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社員のコミットに頼らない会社作りってアリな気がする
きっかけとしているのは、自分のツイート。
これからは(社員が)なんとなくコミットしている状態で、いかに良い会社を作るかが大事だと思う、という言葉が印象的。
— Yasuda/人事屋 (@Hr2019Yasuda) September 14, 2021
自社の新卒採用を見てると、とても的を射ているなと感じる
【星野佳路】後継者、海外戦略、経営哲学。すべてを語る #NewsPicks #ddd #デューデリだん https://t.co/SNjKaniJ9m
デューデリだんって番組は面白いなと思って見ています。
星野リゾートの回で、印象的だったのが「これからの人生は『会社の業績にフルコミットして』なんて発想をやめなきゃ。なんとなくコミットしている状態で、いかにいい会社を作るかの方が大事かもしれない」という言葉。
「フルコミット幻想」はあるなと思っているところがある。
僕自身もベンチャーみたいな会社で働いたことがあるので、バリバリ働くこと自体を否定するものでは無いけど、そうでなければならないというのもまた違うのかなと。
当然、会社としてはフルコミットしてくれるに越したことはないが、これだけ働き方や価値観が多様になってきた中で、フルコミットってかなり難しいと思う。プロジェクトとか、局面においてフルコミットするという一時的な状態はあると思うが、常態化させるとか、常態化している人を採用するというのは難易度が高い。そもそも何を以てフルコミットかってとこも測りづらいところではある。
ベンチャーなどの少人数の規模の会社にとっては、フルコミットしてくれないと戦力として厳しいという側面があるので、採用もかなり強化しているのだと思う。
エリートコースを設けているなど、限定的に採用するのは良いと思うが、それなりの規模の会社が真似るには限界があるのではないだろうか。
「なんとなくコミットしている状態」の社員が多いという状態は、冷静に見て多くの会社でごく当たり前のことだと思うが、その状態で「いい会社をつくる」ということになると、「なんとなくコミット」を悪とする感じになってしまう気がする。
昨今、エンゲージメントというマジックワード的なものが席捲しているが、どうしてもコミットを高めようという動きになる。コミットが高い方が良いというのは明らかな気がするし、愛着心高い経営層からすると、コミットがそこそこということを是とはしづらいだろう。
なんとなくコミットしている社員が、何に対してコミットしているのか、会社と何でつながっているのか、画一的なものでは無いにせよ、これがわかると面白そう。そして、その状態で社員と会社がwin-winになれると、コミットが高くなくてもエンゲージメントは強化されそう。
そんなことができないからコミットを高めるとか言っているわけなんだけど、星野社長の言葉についてはこれまで盲点だったなという気付きがあった。「お互いに成果が出ているから、『なんとなくコミット』の関係でもいいよね」っていう世界観は良いなと思うし、複業が増えると加速するだろうなと思う。
一方で、すでに「なんとなくコミット社員が大勢いる」という実態はあると思うので、その状態で良い会社を作るっていうのは、実は足元の課題だったりもするのかな。そういう意味では、これまでそういうアプローチを取っていないのは、ちょっと冷や汗ものではある。とはいえ、どんな組織開発をしていけばよいのか、イメージはまだ湧いていない。
社員のコミットに頼らない会社作りってアリな気がする、という話。