気が付いていません。そして、男性もそのまま目をつむって立っていました。
 それから2分も無かったと思いますが、男性が目を開けて、車内の様子に気が付いて、すっと女性から離れました。
 その様子からも、女性と男性は他人同士である事が分かりました。

 さて、あの時の男性は、痴漢だったのか、不可抗力だったのか?
 不可抗力だったとしても、男性の様子は嫌そうではなく、寧ろ楽しんでいるように見えました。

 全ての人が、性的な事を一番に快楽として考えて生きているとは私は思いません。
 しかしながら、同じようなレベルの知性の持ち主の人達が複数人集まると、彼らだけの常識を、全ての人の常識として捉える傾向にあるように思います。
 例えば、子供が言い訳に使う「皆が言っている」「皆そうだ」という論理的ではない説明です。
 又、IQの人数の分布を見ると、優れたIQの人よりも、それ以下の値の人達の方が遥かに多いのです。即ち、優れた常識は、多数決では負けてしまうのです。

 『リュックサックを手に持つ事を提案した人』は、何を思って、その考えに至ったのか?
 そして、その考えに賛同した人たちは、何を思っていたのか?

 その人達の性愛の対象が誰であろうと関係なく、少なからず、女性にとっては、気色の悪い提案なのではないかと、私や女性である友人は考えています。

 仮に、一部の男性の性的な快楽を満たす為に、電車内のリュックサックを手に持つことを推奨していたとしたら。
 私には、それが、非常に卑劣な人格であると考えらます。
 会社の同僚にもいましたが、自分が楽(得)をしようとして、他者を平気で騙す輩と同類のように思われるのです。
 又、男性に対して媚びへつらい、自分の立場を確保しようとしているようにも思えます。即ち、そういった方法しか自分を認めてもらう術がない人物なのかと想像します。又、男尊女卑的な人物のように思います。

 或いは、そういった性的な考え方が無く、リュックサックが邪魔であると考えただけだった場合は、想像力が乏しいのかと思います。
 そもそも個人の手荷物、しかも、リュックサックを使用している人は少数派だと思います。その少数に対してのみ、提言をしたところで、そこまで混雑している電車の密度は変わりません。
 又、足元に大きな鞄が置かれていると、電車が大きく揺れた時に、足を一歩踏み出すスペースが無く、上体が大きく揺られて、バランスを崩して転ぶ可能性が高くなります。

 やはり、そう考えると、リュックサックを手に持つことや足元に置く事を推奨していることは、性的快楽の為のように思えるのですが・・・。

 それよりも、私が満員電車で気になるのは、
『明かに、寄りかかれる人を確認している人』です。

 これは、男女に関係なく存在します。
 彼らは、スマホを操作する為に、つり革を掴みません。そこで、明かに周囲を観察して、寄りかかれる人を確認すると、その人に背中を押し付けて、寄りかかっているのです。
 私は、そういった人に気が付くと、寄りかかられないように位置を移動します。又、私は意地悪なので、電車が大きく揺れた時に、すっと彼らを避けるのですが。
 そういった人を見つけると、『この人は、仕事でも人に寄りかかっている人なのだろうな』と思います。

 リュックサックについてポスターで注意を促すのと同じように、『自力で立て‼』とポスターで警告して欲しいものだと思っています。

 ポスターにしたとしても、彼らは他人に寄りかかる事を何とも思わないと思いますが、周囲の人が「これが、あのポスターに書かれている、寄りかかる人か」と冷ややかな視線を送るでしょう。人によっては、友人同士で「ねえ、あの人、寄りかかってるよね?」とか口に出すでしょう。それによって、彼らは、恥ずかしい人として見られて、嫌な気持ちにはなると思います。
 又、そういう気持ちにならない人だった場合は、そういう知能値の人なのだと考えられます。「その知能値なら、仕方ないか」として、あたたかく見守ることになるのだと思います。

 しかしながら、混雑している電車の中には、様々な人が居て、その中には、席に座れずに立っている脚を怪我している人や、腰痛の人だっていないとは言えません。
 せめて、自分の体重は、自分で支えろ!と思うのです。

 リュックサックを手に持つ事を提言している人は、本当に電車の中の問題を理解しているのだろうか?

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