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チョムスキーとの対話 1始めに
筆者は2008年4月、ひょんなことからノーム・チョムスキーにインタビューする機会を得ました。当時運営していたウェブサイトに掲載しようとテープ起こしなどをしていたところ下の子を妊娠し、幼かった娘の世話にもてんやわんやでウェブサイトは閉鎖。以来、ずっとお蔵入りになっていた話です。
個人でチョムスキーにインタビューした記事はほかに見当たらないし、そこに至るまでのいきさつもなかなか面白いので、翻訳をNoteで再開したのを機にこの原稿もあわせて発表することにしました。
息子が生まれてしばらくしてから、私たちはボストン郊外のレキシントンから、今住んでいるシリコンバレーの町に引っ越しました。(レキシントンはインタビューにも出てくるとおりチョムスキーも住んでいた町で、最初電話帳で普通に住所と電話番号が掲載されているのを見つけたときにはわが目を疑ったものです。)
当時赤ん坊だった上の子はティーンエージャーになり、背丈は母親を超えました。私は肩こりとズボラがさらに悪化し、指輪をつけなくなりました。娘も手は私より大きいしアクセサリーに一切興味がないので、娘に譲ればいいと考えていた高価な指輪は買わなくて大正解でした。
チョムスキーはその後再婚し、現在はMITを退職してアリゾナ州立大学で教鞭を取っています。92歳になる今も健在で、この記事にあるような平和集会で積極的にスピーチを続けられています。
これから13年後、このレポートに登場する人たちは皆どうしているのでしょうか。私の人生におけるマイルストーンの一つとして、これから連載する次第です。
続く