ソジャーナ・トゥルース 10試練の始まり
1820年のアメリカの一世帯当たりの収入は$1、149。2019年は$65,112(Google Searchによる)。約56分の1として、当時イザベラについた値段の百ドルは、今の価値にしておよそ5,600ドル。羊数匹も合わせて、安い中古車くらいの値段です。男の子は力仕事がたくさんできるけど、女の子はすぐ子どもを産めるようになる、という計算もあったのでしょう。
日本も昔の農村では、口減らしのために子どもを奉公に出したり、人買いに売り渡したりすることがありました。「よそで働いたら食べていけるから」と言い聞かせて。主人にわが子を売られるのも辛いし、自分で売るのも苦しい。
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両親の悲しい最後ーー少なくともこの世ではーーを見たあとは、二人を危うく引き裂こうとした運命の競売にイザベラと戻ろう。奴隷の競売はその対象になる犠牲者にとって世にも恐ろしいもので、競りの最中とそのあとに起きることは、彼らの胸に赤く燃える鉄のペンで刻みつけられる。
今もイザベラの記憶に新しいこの競りで、彼女はニューヨーク市アルスター郡のジョン・二ーリーという男に百ドルで売られた。羊何頭かと一緒に競り落とされたようだった。イザベラは九歳になっており、彼女の人生の苦難はこの時始まったという。「あれが戦いの始まりだった」と、イザベラはきっぱりと語っている。
彼女はオランダ語しか話せず、二ーリー一家が話すのは英語だけだった。二ーリー氏は少しオランダ語がわかったが、イザベルと女主人は互いの言っていることがさっぱり理解できなかった。そのせいで二人の意思疎通は長い間うまくいかず、女主人はひどく不機嫌になり、その結果イザベラは罰を受けて苦しむことになった。
イザベラは当時をこうふり返る。
「フライパンを取ってくるように言われても何のことかわからないから、自在鉤を持って行ったりしたの。それで奥様が怒ったのなんのって!」
さらに彼女は、寒さで「うんとこさ」苦しんだ。冬の間、彼女の足はきちんとした靴や靴下がなかったために、ひどいしもやけになっていたのだ。食事は十分に与えられたが、お仕置きもたっぷり受けた。特にひどかったのは、ある日曜の朝、彼女が納屋に行くよう言われたときのことだ。納屋に出向くと、主人が鉄の棒を数本ひもでしばり、熾で真っ赤に焼いたムチを手にしていた。
彼はイザベラの腕を体の前でしばると、それまで受けたことのない拷問のような激しいムチ打ちをした。イザベラは肉が裂けて血が流れるまで打ちのめされた。その時の傷跡は今もはっきりと残って、仕置きがどれだけむごいものだったかを物語っている。
「それ以来」とイザベラは語る。「女の人が素肌をムチ打たれる話を聞くと、私はぞおっとして髪の毛が逆立ちますよ。ああ、神さま!どうして自分と同じ人間にあんな仕打ちができるんだろう!」
この時のような苦難のどん底にあるとき、彼女は「試練のときや辛いときは神のもとに行くように」という母の教えを忘れなかった。さらに忘れないだけでなく、教えを忠実に実行した。神のもとに行き、「神さまにすべてを話し、これが正しいこととお考えになるかをおたずね」して、彼女を傷つける者から守り、庇護を与えてくれるよう祈ったのだ。
彼女はいつも、神に願ったものだけが手に入るという揺るぎない信念で神にものを頼んだ。「今思うと」とイザベラは振り返る。「祈らずに手に入ったものはなかったですよ。私に何かが手に入るのは、それを下さるよう神さまに祈ったからでした。叩かれたときは、その前に叩かれることを知らなかったから、叩かれませんようにと祈る時間がなかったんです。叩かれませんようにとお祈りする時間があれば、叩かれずにすんだのにと思っていました」
彼女はまた、自分が口に出して祈らなければ、神はそれを知りようがないし、聞くこともできないと思い込んでいた。そのため、彼女は一人になって神に語りかけるところを他の人に聞かれない場所に行くまで、神に祈ることができなかった。
10試練の始まり 了 つづく