江戸川区 乙女湯
2022.10.26.
なんだか疲れが取れない。
というか、月曜日から深夜に3時間ほど眠れない時間がやってきて、不眠症ではないだろうけれど、平日の疲れは平日に何とかしたいので、寒くなってきたことも言い訳の筆頭に、お風呂へゴーウ。
今日も江戸川のお風呂なのは、スタンプラリーが言い訳だ。
お昼はしっかり食べるほうだけれど、最近は社食でもご飯を多めにするのをやめた。夜ごはんもそうなのだけれど、ちょっと食べるとお腹いっぱいになったんだよね、これも老化なのだろうか。
でも、これで身体がぐっと絞られて、マラソン前にたーんと炭水化物摂って、だーんと4時間切って、一旦の有終の美としたい。
とかいいつつ、「船堀」駅について、気になって調べたラーメン屋さん「大島」へ。20:30までの営業とのことで19:45くらいに着いたのに、完売とは・・。
そういえば、「船堀」といえば、ここでしょう。
「アド街」でも1位だもんねえ。
さて、今日はお風呂の感想もさることながら、ここ「船堀」の銭湯の発祥について語らせてほしい。
先ずは予習として、2021年の記事をどうぞ。
改めて、加筆は少しだけだけれど、同区「あけぼの湯」のサイトからの受け売りと、同じく船堀の「鶴の湯」の女将さんからの証言をもとに、まとめてみたよ。
「あけぼの湯」は創業は1773年とのことで、徳川家斉が生まれた年。私は日本史はめっぽう弱いので、いや、世界史も同じくだけど、え、誰?状態。ちなみに、江戸幕府第11代征夷大将軍なのだそう。私が好きな酒井抱一は当年12歳、という年だったようだ。江戸琳派の開花するまさに前夜、といってもいいかもしれない。
安永2年から令和4年まで249年営業しているというのは、都内でも最古のようだということはわかっていただけるかなと思う(参照記事、wiki)。するってーと、来年250年なのか、それはすごすぎるでしょ。
では、「鶴の湯」の女将さんに聞いた内容。
「鶴の湯」自体も十代目で、姓名は十六代目なのだとかで、その歴史の長さのなんとやら。
江戸時代に遡ること、先祖のおばあさんが、新川を材木を舟で運ぶ人びとの休憩所としてお風呂屋さんをはじめたのがそもそものはじまり。実はもともとは野菜と海苔農家で、お風呂は片手間だったそう。この辺りも江戸の海苔産地だったのね。
ちなみに「あけぼの湯」と「乙女湯」は親戚関係にあり、ご当人たちも知らないことも、「鶴の湯」の方は知っているのね。生き字引!
では、その親族2店の背景をふりかえってみよう。
近隣の銭湯への取材、記事などを参考にした屋号の秘密の研究成果。
慶長年間の栃木県小山市、「乙女」という名の村里近くの「乙女河岸」に、運業(舟問屋)「乙女屋」を開業し、江戸への物流拠点が作られた。今の地理的には利根川を下り江戸川へ、もしくは古利根川から中川へのルートなのだろう。知らんけど。そして江戸に到着した船頭さんたちの休憩所として飲食店や湯屋を始めるに至ったそうだ。
時代が下り、水運が廃れ陸運中心へと移行し、舟問屋から撤退し銭湯が本業になり、「あけぼの湯」のおそらく16代目のお父さん(要するにおそらく15代目)が「乙女屋」の次男として家業を継ぐ。細かい話になるけれど、「乙女屋」は本家が旧家、分家(あけぼの湯)が老舗を継いだのだそう。ちなみに「あけぼの湯」は現在19代目。
「乙女屋」も「乙女湯」としていまに至り、「あけぼの湯」を参考にするとおそらく18~19代目なのではないだろうか。はっきりさせておきたいのだけれど、私の調査では「乙女湯」が本家で間違いないと思う。間違っていたら教えてください・・。
なお、「あけぼの湯」のおそらく17代目と思われる方は、会社員から銭湯のお嬢さんの元、婿養子に入り、休憩スペースで飲食提供をはじめたり、周辺で温泉が湧いたという話を耳にし、1997年に井戸水を調査したところアルカリ性天然温泉だったことが判明したり、売り文句を増やしていった張本人。
2001年10月には1階に露天風呂を新設したり、1996年頃には、スーパーマーケットに貸していた1階部分をお風呂にしたりと、大改装していまに至る。
ついで情報だけれど、2011年3月11日の東日本大震災では、浦安などの液状化の記憶も新しいのだけれど、千葉に片足突っ込んでるこのエリアも、大変だったのだそう。電気・ガスが止まってしまったものの、温泉を求めて多くのお客さんが来店したのだそうだ。
ちょっと前の記事の引用なので、参考程度だけれど、休日は約500人の来店があった当時、震災直後は2000人が来店したのだそう。
歴史はさておき、船堀の銭湯はどこもいいね。
参考:
二回目の訪問。ここは湯種が豊富すぎるので、二時間コースで行ってほしい。
レイアウトは、脱衣所を抜けて時計回りで左側にサウナコーナーがあり、サウナ利用者のみの入場。身支度スペースにドライヤーと椅子があり、もう一枚のドアすぐ手前にテレビリモコン、ドアを抜けると左手に水風呂、カラン6席、ドライサウナのレイアウト。もちろんテレビあり。
最初は野球の大事そうな試合だったのだが、リモコンを発見した私は他の利用者に確認後、旅番組に替えさせてもらった。最上段端で胡座でテレビって、幸せすぎる。ただ一番観やすい角度なだけなんだけど。チャンネル変更後は、吉田羊さんと光石研さんが二人でドライブ。あー、ドライブしたい。というか、運転したい。
チェーンを外しサウナコーナーを出ると、再びカラン、お湯は左手から寝風呂二種、電気、右手にジェット四種。これだけジェット系を揃えているのは、都内銭湯でほかにはないと思う。右手の一番脱衣所サイドのジュビナバス座風呂とでもいえばいいのか、これが当たりどころによっては水芸みたいで飛沫飛び散り笑えるのだが、私以外は誰も笑っていない。
まだまだある。ジェットコーナーを抜け半露天スペースに出ると、左手に黒湯温泉、正面に黒湯水風呂、そして階段を上がると檜風呂まである。
私もしっかり二時間居たが、サウナ(というかテレビ)を10セットしたので、その他がやや手薄になってしまったが、今日日、500円で二時間楽しめて、さらに清潔さが得られる場所などあるだろうか。(自宅なら交通費もかからず無料です)
さあ、おうちに帰ろう。