ソジャーナ・トゥルース 21新たな試練
ピーターが入る矯正施設の通称はThe Tomb。グーグルで調べたら今もマンハッタンにあり、「墓場 (Manhattan Detention Complex)、24時間営業、この場所の平均滞在時間は 15 分~1.5 時間」と出てきました。ビジネスじゃないんですけど。。。
また、ピーターが船に乗せられたのは、ジョン万次郎がアメリカの捕鯨船に拾われ、ニューイングランドで暮らすようになったのと同じ時期です。『白鯨』のモデルになった事件が起きたのもこのころ。メルビルの傑作は、当時捕鯨の中心地だった港町、マサチューセッツ州ナンタケットで幕を開けます。
__________________________________
説話のような話はこれまでにして、本題に戻ろう。
イザベラと夫の白日夢ーー自由を手に入れたら小さな家を買って快適な生活を送り、あれもしよう、これもしようという計画ーーは解放が遅れて、絵に描いた餅に終わってしまった。結局その夢が叶えられることはなく、代わりに新しい試練がイザベラを襲った。子どもたちが散りぢりになり、悪い誘惑の虜になっていくのを目の当たりにして、イザベラの胸をひどく痛めたのである。子どもたちにはそうした誘惑に打ち勝つ信念が足りなかった。
「ああ、あのときの私は、あの子たちに正しい道を教えたり導いたりする方法を知らなかった! それでもわたしは、できるだけのことをしましたよ。キリスト教の集会に連れて行ったり、話しかけたり、一緒に祈ったり。あの子たちのためにお祈りも捧げました。もちろん悪いことをしたときには叱ったし、ムチ打ちもしましたよ」
イザベラと息子は自由の身になってからおよそ一年後、ニューヨーク市に引っ越した。そこで二人を待ち受けている災いを予知できていたら、ほかの町を選んでいたことだろう。ニューヨークには、子どもたちに教育上ーーイザベラにできる範囲の教育ということだがーーはなはだ好ましくない影響があるという事実を、身をもって思い知ることになったのである。
この時期、息子のピーターは、ちょうどそうした悪所の誘惑を避けるべき年ごろにさしかかっていた。彼はあまりにも無防備で、守ってくれるものといえば女中として働く母親の細腕だけだった。彼は背が高くて体格の良い、活発な少年に成長していた。性格は陽気で穏やか、目端がきいて親切で、人をひきつける魅力があった。しかし、誘惑に耐える力はなく、悪いことをしてはうまい言い訳を思いつき、そうした行為を決して認めないであろう母親や母の友人たちの目をくらましてしまうのだった。彼が悪い仲間に引き込まれ、良くない習慣に染まって堕落していくのに、長い時間はかからなかった。
イザベラが、息子はごろつき仲間の間でピーター・ウィリアムズと名乗って威勢を張っていると知ったのは、引っ越してから二年がたった時だった。母は最初、一人息子がいっぱしの青年に成長していると思い込んで喜んだ。しかし、彼のしでかしている悪事が次第に明らかになると仰天して、誇りも喜びも失った。
イザベラをよく知るある夫人が、窮地に立ったピーターがすぐに罪を白状し、まことしやかな言い逃れをしたことに感心した。そして
「こんなに賢い子は、学校にやったほうがいいわ」と言い、水夫になるための学校に行くようにと、10ドルの学費を出してくれた。だが、ピーターは自由な時間を勉強にあてるよりはダンスにでも行くか悪い仲間とつるんだほうがいいというので、しょっちゅう学校をさぼっては適当な欠席の連絡を入れていた。夫人から10ドルを受け取った先生は、ずる休みを見抜くことができなかった。
イザベラと夫人は、ピーターが学校で真面目に勉強していると思っていたが、実はほかのところで全く正反対の社会勉強にいそしんでいて、二人を大いに悲しませた。二人は学校のかたわらにできるようにと、御者の働き口もピーターに世話していた。しかし彼は、遊ぶ金欲しさに自分のお仕着せだけでなく、主人の持ち物も売り払ってしまった。主人はピーターが気に入っていたので、この盗みを若気の至りと許してやり、法に訴えることはしなかった。
ピーターは主人の甘いのにつけこんで乱行をくりかえし、あちこちで問題を起こしてはイザベラに救ってもらった。そのたびにイザベラは息子に長々と説教し、心を入れ替えるよう口をすっぱくして言い聞かせた。ピーターは心の底から困り果てたようなふりをして、自分は「決して悪いことをするつもりはなかったが、ただ悪い仲間に誘われて、気がついたときには二進も三進もいかなくなっていた」と言い張った。自分は前からずっと真人間になろうとしているが、どういうわけだかいつも魔が差してしまうというのだった。
母は息子はこれ以上ニューヨークにいるべきではないと考え、ピーターに船乗りになるよう促した。イザベラは海軍に入隊させたがったが、本人は楽しいニューヨークを離れるのが嫌さに、軍隊行きを頑なに拒否した。イザベラは、このままではいつ息子が恐ろしい犯罪に手を染めるか、あるいは重大事件の犠牲になるかと思うと生きた心地がしなかった。息子の悪業が一度も軽犯罪を超えなかったことを、今もイザベラは神に深く感謝している。しかし品行が一向に改まらないので、息子のことはしばらく放っておき、自分の取った行動の責任は自分で取らせることにした。
親としては辛いことだったが、イザベラの決意は揺るがなかった。果たしてまたすぐに息子が逮捕されたという連絡が来たが、イザベラは助けに行かなかった。困ったピーターは、ピーター・ウィリアムズという、人望の篤い黒人の理髪師に助けを求めた。彼が無断で名前を拝借していた人物で、警察の世話になった若者を助けて、都会の誘惑を避けるために捕鯨船に口をきいてやることで知られていた。
ウィリアムズは、拘留されている若者が自分と同じ名を名乗っていることに興味を持った。そこで矯正施設に出向いてピーターの事件についてたずねたが、母や家族を大切に思っているという本人の話は眉唾だと思った。しかしピーターのことは釈放させてやり、一週間後に出帆する捕鯨船に乗りこむという約束をさせた。ピーターは母親に会いに行って、ことのいきさつを説明した。イザベラは息子がほらを吹いていると思って信じなかったので、ピーターは自分で確かめるよう言った。イザベラはウィリアムズ氏に会いに行ってやっと納得した。氏はこう言った。
「息子さんの手助けができてよかった。同情すべき事情が色々ありそうですからね。しかしまさか彼が言うとおり、本当にお母さんがいるとは思っていませんでしたよ」
イザベラは、息子が恩人を裏切って船が出る前に姿をくらますのではないかと心配した。ピーターは自分はこれから心を入れ替える決心をしたから、信用してほしいと言った。イザベラはそれでも出航するまで落ち着かない日々を過ごしたが、ピーターはウィリアムズ氏ともう一人の知人に、これから乗船するという伝言を託して出発した。
イザベラはそれから一か月ほどは、息子がじつはまだ町に残って悪事を働き、ひょっこり自分の前に姿を表すのではないかとひやひやしていた。しかしピーターはいつまでたっても戻らず、イザベラは本当に息子が航海に出たと納得した。出航したのは1839年の夏で、1840年10月7日付けの手紙が届くまで、だれも彼の消息を聞かなかった。
親愛なる大切なお母さんへ
ぼくは元気にしています。お母さんもお元気ですか? ぼくはまだ不運なナンタケット号に乗っています。この前ほかの船員の問題に頭をつっこんで、大変な目に会いました。漁もずっとうまくいっていませんが、これからツキがまわってくるように祈っています。船には230人ほどが乗っています。もしこのまま不漁におわっても、ぼくが帰ったらみんな喜んで迎えてくれますように。姉さんたちはどうしていますか? いとこたちはまだニューヨークにいますか? ぼくの手紙は届きましたか? まだだったら、ピアス・ウィティングさんのところで聞いてください。できるだけ早く返事をください。一人息子のぼくが、こうやって遠く離れた海で働いているんです。想像もしなかったほど、これまでたくさん世の中を見てきました。ぶじに家に帰れたら、船の暮らしの苦労や大変さをお母さんに話したいと思います。お母さん、あなたの大事な一人息子をどうか忘れないでください。ソフィアとベッツィーとハナがどうしているか教えてください。今までぼくがしたことを許してもらえますように。
あなたの息子、ピーター・ヴァン・ワグナーより
次の手紙は、1841年3月22日付けだった:
親愛なるお母さん
ぼくは元気で、体も大丈夫です。前に一度手紙を書きましたが、まだ返事をもらっていません。とてもお母さんに会いたいです。もうすぐ会えると思います。この船にはこれまでずいぶん悪いことが起きました。そのうち運が回ってくるといいのですが。お姉さんも近所のみんなも、どうか元気でいますように。あと22か月くらいで家に帰れる予定です。この間サミュエル・ラテレットに会いました。一つとても悲しい知らせがあります。ピーター・ジャクソンが死んだのです。ソシエテ諸島のオタヘイテを出て二日後のことでした。ラレット家にいたピーターです。乗っていたのはミラー船長のナンタケット号、位置は南緯15度53分、西経148度30分でした。もう書くことはありません。できるだけ早く返事をお願いします。
一人息子のピーター・ヴァン・ワグナーより
息子からの最後の音信となった手紙は、1841年9月19日付けだった。
親愛なるお母さん
ぼくは元気にしています。お母さんもお元気ですか? お母さんに手紙を出すのはこれが五回目ですが、まだ返事は一度ももらっていません。とても心配しています。だからできるだけ早く返事を書いて、近所のみんながどうしているか知らせてください。港を出てから23か月がたち、あと15か月で帰れる予定です。あまり書くことはありません。ぼくが出発してから、家に戻りましたか? 家のみんなどうしているかが気になります。出航してしてからはいろいろ悪いことがおきましたが、最近はうまくやっています。この先も調子良くいくといいですが、もしだめだったら五年くらい帰れないかもしれません。だからできるだけ早く返事をください。今日はもうこれくらいにしておきます。これを読んだらぼくを思い出して、ぼくのことをいつも心にとめておいてください。
ぼくを家に連れて帰ってくれ。西の果てにある家に。
子ども時代を過ごした、懐かしいわが家に。
シダの木はそびえ、水は清く流れる。
両親が待つあの家に帰りたい。白人の主人よ、どうかぼくを放しておくれ。
滝が落ちるあの場所に帰りたい。
子どものとき遊んだあの川に。
哀れな母の胸は、哀れな子の姿を見て血を流す。
母のもとに返しておくれ。どうかぼくを放しておくれ。
(訳注:原典が見当たらないので、当時船員の間で流行っていた歌か?)
一人息子のピーター・ヴァン・ワグナーより
この手紙を最後に、息子からの消息はふっつり途絶えた。イザベラの心はピーターを追って世界を駆け巡り、危険な仕事についている息子からの連絡を今でも待ちわびている。
「神さま、息子はもう大丈夫です。わたしには分かります。息子はきっとどこかで達者に暮らしていて、家を出るときに約束したことを守っているに違いありません。あのときのピーターはまるで別人のようで、今度こそまっとうになると固く決心していましたから」
しかし、この手紙が地上でイザベラが聞く息子からの最後の便りになるかもしれないので、記録として残しておく。
21新たな試練 了 つづく