1分でわかる「パレ・ロワイヤル」とは!【RE-CEREBRO】1分で脳を再構成する-EP0096
パレ・ロワイヤルの変遷と役割
パレ・ロワイヤルは、17世紀にリシュリュー枢機卿によって建設された宮殿ですが、18世紀には様々な変遷を遂げ、パリの社会、文化、政治に大きな影響を与えました。
18世紀初頭、パレ・ロワイヤルはオルレアン公フィリップ2世の邸宅となり、劇場や庭園が整備され、一般にも開放されました。
これは、それまで宮廷中心であった文化が、都市へと広がる契機となりました。
中庭には回廊が建設され、カフェ、レストラン、商店が軒を連ね、人々は娯楽や社交を求めて集まりました。
パレ・ロワイヤルは、まさにパリの社交場、文化発信地として賑わいました。
しかし、同時に風紀の乱れや犯罪の温床となる一面もありました。
フランス革命期には、パレ・ロワイヤルは政治的な議論の場となり、革命家たちが集会を開き、民衆を扇動しました。
革命の指導者の一人、デムーランは、パレ・ロワイヤルで発行していた新聞「フランス革命」を通じて、革命思想を広めました。
革命後、パレ・ロワイヤルは国有化され、様々な用途に転用されました。
劇場、賭博場、証券取引所、商事裁判所などが置かれ、パリの経済活動の中心地としての役割も担いました。
18世紀のパレ・ロワイヤルは、単なる宮殿ではなく、文化、社交、政治、経済など、様々な側面を持つ、パリの都市生活を象徴する場所でした。
その華やかさの裏には、社会問題や政治的な陰謀も渦巻いており、まさに18世紀フランスの光と影を映し出す存在だったと言えるでしょう。