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朝井リョウ『正欲』から考えたこと

読了してから10日ほど経っているのだが、このタイミングで感想を書きたくなった。それこそ日本では「恋人や家族と過ごすのがふさわしい」と考えられているクリスマスだからかもしれない。それこそ「正欲」の一つかもしれない。

それぞれ、年齢や属性が違う登場人物たちが、ある一つの事件をきっかけにパラレルに動いていた時間がなんとなくリンクされていく展開だ。
全体的に通底するのは、この世の中で予定調和的に流れている「らしさ」だったり、「あるべき、あったら推奨される欲」とか「その関係性にはあってしかるべきこと(たとえば、異性二人きりでいると恋愛関係なんだろうと類推すること)」が本当にそうなんですか?と問いかけていること。日頃、こうした違和感を私たちは時には感じながら生きているが、目の前のことに忙しかったりすると流れていく。ただ、この小説をよむとすっきりというよりは、最後までもぞもぞする感触がある。ダイバーシティ、生きがいなど今では飽和状態になっている言葉のうわっつら、そこに見え隠れする特権意識などの描写が明瞭すぎて、自分にも思い当たることありすぎて(もう私のLIFEはゼロよ…!)と叫びたくなるほどだ。

二つの論点で語っていきたいと思う。

①キャリア研修や就職面接で聞かれる将来像
今、久々に某人材派遣会社による中堅社員のキャリア形成をテーマにした研修を受けているのだが、ライフプランも含めたキャリア形成というのがいかにも「正欲」の象徴ではないかと。例えば、20代後半までに結婚・30代中盤までに子育て・家を買う、女性だったら育休取りながら資格取得などに励み・・・などといったプライベートも含めてキャリアを考えようということを研修ではよくやる。就職して間もない頃は無邪気にあれこれ考えていたが、30代中盤に差し掛かった今になると、明らか乖離を感じるようになったし、研修会社が求めているライフプランが正解ではないという気持ちが年々強くなっている。特に結婚や育児、といったものは個人的に欲していないし、おそらくあんまり後悔しないだろうということもわかるし、無理にあてはめる必要もないと思っている。
ただ、キャリアとプライベートの両立というものがここ数年声高に言われ続けている中、プライベートもなんとなく、計画性を持っていつまでもひとりで好き勝手に過ごすのではなく、誰かとお付き合いをしていずれは家庭を築く、、といった未来が理想だと知らず知らずのうちに刷り込まれているのではないか。(こういったストーリーを人材会社が望むのも、潜在的な数十年後の顧客増加を目的にしているのだろうが)
まあ、ひとりだろうとなんだろうと、正規でコンスタントに働かないと文字通り食っていけないので仕事を続けるのは大切だし私にとっての「正欲」なんだろうとは思う。

②選択肢がある人、ない人の辛さ(八重子と大也の会話)
終盤での、同じ大学に通う女性(八重子)と男性(大也)の会話は
ジェンダーだったり、生まれ持った無意識のマジョリティといったあらゆる問題に通じる気がした。かなり迫力あるやり取りなので、ぜひ本を手に取って読んでほしいため詳細は省くが、それぞれの言い分が対照的でどちらもうんうん、と私は唸っていた。
※以下要約
男性(大也):多様性って言うけど結果的に、そっち側に取り込みたいだけでしょ。自分は別に自分の性癖や好みについて理解してもらおうと思ってない。勝手にさせてくれ。
女性(八重子):選択肢がないからそうやって自分は不幸だと高みにいられるからいい気なもの。確かにどう思うかは自由だけど、いろいろな感情がこもった目線(時には自分にとって不快/思わしくないもの)をぶつけられるのは、相対的に体格が小さい女性として嫌。だから、なるべくそうした違和感を話していこうよ。

どっちもわかるし、フェチなど含め脳内にあらゆる感情が沸き起こるのも自由だし、「多様性」と言っている人たちの顔を見るほどそこからとは縁遠いんだな、と思うことがよくある。きれいごとにして勝手に括るなよ、と思うのと反面、特に今の日本社会で女性として生きていると一人前として見られず舐めた態度を取られたり、ひどいと性被害に遭ったりすることが残念ながら多い。そのため、他者(男性に限らない)からため込まれた感情の「放出」を受け止めるというのが殊更恐怖だ。だからこそ、ショック軽減で思っていることをお互い出していこうよ、ということ。

滋賀医科大学での女子学生性暴力の事件、また岸和田市長による性暴力といったことを通じて、私は一人の人間の尊厳を何だと思っているんだとずっと怒っている。前者の場合での「異性の部屋に入ったらイコール性行為して当然だろ」というのがある意味、いまだにネットのモテテクの記事などで「正欲」として言われていることだと思う。本当にそうなのか?
シチュエーション、関係性などから勝手にこうされるべきだ、こうあってしかるべきだという結論を勝手に導いた結果、人間の意思を踏みにじってしまうのが「正欲」の恐ろしさでもあるのではないか、と現実とリンクさせて私は思っている。

最後に、八重子が大也に呼びかけた台詞を一部紹介して終わりたい。
「…(中略)私は私と考え方の違うあなたともっと話したい。全然違う頭の中の自由をお互いに守るために、もっと繋がって、もっと一緒に考えたい。私いま、本当に心からそう思ってる」(P459)

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