一筆書き1000 拾ってください。
99%で100万円が手に入るけど1%で死ぬボタンがあったら押すと思う。なんなら50%までなら押すかも。
死にたいわけではないけれど死ぬのは怖くない。むしろ死に損なうのが怖い。死に近づくけれど、でも死ねない。そんな状況になるのは怖い。だから片腕を失うとか寝たきりになるとかだったら0.01%でも押さない。
小学生の頃に読んだギリシャ神話の本、そこに書いてあったプロメテウスの話が忘れられない。人間に火を与えたプロメテウスは罰として磔にされ、鷲に内臓を啄まれる。痛くて痛くてみるみるうちに内臓はボロボロになっていく。しかしプロメテウスは神だから内臓は少しすると復活する。死ねないのである。どれだけ苦しくても死ねないのである。私はこれを読んだ時ゾッとした。死ねないのは死ぬよりも怖い。あの頃から今までずっと持っている価値観。
神話は大好きだけど、死後の世界についてはあまり信じてない。死んだら何も残らない。死んだ瞬間にこの世界ごと無くなるのではないかとすら思う。全てが自分のためのシミュレーション世界で他の人はプログラムに基づいて動いてる。そんな世界観。
この世界観が前提だけど、パラレルワールド。人生は選択の連続で選択のたびに分岐するってやつ。これはあると思う。並行していろんな世界線が走ってる。他人はプログラムで動いてるから完全に自分の選択だけで世界線が決定する。乱数はない。全部が必然。世界線の中にはもうすでに途切れているもの、つまり私が死んだものがいっぱいある。今生きているこの世界線は奇跡的に死を踏まなかったものだけ。地球の条件が生命にとって都合が良すぎるみたいな話でもそんな説があったはず。もしあの時◯◯したら、、、みたいなことは考えても仕方ないと思ってる。確認のしようがないし、それだけを変えるっていうのは難しい。だから後悔はあまりしない。意識は生きている世界線にしか宿らないのだから死んだ後のことは認識できない。この理論から言えばさっきのボタンは押し得なのである。100万円がもらえる世界線しか認識できないのだから。
こんなことを考えながら生きている。
この考え方の奥にはえげつない寂しさがあるような気がしているが、なるべく見ないようにしている。長い時間をかけて作られた考え方なので簡単には変わらないと思うけれど、変わるとしたら守るべき人ができた時かもしれない。
99%を引けたなら、また何か書きます。