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読書記録「話すことを 話す」

お気に入りのキム・ハナさん。
今回も韓国文化院の図書コーナーで借りて読む。

『女ふたり、暮らしています。』がとても面白いエッセイで、同じ著者による、「話し方指南」。
・思ったことが正確に伝わるように「話す」
・相手が気軽に話せるように「話す」
・人の心に響くように「話す」
・人を傷つけないように「話す」
・謙遜しすぎないように「話す」
といったレッスンで、話すことを楽しめる、よりコミュニケーションが円滑になる、そんな「技術」を教えてくれる。

歩き方、自転車の乗り方などは、子ども時代からやり方を教わってきた。しかし、著者曰く、

話すことには歩くことと違って非常に多彩な側面がある。話すことはコミュニケーションであり、共感であり、暴力であり、音楽であり、教えであり、遊びであり、挑発であり、解消であり、響きであり、礼儀であるという意味で。にもかかわらず、私たちは話すことと歩くことを同じように考えている。誰もがすることであり、それぞれの歩き方があるようにそれぞれの話し方があるにすぎないと思うだけで、私たちは話すという行為についてあまり深くは考えない。
話すことには明らかに「ワザ」というものが作用する。修辞学に対する関心をほぼなくしてしまったわが国において、「話しぶり」「弁才」「口才」「口弁」などとも表現されるそれは「話術」ともいわれるが、この言葉にはちょっと厄介なところがある。「話し方の技術」を意味する一方で、「妖術」「忍術」「催眠術」のように言葉で相手を騙し、惑わせて自分の望むものを手に入れようと舌をチョロチョロさせている蛇のようなイメージが重なって見えるのだ。しかし、そうした言葉が広く使われる所では、話術は決して芸術になり得ないと思う。

サイトより

とのことで、うんうんうん、と頷いてしまう。

もっと韓国語がわかるようになったら、原語でも読んでみたいな。

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