ソジャーナ・トゥルース 12新しい主人と夫人
たぶんこの作品で一番奇怪な章です。どうにももどかしい書き方がされているものの、イザベラは「優しい」主人のデュモントに強姦され、子どもまで産んでいるんですね。当時白人の主人が奴隷の少女を手籠めにするのは、珍しいことではなかったようです。
生まれた子はいわゆるハーフですが、アメリカには根強い「一滴ルール」というのがあって、少しでも黒人の血が入っていたら黒人とみなされることが長く続いていました。
最近の例ではオバマ氏も父親はアフリカ出身、母親はヨーロッパ系のアメリカ人ですが、当然のように「アメリカ初の黒人大統領」と呼ばれていました。私は「えっ、半々じゃないの?」と驚いていましたが、「白も色の一つなのに白人は有色とはいわない、透明とも呼ばれない」という矛盾とともに、ほかの人がこの扱いに疑問を呈しているのを聞いたことはありません。
奴隷が生んだ主人の子は認知されることなく、多くのばあい「色が薄くて容姿が優れているから高く売れる」財産として数えられました。
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デュモント夫人が夫と同じように奴隷に対して親切で思いやりをもって接してくれれば、イザベラの生活は奴隷としてはまずまず楽なものになったであろう。デュモント氏は奴隷にかしずかれながら育った人で、心根も優しかったから、自分の奴隷は家畜を扱うのと同じ程度か、ひょっとするともう少し多くの配慮をもって扱った。
しかしデュモント夫人は、奴隷のいない家庭で生まれ育ち、ほかの同じ境遇で暮らした人びとと同じように、雇い人しか使ったことがなかった。そうした労働者は賃金を得るという人間として当然のやる気をもって懸命に仕事をしていたから、夫人は奴隷がのろのろと足を引きずりながら歩いたり、言われたことをすぐに理解しなかったり、生活態度がだらけていたりするのが我慢ならなかった。また、奴隷の落ち着きのない立ち居ふるまいや、ぞんざいな物言いやだらしない暮らしぶりは気の毒な虐げられた弱者特有のものだったが、夫人はこれにも情け容赦なかった。効率や成果を求める動機が奴隷からはすっかり奪われているということにも、知性を養う機会もない奴隷が、無気力な状態にあるのは仕方がないということにも気がつかなかった。
この無理解と不寛容はわれらがヒロインの人生に数々の不幸をもらたしたが、その詳細については沈黙を守るべきだろう。当事者のプライバシーは尊重しなければならないし、イザベラが尊敬と愛情をもって記憶する、今も存命中の人びとにいわれのない苦痛を与えるかもしれないからだ。この理由から、当時の描写がやや精彩を欠くことに読者は驚かれるかもしれないが、それは事実関係がはっきりしないからではなく、彼女の人生における重大事件の裏には、おおやけにできない複雑な事情があったからである。
イザベラが語りつぎたいという比較的ささやかな事件に、こんなものがある。それは、神が無実の者を守り、敵に打ち勝つ証として彼女の心に深い印象を残したし、主人と女主人の間の彼女の立ち位置についても多くを語ると思われるからだ。
デュモント氏は当時、白人の少女二人を小間使いとして雇っていた。そのうちの一人はケイトといい、イザベルに「いばりちらし」、彼女を「痛めつける」(イザベラが力をこめて使った言葉)ことに執心していた。主人はしばしばイザベラをほかの者の攻撃や言いがかりから守り、彼女のやる気や有能さやをほめたが、それがかえって夫人と白人の使用人を怒らせた。ケートは事あるごとにイザベラの非を言い立て、主人の彼女に対する評価を下げ、イザベラが気に食わずに何かと辛くあたる奥様の不興をさらに募らせようとするのだった。
主人はイザベラが使用人六人分の仕事ができるし、仕事ぶりも丁寧だとほめた。夫人はそれに対して、六人分は本当だが、やり方はぞんざいだと反論した。この意見の違いは次第に気まずい空気を生み、ある朝イザベラが朝食に黒くてまずそうなじゃがいもを出したことからある騒ぎに発展した。奥様はイザベラを責めて「ベルの仕事ぶりをよおくご覧になって!」と主人に言い、「あの子のすることといったらいつもこうですわ」と付け加えた。主人もこの時はイザベラを叱り、これからはもっと丁寧に料理するようにと命じた。ケートも主人夫妻の尻馬に乗って、イザベルをこっぴどく罵った。イザベラは「できるだけ気をつけて料理したのに、一体なにがいけなかったんだろう」と悩んだ。
ガートルード・デュモント(夫妻の長子で当時一〇歳。優しい娘で、イザベラのことを心から気の毒に思っていた)はイザベラがこっぴどく叱られるのを聞いて、事件のあった日の晩、床につく前に、イザベラを助けると約束してくれた。「翌朝早く起こしてくれたら、あんたが乳しぼりに行っている間、わたしがじゃがいもをうまく料理してあげる。そうしたらポピーやマティ(両親の呼び名)やほかの子やらに怒られないですむから」というのだった。
イザベラは四面楚歌のところにガートルードに親切にしてもらって感激し、ありがたくこの申し出を受けた。翌朝イザベラがじゃがいもを茹でようと鍋に入れると、ガーティが自分が火の番をするから、乳しぼりにいってらっしゃいと言ってくれた。
ガーティが約束どおり火の前に腰かけると、間もなくケートが入って来て用事を頼んだ。ガーティは断り、台所の隅に座りこんだ。それからしばらくしてケートがまたやって来て、かまどのまわりを掃き始めた。そして床に落ちた炭を拾うと、それをさっと灰ごとじゃがいもの鍋に放りこんだ。黒いじゃがいもの謎はついに解け、ケートの悪だくみは暴かれたのだ! ケートは奥様の正当さを証明して、自分たちが正しいということをみんなに分からせ、イザベラをやり込めるために、少々ことを急ぎすぎた。あせってじゃがいもを黒くしようとして、正大の小さな使者が隅っこで正義の秤を持ち、みなに公明な審判を下そうとしていたのに気がつかなかったのだ。
しかし、使者が姿をあらわす時が来た。今度はゲティが高らかに宣言する番だった。「ポピー、ねえ、ポピー!」と彼女は言った。「ケートがじゃがいもに灰を混ぜてたのよ!私見たわ!鍋の外にこぼれた灰を見て!ベルがちゃんと洗ってたのに、じゃがいもが毎朝黒くなってたのはこのせいよ!」
そうしてゲティは、次々に同じ話を家の者に聞かせてまわったから、ケートの悪だくみはあっという間にイザベラが叱責を受けたときと同じくらい周知の事実となった。奥様は遠い目をして無言のまま、主人はなにやら悪態をそっとつぶやいた。気の毒なケートの顔は有罪判決を受けた犯罪者のようで、悪業がばれてプライドが傷つき、あまりの恥ずかしさに穴があったら入りたいという様子だった。
イザベラと主人にとっては大勝利で、この時以来彼女はいっそう主人を喜ばせようと努力した。主人は主人でイザベラをほめたり、友人に自慢したりして、やる気をさらに引き出した。「私にとってあの子は男の奴隷より値打ちがある。なにせ一晩で家族全員の洗濯をすませ、翌朝には畑に出て、一番よく働く男衆たちと同じくらい土を耕したり、干し草をしばったりできるんだからな」
主人を満足させたいという気持ちと意欲はつのる一方で、彼女は何日も夜通し働き、睡眠はイスで少しウトウトするだけということがよくあった。腰かけることさえしない夜もあり、そういう時は座ったら寝過ごしてしまうと思い、壁にもたれかかって休憩するだけだった。こうして主人に尽くすことにより、彼女はいっそう褒められるようになり、ほかの奴隷のやっかみを買った。彼らはイザベラを「白人のお気に入りの黒んぼ」とあざけった。こうしてイザベラはあつい信頼を主人から得て、ほかの奴隷には考えられないようなささやかだが特別な配慮をしてもらえた。
私が「デュモントにムチ打たれたことはある?」聞くと、彼女はこう答えた。「もちろん。ご主人にムチ打たれることはあったけど、そんなにひどくはなかった。一番強く打たれたのは、私がネコをいじめたときだったよ」
この時の主人は、彼女にとって神同然だった。主人には神そのもののように彼女がいつも見えていて、考えていることもお見通しだとイザベラは信じこんでいた。悪いことをしたときには主人がもう知っているだろうから、自分から白状したほうが罪が軽くなるだろうと思い、進んで主人に告白することもあった。
誰かが奴隷の身でいることの不正について話すことがあれば、イザベラは相手を軽蔑したような返事をしてすぐ主人にいいつけた。当時の彼女は、奴隷制を正しくて栄誉あることだと信じこんでいたのだ。彼女は今では、主人と奴隷の双方がどれだけ誤った考えに囚われていたかはっきりとわかっている。ふり返ってみると、主人たちは神に王のような自由を与えられていたはずの人びとに対して、傲慢にも自分たちの権利なるものを主張していたのである。その愚かしさには、今では驚かずにいられない。主人たちの主張の正当性をうのみにしていた奴隷たちもまた、どうしようもないほど愚鈍であった。
母の教えを忠実に守っていたイザベラは、正直さというものを大切にするあまり、あとで自分が母になったときにも自分の子がパンを求めて泣くとそれをムチ打った。子どもにこっそりパンをやると、のちのち人のものに手をつけるようになると考えたのだ! 著者は、自分の奴隷たちに他人のものを盗らないように教えることがキリスト教徒の務めだと信じていた南部の奴隷保有者と、個人的に面識がある。彼らは果たして、己の抱える矛盾に気がついたことがあるのだろうか?
それでもイザベラは、自分が主人に忠誠を守り、信頼を寄せていたことを誇りに思っている。「そうすることで、神さまに忠実になることができた」ーーつまり、自分の中に真実を愛し嘘を憎む性質を育むことができ、そのおかげで後年に裏切りや偽善を経験しても、それほど傷つかず、痛みも感じずにすんだというのだ。
年ごろになったイザベラは、ロバートという名前の奴隷と親しくなった。しかし、ロバートの主人でキャトリンというイギリス人は、自分の財産は自分の奴隷によってのみ増やされるべきだと考えていたので、ロバートがイザベラを訪ねるのを禁じ、家の奴隷の中から結婚相手を見つけるよう命じた。しかしロバートは主人の意向に反して自分の意思を貫き、こっそりと恋人のもとに通い続けた。
主人に気づかれないと思っていたロバートは、ある土曜の午後、ベルが病気だと聞いて勝手に見舞いに出かけてしまった。イザベラは最初、自分の主人にボブ(訳注:ロバートの愛称)を見なかったかと聞かれて異変に気がついた。見ていないと応えると、主人は「キャトリンに追われているから、ボブに会ったら気をつけるように言え」と伝えた。その瞬間、ボブが現れた。彼が最初に目にしたのは、自分の主人とその息子だった。二人はボブをそこで見つけて激怒しており、主人は呪いの言葉を吐くと、息子に「ごろつきの黒んぼをぶちのめしてやれ」と命じた。それと同時に二人はトラのようにボブに襲いかかり、それぞれが手にしていた杖の重いほうの先で叩きのめした。ボブの体にはたちまち青アザができ、頭と頭はぐしゃぐしゃになった。傷口からは血が流れて全身を朱に染め、殺された獣のような姿は、見るも無残なありさまだった。
デュモント氏はそこで止めに入り、自分の土地でこれ以上人の血を流さないよう暴漢たちに告げ、「 うちで黒んぼが殺されるのはごめんだ」と言った。そこでキャトリン親子は、家から持ってきた縄を出してボブを後ろ手にきつく締め上げた。デュモント氏は「どんな獣だってそんなに縛り上げるものではない」と、縄を緩めるよう強く求めた。彼らはボブを希代の大悪党のように家にしょっぴいた。少しは優しいところのあるデュモント氏は、ボブがひどい仕打ちを受けないよう彼らについていった。家に戻った氏はベルにーーというのは彼がイザベラにつけた呼び名だったーー、「キャトリン親子の怒りはだいぶ静まったから、もうボブが殴られることはないだろう」と言った。
イザベラは自分の部屋の窓からボブが暴行を受けるところを見て、たいそうショックを受けていた。イザベラが心から愛するあわれなロバートが半殺しの目にあったのは、暴行の加害者に言わせてみれば、彼女に愛情を抱くという罪を犯したからなのだ。この事件と、そのあとにも起きたかもしれない虐待により、犠牲者であるロバートの心は完全にくじかれ、彼がイザベラのもとに忍んで来ることは二度となかった。彼はのち従順で忠実な人的動産として、主人の奴隷の一人と結婚した。そして最後にイザベラに会ってから数年後に亡くなり、「彼らはめとったり嫁いだりせず、天にまします神の御使いのようになる」という、抑圧者に邪魔されることのない国に旅立った。
12 新しい主人と夫人 了 つづく