選択と責任
選択と責任
「人間、多かれ少なかれ絶対に後悔する。後悔しないことなんてない。だからその後悔をいかに少なくできるかってことを考えてみてほしい」
これは、高校の陸上部で引退される先輩から贈られた言葉だ。今でも覚えているのは、僕自身この言葉に共感するところがあってのことだろう。ここでは僕が、死ぬまで忘れることもない、最高に楽しかったオランダ留学に行くことになった経緯と、その結果について話そう。
走馬灯がよぎる時、楽しかった瞬間が脳裏に浮かぶと聞いたことがあるが、僕の脳は高校時代と留学時代、どちらを流そうか悩む。そう断言できるほどに、オランダでの留学生活は最高だった。
大学二年生のとある夜、友人と寝転がりながら話をしている時に、僕は留学を決意した。もともと英語に興味はあった。何なら国語科ではなく英語科に入りたかったくらいだ。というのも、中学・高校の英語の授業でロールプレイングをしていたのだが、それがものすごく楽しかったためだ。あと、海外に漠然とした憧れや興味を抱いていたことも影響している。海の向こうには何があるのだろう、どんな人がいて何を食べているのだろう、そんな感じであの頃の僕は好奇心に満ちていた。せっかく大学にいるのだから、海外の一つや二つ、行ってみようじゃないのと思い立ったのだ。
日本語を話すのは誰か?日本人だ。では英語を話すのは誰か?よく分かんないけど多分アメリカ人。だってプリズンブレイクもフレンズもアメリカが舞台なんだから。だから僕もアメリカ行きを志願した。とてもシンプルな理由だ。この時の留学理由は語学力を高めることだったが、もちろん後付けだ。
来る二〇一六年八月二五日、僕が降り立ったのはアメリカではなく、オランダの首都アムステルダムだった。なぜアメリカではないのか?これまたシンプルな理由で、僕の語学力不足故だ。私費留学は費用面の観点から、とてもじゃないが実現できない。そこで交換留学一択だったわけだが、他の立候補者の方がIELTSの点数が高かったし、そもそも僕の点数はアメリカ留学のボーダーを下回っていたのだ。もちろん語学力を上げる努力はしてみた。してみたものの、到底アメリカに行くには届かなかった。因みにIELTSは一回の受験で三万円程かかるので、受ける時はそれなりに準備することをオススメする。
アメリカ留学が非現実的だと知った僕がとった手段は、留学先を自分のレベルに寄せることだった。食堂に行くのはめんどいから食堂が来てくれの理論だ。何を隠そう、オランダ留学は僕の得点圏内だったのである。
「オランダはなんせ立地がいい。ヨーロッパ諸国へのアクセスが簡単で、多くの国に行けるからいろんな人との出会いが望めた」
オランダを留学先として選んだ理由を訊かれた時、僕はこう答える。すると質問した人の多くは世界地図を見て「確かに」と納得してくれるのだ。
この納得度の高い理由は、時を同じくしてオランダ留学を決めた先輩の留学先選定理由から着想を得た、というかほぼパクらせていただいた。さすが先輩、いつ何時も頼りになる。では、僕は何のために留学に行ったのか、という核心のところだが、行きたかったから行ったという理由に他ならない。先に述べたように、海外で生活してみたかったのだ。場所や言語は正直、どうでもよかった。
傍から聞くとおよそテキトーな留学だと思われるだろう。だがしかし、オランダ留学に行って良かったと、僕は心の底から思っている。この留学経験が卒論に活かせたわけでもないし、キャリアを切り開くための武器になったわけでもない。むしろ卒業は一年遅くなったし、留学から帰ったら同級生はみんな卒業していたので、気分はまるで浦島太郎だった。それでも僕は満足したのだ。
満足できたのは自分がやりたかったことを実現できたから、という理由だけではない。オランダ留学が僕にとって最高の経験になったのは、友との出会いがあってこそだと思う。先に述べた先輩のように、僕と同時期に日本からオランダに渡った日本人たちがいた。彼らとは本当に気が合うし、今でも一緒に遊ぶ仲だ。僕たちは「アヴァンギャルド」と呼ばれる寮の中で一緒に住んでいた。何かあればコモンルームというコミュニティスペースに集まったし、何もなくても集まった。各々の料理を持ち寄って一緒に食事するのはしょっちゅうだった。
もちろん、アヴァンギャルドに住んでいたのは日本人だけではなかった。インド、ギリシャ、フィンランド……。同じフロアだけでも様々な国から集まった留学生が住んでいた。とりわけ親しかったのは、フランス人のブリース――彼はイケメンで長身、博識かつユーモア満載のゲイだ。
ブリースはよく物を拾ってきた。道に落ちていた大きな鏡、ピンク色のサングラス……などなど。そして拾ってきた物の良さを語ってくれるのだ。ある時、僕も真似をして拾ってきた栗をブリースに見せた。彼は喜んでくれて、もっと栗を集めてドデカいマロンケーキを作ろうと二人で盛り上がっていたのだが、後にそれは栗によく似た毒のある植物だということが分かった。
ケーキと言えばブリースから貰ったとあるケーキは美味しかった。詳細は割愛するが、僕にとってはただのチョコブラウニーだったし、食後にマズイことも起きなかった。
日常生活の至るところで、僕たちは一緒に過ごした。ここに書き尽くせないほどの思い出があり、とにかく毎日が楽しかった。見知らぬ土地で、新しい友達ができる。これほど素晴らしいことは、そうないと思う。確かに、この留学を経て僕の語学力が急激に向上したわけではない。オランダの大学で学んだバランスシートの書き方が、就職活動で活きたわけでもない。それでも僕は、留学に行くという選択は、決して間違いではなかったのだと、胸を張って言える。かけがえのない友達ができたのだから。
しかし、僕がオランダでの生活に自己採点で百点満点を付けても、他人はそうではない。お節介にも赤点を付けてきやがるのだ。
就職活動の中で、一度だけ本心から留学理由について伝えてみたことがある。そこで僕は何とも言えない気持ちになった。やっぱり人の意見なんて当てにならないなと、改めて感じることになったのだ。オランダ留学に行っていたので一年卒業が延びたことを伝えると、その面接官はこう宣った。
「え?英語力たいして伸びてないって……何のための留学だったの?」
アホかこいつは!語学力が目的ではないと伝えたばかりだろうに。そもそも興味本位だったこと、自分の見聞を広めたかったこと、いろんな友達ができたので満足のいく留学だったことを改めて伝えるも、彼には最後まで納得できなかったようだ。まぁ僕の伝え方も悪かったのかもしれないが、彼にとっては、留学=語学力強化のため、という大前提があるようだったから、どこまでいっても平行線だっただろう。おまけに頼んでもいないアドバイスまでしてくれた。行動に移す前に目的を明確にした方が~云云、と。もうこの時点でテンションはガタ落ち、以降の面接時間は僕にとって時間の無駄だった。
思うに、多くの人が自分や他人の行動に理由を求めすぎているのではないだろうか。それも実利的な理由を。もちろん理由を求めるのは、それなりの役割や必要があってのことだとは思う。でも正直煩わしい。どんなことであっても、最後に決断するのは自分自身だ。どんな結果が待っていようと、それを受け止めるのも自分自身だ。ベン叔父さん風に言えば、大いなる力がなくとも、僕らの言動には全て、責任が伴う。そこで僕は考えるのだ。全責任を自分が負うのであれば、全決定権は自分にあって然るべき、ならば人の意見など(基本的には)聞き流していい、と。そして必要以上に理由を求めてくる人、人の理由にケチを付けてくる人とは面倒なのであまり関わらないようにしている。行動の裏に実利的な理由があれば偉いのだろうか。甚だ疑わしい。
もちろん、僕も悩んだ時はアドバイスを乞う。しかしあくまで参考程度だ。頂戴したアドバイスだけで動き出すことは絶対にない。アドバイス+αにで、納得できる理由を自分自身で見つけて初めて行動に移す。ただし、+αは実利的な理由に限らない。興味本位だって立派な理由だと思う。
だから「〇〇さんがこう言ったからこれは正しい」などと言っている人を見ると心配になる。その〇〇さんは、今後君に何が起きても責任を取ってくれるのかと、訊いてみたくなる。また、「××をしてもメリットがないからやらない」という話を聞くと、やや寂しく感じる。もちろん、興味がないのであればそれをやる必要は別にないのだが、利益がないからやらない、というのはなんだかなぁと思う。
ここまでに語ったことは全て私見なので、もちろん反対意見の方もいるだろう。しかし僕が言いたいのはつまるところ「自分の人生なんだから自分で決めるべきだよ」「自分がイイと感じたら誰が何と言おうとそれはイイことだよ」ということだ。(言うまでもないが、法律の範疇に限る)
話が脱線してしまったが、ともかく「海外で暮らしてみたい(目的)+オランダなら今の自分でも行ける(現実)+それっぽい志望動機を得たこと(建前)」により、僕はオランダへ十ヶ月間留学できた。一般企業からいただいた、月額十五万円・返済不要の奨学金で日々ケバブとフリッツを食べ、欧州中を旅し、恋人まで作るに至ったのだ。肝心の楽しい思い出については、ちょっとまとめきれないのでまた次の機会に語らせていただきたい。
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