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ソジャーナ・トゥルース 24マシアスの妄想

 ついに今日、2020年大統領選の結果が確定しました。選挙日の前、圧倒的に民主党支持者の多いシリコンバレーの住人を挑発するように、トランプ支持者たちがダウンタウンで何百台もの大型車を連ねてパレードをくり返しました。クラクションを一斉に鳴らしてうるさいこと! 親指を下げる反対のサインを出す通行人もたくさんいましたが、あるとき反対車線にいた私は撃たれると困ると思い、目をそむけるだけにしました(運転中で危なかったけど)。
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 ここから先は、現代におけるもっとも著しい宗教的妄想に深く関与した、イザベラにとって激動の時代ともいうべき時期である。しかし、本作品に科せられた制限により、当時起きたことを詳細に語ることは許されない。

 チャーチ街のアフリカン教会の会員になったあと、イザベラはラトゥレット氏の会合にしばしば参加し、そこでスミスという人物に出会った。スミス氏はイザベラに自宅で開いている祈祷会に招き、バワリー・ヒルにある少女のためのマグダレン保護施設で、収容されている子たちにキリスト教の話をするよう頼んだ。マグダレン施設は当時、ピアソンという紳士と、数人の篤志家ーーその多くが立派な女性ーーが支援していた。施設に行くため、イザベラはピアソン氏の黒人の召使いで、以前から知り合いだったケイティに会いに行った。ピアソン氏はそこで初めてイザベラに会って話をし、洗礼を受けたかと聞いた。イザベラはいつも通り「洗礼は精霊にしていただきました」と答えた。

 イザベラはケイティに何度か会い、ピアソン氏もその場に何度かいあわせた。ピアソン氏はケイティがバージニアにいる子どもたちを訪問する間、イザベラに家の用事を頼んだ。イザベラが自分の家で働けるように祈り、断食までしていたピアソン氏は、それを自分の祈りのおかげだと考えていたが、ケイティとイザベラはただ神のはからいだと思った。

 ピアソン氏はもともと信心深かったが、次第に狂信を深めていった。ある日乗合馬車に乗っている時、「汝はティシュべのエリアなり。カルメル山のふもとに、イスラエルの民をすべて集めよ」(訳注:エリアは旧約聖書を代表する預言者。カルメル山に祭壇を築いた)という神の声を聞いたとして、以来預言者を自称するようになったのだ。イスラエルの民とは、バワリー・ヒルの友人たちのことだと考えた。そのあといくらもしない内に、氏は悪名高いマシアスと知り合った。

 マシアスの預言者としての経歴は、短いが途方もないものだった。ロバート・マシューズ、通称マシアスはスコットランド系で、ニューヨークはワシントン郡の出身だった。この話の時およそ47歳。反バーガー派長老教会の信心深い家庭に育った。べブリッジという牧師が教会の慣習に従ってマシューズ家を訪ねたとき、まだ小さかったロバートを気に入って、頭に手を置いて祝福した。生まれつきの性質とともに、この祝福が少年の将来を決めた。それ以来ロバート少年は、自分が一門の人物になると決心したのである。

 マシアスは18歳近くになるまで家で農業をしていたが、師匠に弟子入りすることなく大工仕事を自力で覚え、機械いじりも得意だった。ロバート・トンプソンという叔父から遺産を受け、小売りのビジネスを始めた。それが成功すると、スコットランド長老会の会員となった。1813年に結婚して、ケンブリッジで商売を続けた。しかし1816年に不動産の投機に失敗して銀行と取引できなくなると、家族とニューヨークに移って商売を始めた。やがてアルバニーに引っ越し、ラドロー博士が代表を務めていたオランダ改革派教会で聴聞者となった。宗教上の対話になると、しばしば激しく興奮した。

 1829年には、彼は辻説法というよりは、大声で議論をすることや路上での勧誘を盛んにすることで知られていたものの、説教は始めていなかった。1830年の初頭まではまだ狂信的な信者という感じだったが、同年、自分たちの住んでいるニューヨークの州都アルバニーが壊滅して、住人も死に絶えると預言した。また、同じころ聖書を前に髭を剃ろうとしているときに、突然石鹸を置いて叫んだ。
「やっと見つけた!髭を剃る男は決してキリスト教徒になれないという記述を見つけた!」
彼は髭を伸ばし続け、数日後ミッション・ハウスで説教をして、そこで自分の新しい役割を発表した。合衆国に復讐を誓い、「人びとを統べるのは神の法だけであり、自分は王の中の王として、世界を手に入れる命を受けている」と述べた。彼の熱弁は、管理人が明かりを消したところで中断した。

 このころマシアスは商売をたたみ、6月、自分たちを待ち受ける破滅から共に逃れようと妻に言った。マシアスがユダヤ人を自称するようになったこともあって、妻は嫌だと言った。彼はユダヤ人と結婚を続けるわけにはいかないという妻を捨て、子どもを何人かアルバニーから40マイル離れたアーガイルにいる妹のところに連れて行った。アーガイルでは教会に立ち入り、礼拝を中断して、そこに集まった信者は蒙昧だから悔い改めよと命じた。当然彼は教会からつまみ出された。事件は翌日アルバニーのローカル紙に書きたてられ、彼は家族のもとに送り返された。

 このころマシアスの髭は長く伸びていてかなり目立ち、路上で説教をしていると人だかりができた。そのため逮捕されることもあり、一度などはアダム・ペイン(訳注:1781年生まれの巡回説教師。髪と髭を長く伸ばしていた)が群衆に向かって説教しているとき、警察が来たのでマシアスを残して逃げた。警察はペインと間違えてマシアスを逮捕してしまった。

 マシアスは妻に、「食べ物に困ったら木の根を食べればいいから、一緒に世界を改宗させる宣教の旅に出よう」としつこく説得した。このとき彼はマシアスと名乗って、自分は使命を抱いたユダヤ人だと言った。(訳注:マシアスの原文Matthiasはイエスの司徒の一人、聖マティアのこと)

 それから西へ旅して、ロチェスターにいる熟練の機械工である兄を訪ねたが、この兄はすでに物故している。兄のもとを去ったあとは北部の州を伝道してまわり、時おりアルバニーに戻った。

 ある時ワシントンに行ったマシアスは、ペンシルバニアを通り過ぎてニューヨークについた。みすぼらしく得体の知れない風体で、何を考えているか伺い知れない男だった。

 1832年5月5日、彼は四番街のピアソン氏宅を訪問したが、ピアソンは留守だった。そのとき、前の年の秋から住み込みで働いていたイザベラだけがいた。ドアを開けてマシアスを見た瞬間、彼女は生身のキリストがそこにいると思った。用件を聞くとマシアスを居間に通した。生来の好奇心と、キリストがそこにいるという興奮から、うまく話のとっかかりをつけた。イザベラが自分の意見を述べると、マシアスは返事や説明を返した。マシアスが自分をユダヤ人だというので最初イザベラはひるんだが、彼が「イエスがどう祈ったのかを覚えていないのか?」と聞き、主の祈り(訳注:キリスト自身が弟子たちに教えたといわれる祈祷文)をくり返すので安心した。それは、この世に現われるのは御父の王国ではなく、御子の王国だという証しだった。そこでイザベラは彼が改宗したユダヤ人と結論づけ、「神さまがマシアスさんをお使わしになったと感じた」。

 こうしてマシアスはたちまちイザベラに信用され、ピアソン氏に関する情報を得た。また、ピアソン夫人が本当の教会というものはないと宣言していることを知り、ピアソン氏の説教の内容に同意した。マシアスは土曜の夜にもう一度来ると言い残して去ったので、この時P氏とは会わなかった。

 イザベラは土曜日マシアスとピアソン氏の間で交わされる会話を聞きたいと思い、仕事を急いで終わらせたので、当日同席することが許された。自分と同じような信仰を持っていることでイザベラは雇い主に気に入られていたし、真面目に仕事をするので信用も篤かった。

 信仰を同じくしている上にほかの点でも共通点が多く、居間にはテーブルが一つしかなかったので、イザベラは使用人でありながら主人と対等に扱われた。その結果彼女は、重要というほどではないが非常に興味深い話を聞くことができた。この点では、肌の色さえイザベラに有理に働いた。

 南部を旅行したことのあるピアソン夫妻は、黒人、とくに黒人の奴隷が、まるでそこに存在しないかのように扱われることを知っていたのだ。外国人の旅行者の多くが、このアメリカの白人の特徴に気がついている。ある英国の夫人は南部の紳士と話していて、黒人の少女が紳士夫妻の寝室の隅で寝ていることを知った。驚く夫人に紳士は言った。
「夜中に水が飲みたくなった時に困りますからな」
他の旅行者も、アメリカ人は奴隷が同じ部屋にいると気を使ってちょっとでも話を中断することはないと書き記している。

 イザベラはそういうわけで、マシアスとピアソンが初めて話をしたときにいあわせた。その会合でピアソン氏はマシアスに家族はいるかと答え、マシアスはいると答えた。ピアソン氏はまた髭のことも聞き、マシアスはユダヤ人は髭を剃らず、アダムを髭をたくわえていたことを引き合いにして、髭をたくわえる精神上の理由を述べた。

 ピアソン氏はマシアスに自分の経験を詳しく述べ、マシアスは自分の体験を語った。二人は互いに、自分が精霊の影響を直接受けていると話し、霊は一つの体から別の体へと移るということで意見が一致した。

 マシアスは、ピアソン氏がウォール街の乗合馬車で聞いた「汝はティシュべのエリアなり。汝はエリアの霊と力とをもって我の前を行き、我の行く道を開け」という声は、確かに神のものだと言った。またピアソン氏も、マシアスがアーガイルで6月20日に聞いた神の声は本物だと断定した。この日は奇しくも、ピアソンが乗合馬車で天啓を受けたのと同じ日だった。こうした偶然は、興奮状態にある者には強大な影響を及ぼすものだ。二人はこの発見に驚き、お互いが精霊の眷属だと喜んだ。

 しかしマシアスは神の霊が自分の中に住んでいるから、自分は「御父、または御父の霊を持つもの、地上に降りた神」であると主張した。一方のピアソンは、自分の使命は洗礼者ヨハネのそれと同じようなものだと考えていた。ピアソンがマシアスを夕食に招待したところで会談は終わり、二人は互いの足を洗った(訳注:キリスト教で、謙遜を表す行為)。ピアソン氏は次の日曜日に説教したが、次の週はマシアスに説教してもらった。信者の何人かは二人の話を聞いて、「神の国が現われた」と信じこんだ。

 マシアスの説教と主張は、おおよそ次のようなものだと言われている。

「バベルの塔を作った精霊は今この世界にいるが、それは悪魔の精霊だ。人間の霊は決して雲の上にのぼることがない。それができると考えている者は全てバビロン人だ。唯一の天国は地上にある。真実を知らぬのはニネべ人である(訳注:ニネべは、ユダヤに二度侵攻したアッシリアの王ニネべが再建した同名の都市)。キリストを十字架にかけたのはユダヤ人ではなく、異教徒である。すべてのユダヤ人にはこの世で守護神がついていて、それぞれを守っている。神は牧師ではなく、預言者である私を通して話す」
「洗礼者ヨハネよ」(ピアソン氏のこと)「黙示録の10章を読みなさい」ピアソンが読み終わると、次のように話し続けた。
「われわれの神の国は、これからからし種のように世に満ちるであろう。われらの信条は真実である。洗礼者ヨハネに従い清らかな身で教会に入らずして、真実を見つけるものはない」

「真の男性だけが救われる。にせの男性は地獄に堕ちる。精霊を持つまでは、だれも真の男性とは言えない。また、女に教えを垂れるものは邪(よこしま)である。聖体拝領も祈りも無意味である。パンをひとかけら食べ、わずかなワインを飲んだところでなにも変わりはしない。教会に信者を入れ、自分の土地と家を乗っ取られる者に対する判決は『邪悪なもの、ここを去れ。わたしはお前など知らない』である。夫に向かって説教する女への判決も同様である。真実の息子たちは、この世界のあらゆる良いものを享受し、そのためには全ての手段を尽くすべきである。女の匂いがついたものは全て破壊されるであろう。女は荒廃と憎悪の極み、諸悪の根源である。間もなく世界は炎に包まれ崩壊するであろう。もうすでに火は広がりつつある。従順でない女はすぐさま従順になり、禍々しい霊を追い払って、真実の神殿となるべきである。祈祷はすべてまがい物である。鳥の首を切り落とすのではなく絞める者には、精霊は宿っていない(切り落とすのが一番痛みが少ないから)」

「豚肉を食べるものは悪魔である。豚肉を食べるや否や、彼は嘘をつくであろう。食べた豚肉の切れはしは体内を曲がりながら通り、精霊は体を去る。家の中には豚肉と精霊の両方がとどまることはできない。腹に収まった豚肉は羊の角のように折れ曲がり、路上に逃げたブタのように厄介である」

「コレラというのは正しい言葉ではない。コラーというのが正しく、神の怒りという意味である(訳注:原語Choler。「胆汁、怒りっぽい」の意で、語源はコレラと同じ)。アブラハムもイサクもヤコブもこの世にいる。彼らは一部の者が信じるように雲の上に昇ったのではないーーなぜ天上になど行く必要があるだろう? 彼らは昇天して道徳のコンパスを地上から移すことは望んでいなかった。今キリスト教徒は、御子の王国を建設しようとしている。だがそれは御子のものではなく、御父のものである。この国で、事業を子に受け継いだ者のことを考えるがよい。その場合屋号を”ヒチコック&サン”(息子の意)とするが、本当は”ヒチコック&ファーザー”がキリスト教では正しい名前である。しかし彼らは、御父の王国ではなく御子の王国の話を先にする」

 当時のマシアスとその弟子たちは肉体の復活を信じず、昔の聖者の霊は現在の人間の体に宿り、地上の天国を実現すると考えていた。その最初の宿り主がマシアスとピアソン氏というわけだった。

 マシアスは最初ピアソン氏宅に住んだが、ピアソン氏はマシアスがずっと同居した場合、群衆が押し寄せて乱闘が始まるのではないかと考えた。そこでマシアスに金を渡し、よそに移るよう薦めた。マシアスはクラークソン街に部屋を借り、アルバニーの家族に引っ越すよう知らせたが、妻子はマンハッタンに行くのは嫌だと言ってよこした。しかし弟のジョージは誘いを受けて家族を連れて引っ越し、広い家で同居を始めた。イザベラはそこで家政婦として雇われた。1833年5月、マシアスはこの家を離れ、イザベラの家具も一緒に持ち出してどこかにやってしまい、マーケットフィールド街とウェスト街の角のホテルに移った。イザベラはウィティング氏の家で雇われ、氏の許可を得てマシアスの洗濯もしてやった。

 その後マシアスは郊外のシンシン村にあるB・フォルジャー氏の農場に移され、合流したピアソン氏とほかの信者とともに、同じような宗教上の妄想のもと、労働に励んだ。しばらくするとピアソン氏が突然不自然な死をとげ、マシアスが殺人の容疑で逮捕された。マシアスとフォルジャー夫人、それに「王国」のメンバーにして霊の友を名乗る数名の共謀が疑われたが、結局無罪判決が下りた。

 こうして、物狂いにとりつかれていた団体は解散した。マシアスは釈放されると自ら西部へ流れて行ったが、その後の彼の運命については細かく述べる必要はあるまい。興味のある向きは、1835年にニューヨークで出版された「狂信の原因と影響について―マシアスとB・フォルジャー夫妻、ピアソン氏、ミルズ氏、キャサリンとイザベラ他の関係についてのイザベラの聞き書き」(著者G・ベイル、84ルーズベルト街)という本を読むといいだろう。

 イザベラはシンシン村の集団で宗教的な活動はほとんどせず力仕事ばかりをさせられているうちに、次第にこれはおかしいと気づき、幻想から目が覚めた。そこで、シンシンで任された仕事からはすべて足を洗い、自分をとりまく汚れた環境からさっさと逃げ出した。

24マシアスの妄想 了 つづく


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