ソジャーナ・トゥルース 7マウマウ・ベットの死
アメリカの社会保障制度が始まったのは1935年。連邦政府が運営する医療保険、メディケア(高齢者向け)とメディケイド(低所得者用)の開始は1965年。奴隷制はずっとそれ以前の問題ですが、数々の困難を抱えながらもこの国は少しづつ前進してきました。
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ある初秋の朝(先ほど述べた理由から何年のことかはわからない)、マウマウ・ベットはジェームズに「ライ麦パンの種をこねて、それを親切なお隣さんのシモンズ夫人に昼までに焼いてもらう」と言った。ジェームズは、午前中は近所の家の落ち葉かきをする予定だが、その前に近くのリンゴの木から実を叩き落としていいことになっているから、リンゴをパンに入れて焼いたら夕食のいい付け合わせになるだろうと応えた。ジェームズはリンゴを落とし、マウマウ・ベットが出てきてそれを拾い集めた。
夕食の時間を知らせるラッパが鳴ると、彼はささやかながらも暖かくて滋養たっぷりの食事にありつこうと、地下室によろよろと下りて行った。しかし、焼き立てのパンとリンゴの香りに迎えられると思いきや、地下室はいつもより暗く静まりかえっていた。最初は何も見えず、物音一つしなかった。いつも体の前に差し出して危険を察知するために使っているジェームズの杖に、何かがぶつかった。そして、彼の前にうずくまっているものから喉を絞るような低いうなり声が聞こえてきた。そこで初めてジェームズは、長年連れ添ってきた妻のマウマウ・ベットが発作を起こし、意識を失って床にぐったり横たわっていると気がついたのだ!
快適な家に住み、安楽な生活を送りながら親切で自分のことを思ってくれる大勢の友人に囲まれている私たちに、そのあとのジェームズ老人のあわれで寄る辺ない境遇が想像できるだろうか。一文無しで病み衰え、足が不自由で目もほとんど見えない彼は、妻が連れ去られたあとは一人ぼっちになってしまった。マウマウ・ベットはジェームズに意識を失っているところを発見されたあと息を吹き返すことなく、数時間で息を引き取った。残された哀れなジェームズを世話したり、慰めたり励ましたりするものはいなかった。
7マウマウ・ベットの死 了 続く