見出し画像

ソジャーナ・トゥルース 15主人の約束

 ネコがキーボードの上を歩いて7ページ分消去したのを知らないで、上書きしてしまった。別のエディターで2ページ書き直したら、今度は保存したあと文字化け(それまで大丈夫だったのに!)。いろんなツールを試したが復元できず、これが三度目の正直。「関東大震災で源氏物語現代語訳の原稿数千枚を失った与謝野晶子に比べればこんなのドンマイ」と、自分に言い聞かせる秋の夕暮れ。

__________________________________

 ニューヨーク州が奴隷解放を決めたあと、条例が施行される数年前、主人はイザベラに「まじめにたくさん働いたら、法律で決められた期限より一年早く『自由証明』をやろう」と約束した。

 1826年にイザベラは重い病気で片手が不自由になり、以前ほどは働けなくなってしまった。「自由証明」がもらえることになっていた1827年7月4日、主人のところに行くと、手が使えなくなったことで損害をこうむった(というのが主人の言い分だった)から証明は出せないと言われた。イザベラは、前ほどの量はこなせなったが一生懸命働いたし、最後まで終わらせられなくてもできるだけのことはやったと主張したが、主人は折れなかった。イザベラの有能さが仇になって、彼女を手放すのが急に惜しくなったらしい。

 そこでイザベラは、綿を百ポンド紡ぐまで大人しくしているが、それが終わったら主人のもとを離れて自由になろうと密かに決心した。「ああ!」彼女は文字には到底書き表せない力を込めて言う。

「あの人たちのやり方は本当に汚かった!これをしたらあれをやるとか、何とかをさせてやるとか約束しておいて、いざ約束を果たしてもらう段になると『そんなことを言った覚えはない』とくる。あげくのはてに奴隷を嘘つき呼ばわりするか、ちゃんと約束したことができなかったと言いがかりをつけるんだ。もう本当に、あんな暮らしはまっぴらだと思いましたよ。私たちの身になってもごらんなさい。約束されたことを楽しみにしてがむしゃらに働いて、やっと目当てのものが手に入ると思ったらピシャっとやられるんだから! 考えてもみて。なんで私たちがあんな思いをしないといけなかったんだろう! 

 そういえば、こういうこともありましたよ。近所にチャールズ・ブロドヘッドという人がいて、その人が奴隷のネッドに、収穫が終わったら2、30マイル離れたところにいる奥さんに会いに行ってもいいと言ったの。それでネッドは朝早くから晩遅くまで働いて採り入れをすませて、主人のところに行った。でも返事は『収穫が終わったら行けるかどうか考えると言っただけだ。考えたがやはりだめだ』だった。でもネッドは約束は約束だからと靴を磨きはじめた。どうしても行くつもりかと聞かれてそうだと言うと、主人はそばにあった橇の櫂を思い切り振り下ろしたもんだから、ネッドは頭の鉢が割れてその場で死んでしまった! あのときまわりにいた黒人はみんな、自分が頭をガツンとやられたような気がしたものですよ」

 まったくイザベラの言う通りだ。そのような事件は、奴隷の自由と生活に振るわれた数多くの凶悪な暴力のほんの一端でしかなかった。* しかし、そろそろまた本題に戻らなくてはならない。

 この物語の主人公は1827年7月4日に解放されるはずだったが、綿を全部紡いて「秋の収穫」が終わるまで主人のもとにいた。それから彼女は、自由を手にして残った時間を自分のために使うことにした。

*ネッドの残忍な殺人事件が明るみに出ることはなかった。

15主人の約束 了 つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?