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ソジャーナ・トゥルース 27 宿が見つからない旅人に起きたこと

 今は政治的公正さをもって「インディアン」を「ネイティブアメリカン」と呼びますが、これは古い文章なのでそのまま「インディアン」と訳しました。「黒んぼ」も同様です。

 余談ですがもう30年も前に九州の農村部で電車に乗った時、「スナック くろんぼ」という看板を見て仰天したことがあります。今はさすがにないだろうと思って検索したら、同名の飲食店はまだ全国にあるらしくて二度びっくり。アメリカでは絶対にあり得ないけど、日本ではいいのかな・・・。
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 ロングアイランドの真ん中まで来たあたりで夜が暮れたので、イザベラは一夜の宿を探し求めた。二十人ほどの人に尋ねたが、ことごとく断られてしまった。彼女は歩き続けた。星と細く尖った新月が、ほのかにイザベラの孤独な道を照らしていた。

 二人のインディアンが、イザベラを知り合いと間違えてなれなれしく声をかけてきた。イザベラは自分はよそ者だから人違いだと言って、近くに宿屋がないか尋ねた。彼らは、あるにはあるが二マイル先だと答え、イザベラが一人かどうか聞いた。彼らに身を守ってもらうつもりはなかったし、下心があって親切にしてくれているかもしれないので、「いいえ」と言って先を急いだ。

 くたくたになって宿屋にたどりつくと、そこは宿屋と裁判所と刑務所が一つになった大きな施設だった。宿を探していると言うと、留置所に入ってカギをかけるという条件なら泊まってもいいという返事だった。牢屋に閉じ込められるなんてまっぴらごめんだ、そんな待遇には耐えられないと、イザベラはまた歩き出した。囚人の真似をするくらいなら、夜空の下を大手をふって歩いたほうがずっといい。そうして少し行くと、扉が開いている納屋から女の声が聞こえた。

  イザベラは納屋の中に入ると、どこか泊まれるところはないかと聞いた。女は「宿屋は知らないが、うちに来て泊まればいい」と答えた。そうしてそばにいた亭主の方を向いて、知らない人だがうちに来てもらってもいいかと聞いた。男はいいともと快諾した。男はどうやら酔っぱらっているようだったが、口のききかたはちゃんとしているし、悪い人ではなさそうだ。それに一人で野宿をするのは気が進まなかったので、一抹の不安はあるが二人の親切な申し出を受けることにした。しかし女は近くでパーティがあるから、家に帰る前に少し寄りたいと言った。

 パーティはイザベラの使命に入っていないので、そんなところに興味はなかった。しかし女はどうしても行きたそうだったので、しぶしぶ付き合うことにした。パーティに行かないならここで二人と別れるしかなく、そうなるともっと厄介なことになりそうだった。

 だが、そこに集まっていたのは社会の底辺にうごめく有象無象で、高尚な考えを理解する頭も心も持ち合わせていない連中だった。会場は汚らしいぼろぼろの小屋で、家具などは何もなく、ウィスキーの強烈な匂いが立ち込めていた。

 ソジョーナを案内した女はそこが楽しくてならないらしく、なかなか帰ろうとしなかった。しまいには強い酒をあおってフラフラになり、酔いが冷めてまた飲めるようになるまでと横になった。その間ソジャーナは部屋の隅に座りこんで、一人で考えにふけった。「豚に真珠」の格言通り、酔っぱらい相手に説教などはしなかった。夜が更けると、亭主はまだ寝ている女を起こし、「家に呼んだ人をこれ以上待たせては悪いからもう帰ろう」と言った。外に出ると、ソジャーナは新鮮な空気を思い切り吸い込んだ。空気の澱んだ小屋にずっといたので頭がすっきりして、外に出られたことを感謝した。

 夫婦が家と呼ぶ場所に着いた時には、東の空が明るくなっていた。ソジャーナは、自分がパーティにずっといて休み損なったわけではないことを知った。二人の小屋はみすぼらしく、寝場所といえば一枚の板だけだったのだ。そんな所に横たわるくらいなら、一晩中起きていたほうがましだ。夫婦は親切に「ベッド」を使うよう勧めてくれたが、ソジャーナは丁寧に断った。そして、夜が完全に明けるのを、それまでに一度もなかったほどの熱心さで待ち望んだ。地に再び金色の朝日が満ちるのを、この時ほど喜んで見たこともなかった。彼女はまた自由になり、少なくとも日中は人に頼る必要がなかったので、だれはばかることなく旅を続けることができた。

 この逸話をもって、道ゆく人のすべてが浮浪者ではないし、きちんとした市民ではなく堕落した惨めな人びとのもてなしを受けるのは危険であるという教訓にしよう。そうした罠に陥って抜け出せなくなった人は何千といるのである。

 7月4日、イザベラはハンティングトンに着くと、北方のコールドスプリングスまで足を延ばした。そこで大規模な禁酒集会の準備をしている人たちに会った(訳注:17世紀後半に欧米で起きた節制運動の一つ。19世紀初頭、一部の国での禁酒法の制定につながった)。彼女は進んで手伝いに入り、都会風の料理に腕をふるってみなを大いに喜ばせた。コールドスプリングスに三週間ほど滞在したあとハンティングトンに戻り、そこからコネチカット州行きの船に乗った。

 ブリッジポートで降りると、北東を進む旅を続けた。ときには説教をし、ときには本人が言うところの「シーザーに収める年貢」を稼ぐために仕事をした。そうした旅をしたあと、ニューヘイブンに落ち着いた。そこではたくさん集会が開かれており、イザベラはいくつかに参加して、自分の意見を心おきなく自由に話すことが許された。彼女はまた、意見を発表するために自分で集会も開いた。

 ニューヘイブンの町には、イザベラの眼鏡にかなうイエスの友がたくさんいた。彼女はそうした人びとと霊の交流をさかんに行った。宗派にはこだわらず、ただ彼らが救世主を知っているとか愛していると示すだけで満足だった。

  ニューヘイブンでイザベラのスピーチは暖かく迎えられたが、彼女は安住の地はまだほかにあると思い、ブリストルに向かった。熱心なキリスト教徒の女性が、そこに住む友人たちとぜひ宗教について語るべきだと勧めたからだった。イザベラは勧めに従い、ブリストルで紹介された親切で信仰の篤い人たちと知り合いになった。その付き合いを通じて、非常に興味深い人びとの知己も得た。

 ブリストルで会ったある敬虔な男性は、イザベラの目新しい意見や独自の見解に興味を持ち、ハートフォードにいる友人たちと話をしてほしいと頼んだ。主への奉仕のためには労をいとわない彼女は、男性からの紹介状を手にハートフォードに行った。

 前略 貴姉に現世の使徒の一人であるソジャーナを紹介いたします。神の寵愛を受けている女性です。エチオピアは彼女の手を神に向かって伸ばしています。敬虔な彼女と話をすれば、神が精霊を通じて御自らの子らに、来たるべきものについて教えておられることがわかるでしょう。ソジャーナをお宅に迎えて下されば、彼女から斬新なものの考え方を聞くことができます。中断することなく熱心に彼女の話に耳を傾けてください。そうすればソジャーナが、神に与えられた真実の梃子をもって、事実が隠されている木箱をこじ開けることができる稀有な人だということがわかります。読み書きはできませんが、神の法はしっかりと彼女の胸に生きています。

ソジャーナをぜひーー氏とーー氏にもご紹介ください。彼らのもとで、彼女はきっと多くの善をなすでしょう。

あなたの心の弟 H.L.B.より


27 宿が見つからない旅人に起きたこと 了 つづく


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