2025.01.09-10
2025年、一、二発目のタネノチカラでした。
(お詣りに行った日を除いて)
〈やったこと〉
9日(木)
大豆の脱穀
本のテーマ・新コンテンツのブレスト
10日(金)
大豆の脱穀、菊芋堀り
〈感じたこと〉
大豆の脱穀
木曜日は極寒な日。最高気温6°、最低気温0°。早朝には雨が降っていたので、大豆が湿っていた。(お昼には雪降った。)前日と比べて脱穀しにくかったらしい。乾燥しているという状態が脱穀にも必要なのか。大豆になる過程に必要なのかと思っていた。そんなに種が取りにくいなんて、大豆も米と同じように、人に栽培してもらうように種を落とさないようにしてるのかなとか思ったりした。
金曜、晴れて乾燥した大豆を叩いたり剥いたりして大豆採取。やりやすさが全然違った!まとめて叩いてても振るいにかける際、砂やゴミが邪魔になる問題を、上手く取り除けるようにまなみちゃんがダンボールや木の棒やらを活かして装置的なものつくっていたの、天才だった。どうやったらやりやすくなるか、その視点を持っておくことは、とても大事だと思った。極寒の中食べた、ホクホクの焼き芋が美味しかった。🍠
脱穀中聞いたお話、石積みの文化を残す
石積みとは、石垣などの石を積み重ねた構造物を作る方法であったり、構造物そのもののことを言うらしい。徳島にこの文化を残そうとしている人がいるそう。昔は壊れたら自分たちで直していたが、今はそのやり方を知ってる人は少ない。続いてきた技術と知恵が失われつつあると言う。
石積みに限らず、昔は自分たちでつくる・直すができていたものが、今は外注して外に頼ってなんとかすることが当たり前になっているように感じる。この状況は、資本主義で産業が発展して分業が進んだからだそうだ。わたしも自分でつくれる・直そうなんて思うことなく、買うことをすぐ考えている自分がいる。
''自分達で石を積むという行為は、その土地に対して意識を馳せることであり、その土地を体で把握することでもある。''
https://www.patagonia.jp/stories/pile-up-stones/story-130921.html
上の記事を読んで、自分でつくる・直すことができるというのは、自分事の範疇を増やすことなのかもしれないと思った。自分で運転するからその道を覚えられるみたいに、自分でやるからわかる、意識するものが増える・広がるみたいな。最近はすこーし、自分でつくれそうなものをつくってみる、代替できるものを考えてみる、みたいなことをやってみることが増えたけど、そうしてみるとそこの地域のことや土地のことをを知ることに繋がっていたようにも思う。自分のために少しでも生きる力を身につけるためにとやろうとしたことも、「自分ができるようになった」と感じるより、外のものに目が向き自分は社会や自然の循環の一部だということを感じるような。
金曜に出たフィンランドで、その子が得意なことをやらせて褒めて自己肯定感を育てる教育を受けさせた結果、チャレンジする子が少なくなったという話があった。「できる」という自負を増やすよりも「できた」という体感・経験の数を増やす方が肯定感が勝手に根付いていったり、冷静に自他ともに現状を把握できる力がつくんじゃないかと思った。それをし続けた先に、奥田さんが言っていた、70代のずっと畑をやってきていたであろうおじいちゃんが 「毎年、素人や」と言っていたという話に繋がる気がする…。
つくる・直すの受け継がれてきた技術にはどんな知恵があるのか、そこから何が繋がっているのか、それがなくなったらどうなるのか、これからどうすることが必要なのか。自分自身もやれることを増やしながら、考えていきたいと思った。
木曜午後のブレスト
アイディア出し、みたいなのはあまり得意ではないけど、時間をある程度決めつつまなみちゃんとポツポツ話しながら進めるのはやりやすかった。新しいワークのアイディア出しも、ひとつの単語や誰かが言った小さな一言から広がっていく感じが面白かった。
三猿ワークのアイディアは特に面白かった。見ざる聞かざる言わざるの諺は、論語からきているらしい。諺をも問い直すワーク、面白い。
同時にその話から、自分が五体満足であることも当たり前になってるなと思った。木曜の帰りも、白血病の友人と電話をした時に、2025年を迎えられてよかったと言っていて、自分は一年を超えたことも当たり前になっていたなと思った。当たり前って本当に気づかないことなんだなと思った。自分1人で考えることや、自分の立場や考えと近しい人たちといるとその当たり前に気づきにくい。だからこそ、さまざまな人がいること、その人の考えを知ろうとすることは大切なことだなと思った。
金曜の午後
seedbedで菊芋掘りして、畑に行って、脱走した一羽の烏骨鶏追いかけた。どこかのタイミングで上着がセンダングサまみれになって、みなさんに取ってもらった。モコモコはもう着ていかない。