先生、どうか皆の前でほめないでください
ずっきーさんのⅩでこんな投稿があった。
今の若者は人前で褒めないでほしいと思う傾向にあるらしい。
個人的には、これは今の若者の問題というよりは、環境の問題のような気がした。
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そういえばこんな本があったなあと思ったが、著者の先生が記事の中にも登場していました。
現代の若者は、「競争」よりも「協調」。「協調」よりも「同調」で集団の中で浮くことを極端に怖がる傾向があるらしい。
「人前でほめないでほしい」というのは、集団の中で「浮いて」しまうわけであるから、それが怖いと感じるということではないかと思う。
なので、褒められるのが嫌というわけではなく、「人前じゃないところでほめてほしい」ということだと思う。まあ、なんとなく気持ちはわかる気がする。
これは、若者の気質というよりは、今の日本の学校教育がそういう教育で、SNS等でもこれだけ炎上リスクが叫ばれているような現代の環境によるところが大きいような気がしている。
この前、小学校にいったときに、あの狭い教室内に30人くらいの子供が密集している授業風景を見て、「よくこんな環境で授業を受けてきたな」と思った。小学校のうちは、低学年だと放っておくと勝手な行動をしがちなので、勝手な行動をしないように指導する。ザワザワしてきてから先生が、「しゃきっとタイム!」というと、子どもたちは、ビシッと姿勢を正す。
私は、正直、小学校中学校のときは早く卒業をしたいと思っていた。あの時代に戻って、朝8時から小さい机で15時くらいまでいるのは、マジで無理と思ってしまう。
冒頭の若者の傾向というのは、そんな戦後の教育がだんだん浸透してきた成果なのではないかと思っている。たぶん、自分より上の世代も教育は変わらなかったというかもしれない。そのうえで、昔はもっとやんちゃだったという。しかし、それは盗んだバイクで走り出すように、ルールを逸脱していたということでもある。
今の若者のほうが素直に言うことは聞く。それは、そういう教育がなかなかうまくいっていなかったけど、数世代経ってやっと成果が出始めたということなのではないかと思っている。みんなが同じ行動をとれるように50年以上にわたって指導してきた成果が、浸透して身を結んでいる。
また、最近では、炎上リスクということが言われる。今は、多様性の時代でなんでも自由に発言できると言えるかと思ったら、そんなことはない。言ってはいけないことのほうが多い。一発アウトのときもある。
そうしたら、何を言ったらいいかわからなくなり、何も言わずにリスクを取らない選択を選びたくなるのは当たり前だと思う。その状況で「人前でほめられる」というのは、「周りから何を言われるのかわからない」のであるから、若者が「勘弁してほしい」と思うのは仕方がないような気がしている。
ということで、冒頭の状況は若者の問題というよりは、そういうふうに捉えるしかなくなってしまった環境の問題、ではないかという気がしている。
ここまで言って、「人前でほめられたくない若者」が生み出された現状を肯定しているように見えるかもしれないが、そんなことはない。
「人前で褒められることが肯定されない環境」になっていることが問題だと思う。
おそらく、「誰かに褒められたい」という気持ちは今も昔も変わらない。変わったのは、「誰かに褒められるリスク」が昔よりも強調されるようになったことではないかと思う。
そうするとこの状況から、結局、何がいえそうなのか。この状況にいる若者たちにとって、建設的かもしれないことを2点くらいあげてみようと思う。
ひとつめは、逆説的かもしれないけれどリスクを取るとハネやすくなったということ。
これだけ同調圧力が蔓延している今の状況だとすると、適切なリスクを少しでもとれば、集団の中でライジング(最近コテンラジオをよく聞いています)しやすくなっているということが言えると思う。もちろん、炎上リスクがあるので、リスクの取り方を間違えると大変だけど、少なくとも、「同調圧力の中から抜けてしまえば無双」という状態に昔よりはなりやすいというのはある意味チャンスかもしれない。
もう一つは、この状況を作っているのに自分自身も含まれているということ。したがって、同調圧力の流れを変えられる可能性が自分にもあるということ。
それは何かというと、私は「言葉」ではないかと思う。
「言葉」には流れを変える力がある。
それは、必ずしも強い言葉だけではなく、対立でもなく、誹謗中傷でもなく、反論でもない「言葉」でも流れが変わることがあると思う。
「人前で褒められる」ことも「言葉」が流れを変える瞬間だと思う。
そのときに、僻みや妬みの同調圧力が生まれそうな状況にあったらどうするのか。
例えば、誰かが「人前で先生に褒められた」とする。そうしたら、周りが褒められたことを肯定する「言葉」をかけることができたらいいんじゃないか。
例えば、「私も、先生が褒めたのと同じように素晴らしいと思った」と誰かが言えば、周りもそれに同調して、「褒められることを肯定する流れ」が生まれるんじゃないだろうか。
「言葉」に流れを変える力があることを知っていて、その「言葉」の使い方、そしてそれを言ってみるちょっとした勇気を知っていれば、きっとみなが誰かが人前で褒められることを良きと感じる流れを自然に生み出せるような気がしている。まあ、そういうのを言うのがおよそ不可能な環境もあるかもしれないけど、そういう環境だったらむしろ早めに抜け出すことを考えた方がいいんじゃないかと思ったりもする。
そんなわけで、私はどんな形でも褒められたら素直にうれしいですと言ってみて、「今日一日を最高の一日に」