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水俣の海は、ほんとうにきれいで穏やかだった。見ている限りでは、水俣病のことは浮かんでこなかった。それでも見渡すと、埋め立てられた海があり、底には水銀ヘドロが残ったままで、認定を受けた患者さんは現在も2,000人を超えている。 きれいも穏やかも悲しみも苦しみもある、そのすべてが水俣だと思った。だからこそあの海をあのようにきれいだと感じたのだと思う。たとえようのない、いま、ここにしかないというような、そういうものが放つ、奥深く優しい輝き。 わたしのなかにもそんなことがあ
この夏、水俣の海を訪れた。ひとつだけあるという海水浴場に。砂浜があって波がその上をよせてはかえす場所が私にとっての海だったが、地元の子どもたちにとっては漁港も海で、遊び場のようだったのが印象的で、うらやましかった。 とてもおだやかな海だった。島の内側に位置しているため、大波は届かない。そこで、SUPを体験した。意外と体幹が必要で、集中しないと立っていられない。でも慣れてくると、魚が跳ねる瞬間を見られたり、足もとに海を感じながら遠くを見渡せたりして、泳ぐのとはまた違う海を楽