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【あとがき】:短編小説『マミー』を書いて

 おおごえ。です。
 今回、短編小説群を書いてみました。
 お読みいただきました皆様、ありがとうございました。

 そして、『スキ』をくださった皆様、心から感謝申し上げます。嬉しかったです。
 投稿した後に、『スキ』のお知らせが来るのが、とても嬉しくて、「こんなに嬉しいものなのか!」と思いました。
 本当に、ありがとうございます。

 ぼんやりと、自分の思う理想の社会を自分が実際に実現する事は出来ないので、理想の社会の一部分ではありますが、空想の中で作ってみたいと思い、なんとなく『マミー』を書きました。

 『note』には発表していませんが、前に小説を書いた経験がありましたが、短編小説を書くのは初めてでしたし、又、誰もが読める状況で広く公に発表するのも初めてでした。

 『短編小説:「マミー」』から始まり『短編小説:「今どきの若いヤツ」』まで、このシリーズに名前を付けるなら『太陽の話』ですかね?
 全20話を書きました。
 サムネイル画面を、同じ『ハート柄の画面』に統一しましたので、それを目印にしていただけると分かるかと思います。

 初めは、『マミー』だけのつもりでした。
 これは自分でも不思議な感覚だったのですが、次々にアイデアが浮かんできて、それをどんどん書いていったという状態でした。

 小説の場合は、『書きたい事』、『登場人物』、『細かなエピソード』、『エピソードの順番』なんかを考えてから私は書くのですが。
 今回の短編小説に関しては、その時に降ってきたアイデアを書いていくという感じで、書き始めてから『登場人物』が生まれて、それと同時に『書きたい事』が浮かんできて、『細かなエピソード』が生まれて、それが自然と『エピソードの順番』を作り上げていった感じになりました。無茶苦茶です。
 読む時の『エピソードの順番』に関しては、全体的な時間軸はあるものの、一応、それぞれのエピソードが短編小説なので、順番は気にしなくてもいいのですが。

 何かに動かされている感覚でした。
 本当に不思議な感覚でしたが、楽しくもありました。
 もう、「操られるなら、操られてみよう」と思いながら書きました。

 パソコンの前に座る前には、『詳細なエピソード』が何一つない状態だったのに、キーボードに触ると、『書きたい事』が浮かんできて、『登場人物』が頭の中で『詳細なエピソード』を作っていく。
 それが自然と『エピソードの順番』を埋めていきました。
 それが、(少しずれる事はありましたが)だいたい24時間以内に1話が完成していって。何もかも生まれたての状態の作品を投稿していました。投稿する時には、搾りたてって感じでした。

 ちょっと、実験的でもあったのですが。
 小説の場合は、登場人物や場所などについて、『どんな様子か』を説明するのですが、今回は、あえて省きました。
 それが顕著なのは、『短編小説:「全て人間が猫の為に生きれば皆が幸福なのかもしれない」の猫のダイだと思います。『茶虎の若い猫』は、柄を説明していますが、肝心のダイについては、体が大きいという事だけを明らかにして、その他は説明しませんでした。
 それは、読み手の想像に任せてみたいと思ったからです。
 読み手の想像する猫というのは、恐らく、読み手の方の身近な存在の猫だったりするのではないかなと思います。一緒に生活している猫ちゃんだったり、近所の野良ちゃんだったり、SNSやYouTubeで見かける猫ちゃんだったり。
 読み手の想像力によって、親近感を得ていただきたいと考えました。
 他で言えば、『短編小説:「アリガトウ・サヨナラ」』の意地悪そうな顔の浅田のお母さんでしょうか。読み手が、身の回りに居る『意地悪な人の顔』を想像してくれたらいいなと考えました。

 私は、文学よりも絵画などの方が馴染みのある人間なので、絵画に例えて説明していきますが。
 何年も前に、川端康成の『雪国』を読んだことがありました。
 あくまでも私の印象ですが、ストーリーよりも、風景の印象が強く残っています。
 『静物画』のような緻密なものではありませんが、『印象派』の風景画のようなイメージが強く残っています。
 それに比べて、今回の私の短編小説は、『現代アート』の感覚で書きました。
 例えば、キャンバス全体に様々な『赤』色の絵具を塗りたくって、『無題』とタイトルを付けた作品を目の前にした時に、「何を表現したかったのだろうか?」、「どんな精神状態だったのだろうか?」、「『赤』にも色々な種類があって、自分の中の色々な部分を表現したかったのだろうか?」とか、鑑賞する側が色々と感じ取ろうとしたり、想像したりすると思います。
 そんな風に、私が文字で表現していない部分を、読み手側に委ねてみました。

 ちなみに言うと、サムネイル画面もアート的に表現してみました。
 背景の小さなハートは、マミーズホームの子供たちで、中心の大きなハートは、『太陽』を表現しています。
 ありがちなデザインではありますが、一応、自作ですよ。

 又、大きく見れば、今回私が書いたこれらの作品群も一つに纏めると『小説』と言えるのかもしれませんが、結果的にも『小説』とはせずに、『短編小説』として書き続けたのは、それが『他人(ひと)と関わる事』の表現になるのかなと考えたからです。
 学校の同級生や、職場の同僚など、多くの人達と関わって私たちは生きていますが、彼らとの関りは、お互いの人生の中での『一時(ひととき)』です。
 家族にしても、常に一緒に居るわけではありませんし、いずれ離れて暮らしたりして、別れの時が来ます。
 それぞれの出会いは、一つの人生を細切れにした時の、その一部分なのだと思います。
 特に、職場の同僚で考えると、一緒に働いていた時期だけの関係です。
その人の人生の前後は、私に関係が無く、そして詮索するのは失礼な事だと私は考えているので、その人の人生全てに興味を持たないのです。『その時だけ』なのです。
 その『その時だけ』が、『短編小説』みたいだなと考えました。
 まあ、完全に後付けで感じたことなのですが・・・。

 今回は、よく分からない何かに操られて書きましたが。
 私自身が、書きたい事は、まだまだ形には出来ない状態で、いずれ形にしていきます。
 今回は、それに向けての修行みたいな経験でした。
 本当に、読んで頂けた皆さんには、感謝しています。ありがとうございました。

 今後は、修行として書いたり、何かに操られて書くかもしれませんし、一番書きたいことを形に出来る時がくるかもしれません。
 その時には、また、読んでいただけると嬉しいです。
 そして、色々と考えたり、想像して頂けると嬉しいです。

 そして、『スキ』をくださった皆さんには、心から深く感謝しています。
ありがとうございました。嬉しかったです。

 この作品たちを、見つけて、読んで下さって、本当に、ありがとうございます。

おおごえ。

サポート頂けると大変ありがたい所存であります。