躍動感ある「にわか祭り」と空虚に踊る「創造的復興」という言葉-能登町鵜川にて(2024/8/24-25)
今年3回目、物心ついて3回目の能登に前回に引き続き仲間と行ってきました。今回は、毎年8月第四土曜日に能登町鵜川地区で行われる「にわか祭り」があるということで、それを観に行くというのが目玉でした。
弁財天さんに奉納する漁師のお祭りで、観光用ではなく地元の方による、地元のためのお祭りです。例年は9台の「にわか」が浜に集い、途中休憩しながら3時まで弁天さんの前にかわるがわるお見せするように繰り広げるのですが、今年は震災の影響で3台でした。
「にわか」の絵は、なんと地元の方による手書きのものです。どれも勇壮で、本当に邪気をおっぱらうような迫力のあるものです。
夜は燈が灯されて更に絵が浮かび上がります。
「にわか」を「エイヤー!」と独特のかけごえで引っ張り、菅原道真を祀った菅原神社を出発して通りを練り歩きしたのち、弁天さんがおられる海瀬神社で乱舞をします。(一昔前は朝の5時まであったとか)今回は、0時回った頃に終了となりました。
子どもたちによる太鼓・鉦の音が段々聞くうちにノッてきて、しばらく脳裏に音色がリピートしていました。
正直、震災でお祭りが小規模でも催行されたのは驚きましたが、地元の方は「意地だ」とおっしゃっていました。普段は遠方に住んでいる子どもや親戚が一堂に集まり、神様に奉納するだけでなくて、自分が育ってきた土地との結びつきを再確認する場が祭りなのではと。だからこそ、どんなことがあってもお祭りは地元の人たちにとって精神的な支えなのだな、ということが伝わってきました。いわゆる郊外の街で育った私にとって新鮮な感覚で、うらやましくも感じました。
太鼓と鉦が鳴りだした途端、何と言っていいかわかりませんがこみ上げるものがあり、涙が流れました。練り歩く途中でも、解体が終わって土台のみのところや、まだ瓦礫が残った家屋がいくつかあり、一緒に「にわか」の後をついていきながらもやるせなさと歯がゆさを感じました。でも、うつむいてばかりもいられない。そうした地元の人たちの気持ちを県・国はどのくらい知っているのだろうか。(わらわら外から人が来て楽しむというよりは地元の方によるお祭りなので、ぜひ来てくださいねとはおおっぴらに言うのもなんだかななんですが)どんな空気感でいるのか、練り歩いている間も地元の方の会話が聞こえてきました。復興に意思決定層で関わる人はここだけでなく、能登のあらゆるお祭りに顔を出して、直接声を聴いてほしいと思いました。
あくる朝、「にわか」を見ていると、そのうちの1台の「にわか」の絵を描いた人とお話しすることができました。地元の役場に勤めている方で、県とも復興について話し合ったりするが、「創造的復興」という耳障りがよい言葉ばかりを使い、今後の少子高齢化や流出する人口を見据え、外からの移住者向けのアピールばかり目立っているという現状を話してくれました。まだ瓦礫が残っている現実に乖離がありすぎるし、外の人には良い面ばかり見せて、地元住民の福祉について全然考えていないのだな、と痛感しました。私が住む自治体でもそうした動きはますます顕著になってきていますが、避難所によっては一日一食という現状があるなかで、地元の方の生活立て直しが何よりの最優先事項であるはずです。
仮設については、中には通称「石川モデル」と呼ばれる、半永久的に住めるように建材もしっかりしたもので集会所があるものも地域によってありますが、鵜川はプレハブです。今まで住んでいた一軒家の広い家と比べると、見ると本当に窮屈かと思います。
https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1464381
前回の記事でも書きましたが、賃貸の公営住宅を整備してすぐに入れるようにすること、それまでは2年で仮設を退去するという制限を廃止するべきです。瓦礫をきれいにすること、プレハブでない仮設住宅を整備すること、そして公共交通の整備も必要です。能登半島の町と町の間には大き目な車道ですが、その間の集落に住んでいる方は高齢の方も多いです。お米をお届けしたおばあちゃんがいたご自宅は、ちょうど目の前が車道で歩けるところではないのに、少し離れたお隣さんからおすそ分けいただいたものを持って歩いていたそうです。バスは週1回、そのときに買い物を済ませるということです。誰もが、行きたいところにいつでも行けるような、コミュニティバスの整備なども必要だと痛感しました。基本的な住まい・食・インフラを整備してから「創造的復興」とやらを進めるのが筋ではないでしょうか。寝言は寝て言え、と言いたいです。
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