ショーター・ウォンの死は悲劇ではない
BANANA FISHという物語の中で最大の悲劇として語られるのがショーター・ウォンの死だ。
ショーターを嫌いな読者(または視聴者)は恐らくいないであろう。
チャイニーズのボスとして仲間たちから慕われ、強く、友情に厚く、男気溢れる、本当に良い男である。
当然、わたしも大好きだ。
そんな彼が人体実験の被験者としてバナナフィッシュを注射され、あのような最期を迎えたことに、誰もがショックを受けたに違いない。
特にアニメではキャラクター個々の表情や涙、声色が原作よりさらに強調され、悲劇性が増したように感じられた。
9話でBANANA FISHの視聴を断念したという人も中にはいるだろう。
それくらいつらく重々しい場面だった。
物語においても、ショーターの死が持つ意味合いは非常に大きく、その後のストーリー展開に後々まで影響を及ぼすことになる。
ショーターの死が持つ意味。
一つ目はもちろんバナナフィッシュという薬物の恐ろしさの確認だ。自我を完全に崩壊させてしまう、解毒剤がない、その救いのなさを登場人物と読者(視聴者)は否応なしに思い知らされることとなった。
二つ目はアッシュとチャイニーズとの間にぬぐいようのない遺恨を残してしまったこと。それほどショーターが仲間たちから慕われていたことの証だが、これは最終話まで引きずる暗いしこりとなる。
三つ目はアッシュと英二の関係性の変化だ。
アッシュは英二のためを思い、本当は一緒にいたい気持ちに嘘をついて日本に帰そうとしていた。
だがショーターを自らの手で殺してしまったショックから、一人ではいられないというところまで追い込まれてしまった。
ずっと一人でやってきたアッシュにとって、初めてのことなのだろう。
生きるため、人殺しに手を染めてきたアッシュだが、愛する者を傷つけられることを何より恐れる彼にとって、ショーターの死は精神崩壊の危機につながるほどの痛手だった。
初めて他人に弱さを見せたアッシュに、英二は何があっても君の味方でいる、そばにいると告げる。
英二はアッシュがショーターを撃った原因が自分にあると思っていて、そのことで自分を責めている。(だがそれを決してアッシュの前で出さないのは、英二の強さだ。自分まで弱っていてはアッシュを支える人が誰もいなくなるから。)
英二にとってアッシュといることのメリットは何もない。逆に出会ってからずっと危険なめに遭い続けている。
しかも「札付きの不良で、男娼あがりの殺人鬼」であるすべてを知った上で、それでも無条件に味方でいて、自分が望めばずっとそばにいると言う英二に、アッシュはついに心を開く。アッシュにとっての夜明けだ。
共通の友人であったショーターの死は奇しくも、ソウルメイトたる運命にあった2人を決定的に結びつける転機となった。
以上のように、ショーターの死がいかにBANANA FISHという物語の中で大きな分岐点であったかは疑いようがないのだが、ではショーター本人にとって、それはどのような意味を持つのだろうか。
多くの読者(視聴者)と同様、わたしにとってもこの出来事はトラウマで、見返したくないシーンだった。
だが理解を深めるという目的を持ってしっかり見返してみると、初見の時とはまったく違ったものが見えてきた。
少なくとも作者はこの出来事を単なる悲劇として描いていないということだ。
ニューヨークに向かう飛行機の中でショーターが眠る英二にかけた言葉。
「もし、あのじじいがお前に…妙なまねをしようとしたらオレはーー。そんなことになる前に、必ずオレが…この手で殺してやるから…。絶対苦しませたりしないからな…。お前が何が起こったかわからないうちに、死なせてやるから…。」
これはショーターの男気と英二への友情を表すセリフだと思っていたが、それ以上に深い、すべてを予見したフラグだった。
この言葉から分かるのは、ショーターは命よりも尊厳を重んじる人間であるということだ。
(この点で、アッシュと彼は異なると考えてよいだろうか。アッシュは生き延びることを優先する)
英二の尊厳が奪われるくらいなら、苦しませないうちに一瞬で殺す。そのためなら自分の手を汚しても良いと、涙ながらに決意するショーターがなんとも男らしく、読者(視聴者)はだいたいこの辺りで彼に惚れる。
だがバナナフィッシュを注射され、自我を奪われた彼は、英二にナイフを向けてしまう。
この時ショーターは著しく尊厳を奪われた状態にあったはずだ。命に代えて守ると誓った英二を自らの手で嬲り殺しにしようとしていたのだから。
自害が可能なら、きっとそうしただろう。それが無理であるならば、誰かの手で…。
英二に血生臭いことが向かないのは分かっている。ならば親友であるアッシュに頼るほかない。例えそれがアッシュを苦しませる結果になったとしても、ショーター自身、英二の尊厳を守るためなら自ら手を汚すと誓ったように、親友であるアッシュにも同じことを求めたのは、きっと強い信頼からだったのだろう。
その必死の願いに、アッシュは応えてくれた。英二を殺してしまう前に、ショーターの尊厳が完全に損なわれる前に、一瞬で。
きっと最期ショーターは心底アッシュに感謝しただろう。そして幸せだったと思う。何より強い友情を感じながら逝けたのだから。
BANANA FISHはとにかくたくさん人が死ぬ。しかも良い人たちが。読者(視聴者)はその度に心を削がれる。
だが一つ一つよく見てみれば、その死は決してただの悲劇ではないのが分かる。
スキップは尊敬するアッシュの命を守った。
グリフはバナナフィッシュを追い詰めるためのヒントを与え、英二やマックスとアッシュの結び付きを強くし、さらにアッシュを資金を得るために身体を売るという役割から解放した。
ジェニファの死はジムの心を開き、アッシュとのわだかまりを解消するきっかけになった。
アッシュはここで述べるまでもなく…。
この物語において一番つらい役回りを押し付けられたのは、たぶん生き残った英二とシンだ。なぜこの2人だったのか。それにも理由があると思う。
この2人だけの共通点。それは両親が揃っており、かつ仲の良い兄妹がいる、つまり家族愛に恵まれ、幸福に育ってきた人間ということだ。
タイプは違うけれど、2人とも根っこの部分はよく似ていて、お人好しで、信じる心が強く、性格が良く、素直で、周りの人間に好かれる。
アニメでは尺の関係か絡みが少なかったけれど、マンガの方ではしっかり友人関係を築いている。
(ショーターも彼らに近いものがあるけれど、ショーターはお人好しではない。すべてが終わった後、シンは月龍を許し、かつサポートに回ったが、ショーターはあの時可能であれば月龍を殺していたと思う。ショーターは仁の人だが、苦労している分、現実主義者だ。)
シンに対し、仲間たちが月龍から英二暗殺の命を受け動いていることにまったく気付かなかった件について、若さやボスとしての経験不足が原因と捉える方が多いと思うが、彼の場合、仲間を信じる心の強さが一因としてあげられる。
(1話でアッシュが仲間の様子に不信を抱いたのは、彼が非常に優能であることに加え、彼自身が語ったように、常に最悪のことを想定して生きているからだ。)
幸せな死とつらい生。
人生は平等にできている。そう作者は言いたかったのではないか。と思ってしまうのは、わたしがひねくれているからなのかな。
大学生の頃またまた読んだ本の後書きを、こちらの作者が書かれていた。その内容から、ご両親(またはどちらか)との関係があまり良いとは言えず、生きづらさを抱えているように感じられた。
こどもの頃親から愛情を得られたかどうかは、その人の一生を左右するのに、それは実に運の良し悪しだ。その人の努力ではどうにもならない。
アッシュと月龍は家族愛に恵まれなかった典型だが、ストリートキッズやマフィアのような人たちは多かれ少なかれその傾向があるのだろう。
英二とシンが犠牲者として選ばれ(または創られ)、7年というつらい期間が与えられたのは、そんな理由からなのではないかな。邪推かもしれないけれど。
少し話が逸れてしまったが、BANANA FISH最大の悲劇と言われるショーター・ウォンの死は、本人にとって決して悲劇ではなかったのだと思う。
むしろ最後まで英二を守り切り、アッシュとの強い友情を感じながら逝けたことは、彼にとって幸福だったと言えるのではないだろうか。
もちろんアッシュ、英二、シン、ラオ、マーディアら、ショーターを愛する者たち、または読者(視聴者)たちにとっては悲劇以外の何ものでもないのだけれど。
それでも、少なくともショーター自身が苦しみだけでなく、幸福な思いもあったかもしれないと考えるだけで、多少救われた気分になるのではないだろうか。
以上、ショーターを愛し、彼の死に苦悩する方々の救済を目指し、綴らせていただいた。少しでもあなたの心が癒されんことを。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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