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一筆書き1000 自閉

表現をするのが怖くなっている。表現をすることで自分が減っていってしまうのではないかと思うからだ。自分の思っていること、描いているものを全て外に出した時、自分には何が残るのか。非常に怖い。自分の生み出せるものが無限だとどうしても信じることができない。明日には何も生み出せないのかもしれない。もしかしたらずっと前から自分はこれまでのものを引っ張り出してきてしゃぶっているだけなのかもしれない。私を怖がらせるもう一つの妖怪は「評価されるのが怖い」というものだ。自分が面白いと思ったものを出して悪い評価を得るのが耐えられない。他者からの評価は誰が出したかどこで出したかどんな状況で出したかなどの要素が複雑に絡み合うことで下される。私はそれをコントロールすることができない。怖い。自分が月の石だと思って大事に大事に取っておいていたものがある日突然専門家なるものに「ただの石」だと言われる気分である。こんなことだからなんでも鑑定団は見ていられない。昨日まで壁に飾って毎日拝んでいた掛け軸が次の日には贋作の烙印が押され0円だと価値づけられてしまう。気にしないなんてできるわけない、その掛け軸を見るたびに今田耕司の顔が浮かんでしまう。思いつくままに飾らない自分を書くはずのこの文章においても薄手のカーディガンを着せてしまう。もしかしたらナチュラルメイクもしているかもしれない。ありのままの自分自身を表現するのはもうできないのかもしれない。私は誰よりも高いプライドを持っているし自分のことが誰よりも好きでたまらない。オリジナリティを極限まで削って良いに決まっているものをチラチラ見せることでなんとかやりくりしてきた。この態度は中程度の学問においては高評なようで、授業のレポートの評価は軒並み悪くない。ただS +などといったぶっちぎりの評価はなかなか得られない。でも良いやと思ってしまう。悪いことだとは思っているが私のこの錠前は論理ごときで開けることはできない。この前もめちゃんこ面白い小説のタネを思いついたが、形にすることはおろか人に話すことすらできていない。絶対に面白いと思っているけど万が一面白くないとなってしまったらと考えると怖くて出入り口の近くに置くことすら憚られてしまうのだ。この文章は面白くしようとか人に見てもらおうとかそんなことを考えて書いているわけではない。これを後ろにつけないと公開ボタンは押せない。

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