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チョムスキーとの対話 4パーティ当日・立ち話に失敗

2007年10月13日

 早朝に家を出た夫が、ぶじ母を送り届けて夕方に帰ってきた。飛行機が遅れたりしたら一巻の終わりだったが、予定通りに戻ってこられて良かった。疲れているところを悪いが、今度はレキシントンの隣町、アーリントンにあるシティーホールの会場まで送ってもらう。

 ホールの駐車場に着くと、続けて赤いヨーロッパ車が入ってきた。「『赤い繭』って話があったね。フフフ。それにしても派手な車だなあ」と思っていると、運転席にチョムスキーの顔が見えた! 普段彼はもっと地味な車に乗っているので、あやうく見逃すところだった(過去の講演会で、やはり駐車場についたチョムスキーを見たことあり。入待ちをしていたわけではなくて偶然に。いや、ほんと)。絶好のチャンスだからなにか話をしようと近づいて行ったが、突然のことでなにを言って良いのかわからない。

 とりあえず車から出てきたチョムスキーに名前をなのり、これまで彼の本を二冊日本語に翻訳している(The Common GoodとSecret, Lies and Democracy, 日本語版では『秘密と嘘と民主主義』に合本)ことと、今は Understanding Power (『現代社会で起こったこと』の原作)の作業に入っていることを伝えた。最初いぶかしげな顔をしていたチョムスキーだが、翻訳の話をすると「あれを訳するのは大変でしょう。質問があったらいつでも連絡してください」と言ってくれた。

 連絡といえば以前『秘密と嘘と民主主義』の翻訳をしているときにどうしてもチョムスキーに聞きたいことがあってメールをしたところ、親切な返事をもらったことがある。あの時はまさか本人から返事がもらえるとは思わなかったので、「このメールは家宝にする」と大騒ぎしたものだ。

 ネットで検索すればMITのアドレスはすぐわかるから連絡といえばメールかオフィスへの手紙ということになるが、彼の住所と電話番号はなんと地元の電話帳にも載っている。レキシントンに引っ越してきた当初面白半分で電話帳をチェックし、チョムスキーの名前を見て仰天したことを思い出して、それ以来疑問だったことを聞いてみた。「電話帳に住所を公開して、脅迫の電話や手紙が来たり、命が狙われたりしたことはないんでしょうか」。「そんなことはありませんよ。警官の護衛がついたことなら一度ありますけどね」。

 日本ではとても考えられないことだ。「私の国では、昭和天皇の戦争責任について公言しただけで狙撃された政治家がいます」と言うと、チョムスキーはとても驚いた。

 しかし、それから話が続かない。いろいろ聞いてみたいことはあったのだが、駐車場を歩きながらのことでなにをどう尋ねればいいものやら見当がつかないのだ。そうこうしているうちにホールの中に入り、チョムスキーは「主催者に連絡しなければ」とつぶやいて、奥の部屋に行ってしまった。ついていくわけにもいかず、気の利いたあいさつをすることもできず、私はそのままぽつねんとホールの入り口に取り残された。

 せっかく二人きりになれたのだから、もっといろいろと話せることがあったはずなのに。空前絶後のチャンスを棒にふってしまったことが、悔しくてならない。これが駐車場で立ち話というシチュエーションでなければ、もっと準備をして落ち着いた状況でインタビューができれば、私だって、私だって・・・。予想外の展開にほぞを噛んだ私は、その場でオークションに参加することに決めた。

 本当に聞きたいことがあれば場所が駐車場だろうがトイレだろうが関係ないかもしれないが、立ち話では埒が明かないこともある。それに今回はあまりにも突然のことで頭が混乱していた。だからどうしてももう一度、今度はきちんと準備をしたうえでチョムスキーと話がしてみたくなったのだ。多忙を極めるチョムスキーを相手に「きちんと準備」なんて悠長なことを言える機会を得たければ、このオークションを競り落とすしかない。

続く

(写真:アーリントンのシティホール、Wikimedia Commonsより)

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