ソジャーナ・トゥルース 22兄姉との再会
私の家の近くにある休業中の映画館では、夏からずっとBLMのサインを掲げています。典型的なアッパーミドルクラスの郊外型住宅地。有色人種の住人はアジア系が多く、アフリカ系はほとんど見かけませんが、8月にはBLMのデモ行進が数回行われました。
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息子の自由を手に入れたあと、イザベラは法律上の手続きをするために一年ほどキングストンに残っていた。その間はキングストンのメソジスト教会の会員になり、ニューヨークに越したときにジョン街のメソジスト教会への信書を託された。しばらくしてからメソジスト派を離れ、チャーチ街にある黒人だけのザイオン教会に入った。
ピアソン氏の家で働くようになるまでザイオン教会に通ったが、次第にマシアスという預言者が父なる神の名によって始めた「王国」に惹かれるようになった。マシアスは、父なる神の霊が自分の身に宿っていると主張していた。
イザベラがニューヨークにいる時、姉のソフィアがニューバーグから来て、しばらく市内に住んだ。イザベラは子どもの時たまにソフィアとの面会が許されていたが、デュモント家にいる前後の17年間は会えなかった。久しぶりに再会したとき、姉はすっかり見ちがえるほど立派な衣装に身を包んでいた。
ソフィアは、イザベラが一度も会ったことがない兄のマイケルも、市内に住んでいると言った。ソフィアが二人を引き合わせたとき、兄はイザベラに、もう一人の姉のナンシーもニューヨークにいたが、数か月前に亡くなったと伝えた。兄はナンシーの容貌や服装や人柄を説明し、ザイオン教会のあるグループに属していたと話した。
イザベラはすぐにそれが、教会で会ったことのある女性だと分かった。共に祭壇で跪き、心の姉妹の証しとして、祈りながら手を合わせた人だった。その時はまさか相手が、同じボムフリーとマウマウベットという両親から生を受けた同胞(はらから)だとは思いもよらなかった。質問と答えを矢継ぎ早に交わすうち、はやりその人が自分の姉だという確信が深まった。ナンシーは古風な橇の箱に入れられた女の子で、マイケルはやはり同じ橇で連れ去られた男の子だった。イザベラは親にナンシーの話を何度も聞かされながら、本人には一度も会ったことがなかった。
イザベラは嘆いた。「なんてことだろう! 姉さんに会えたというのに分からなかったなんて! そういえば手をつないだとき、ごつごつした硬い手が自分とそっくりだった! どうしてあのとき、ナンシー姉さんだと気がつかなったんだろう! あんなに母さんに似ていたのに!」
そうして泣いた。ソフィアも、そして頑強なマイケルも共に涙にくれた。
イザベラは叫んだ。
「ああ神さま! 人をこんな悲しい目にあわせる奴隷制とはいったい何でしょうか? 奴隷制ほど恐ろしい苦しみを与えるものがこの世にあるでしょうか?」
確かに奴隷制が日々刻刻と人に与えている苦しみは数かぎりなく、その全貌を知るには、「あやまたず書き、間違えることなく考えられる」神が、最後の審判で裁決されるのを待たねばならない。神による記述が明らかになれば、今は語る人によってあまりにも話が異なる奴隷の労苦を、万人が等しく理解するだろう。
その時は、急進的な奴隷廃止主義者でさえも「地上にいるとき、私の前にはこんなにも多くの苦しみがあったのか?」と自問するに違いない。だが彼はもう一歩踏み込んで「この不道徳な、強力で重篤なマラリアにして忌まわしい業病である奴隷制度を、一体だれが考えついたのか?」と聞くべきである。そして、奴隷制を最初に始めた者どもは、奴隷の中にいくら目を見開いてもすべてを把握しきれない深い苦難があったことを知って驚くことだろう。
22兄姉との再会 了 つづく