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モノカキングダム答え合わせ⑧【高塚しいも(siiimo)さん】
※またクソ長くなってしまいました(笑)
いや~また間が空いてしまいました~💦
今年に入ってなかなか忙しくなってしまいました。とりあえず元気でやっています。
今日は、愛知県尾張一宮で仕事。朝、東京駅から新幹線で出て、お昼ご飯だけ食べて、夕方新幹線で帰っています(笑)。
あまりにも弾丸なので、せめておいしいもの食べて帰ろうということで、うなぎを食べてしまいました(笑)おいしかったです。
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帰りの新幹線で、仕事をする気にもならないので、気分転換にnoteを書いてみました。そうしたら止まらなくなってきました(笑)
去年の末に行われたモノカキングダム2024。考察も、ついに、入選作品の8作目です。
もはや去年の12月の話であるにもかかわらず、2月になっても未だに考察をやっています。
先週はマジでぜんぜんnoteが見られませんでした。その間にいろいろな人がどんどん更新をしていて、もはや話題についていけません(笑)
一応説明すると、未だに自分の立場を完全に棚に上げて「モノカキングダム過剰考察」なるものを書いてます。モノカキングダム2024の入選作品の考察を順番にしています。
エントリー作品です。
たまってきたので、マガジンにしました!
今回で、入選作品もラストです。
今回はダラダラ語らずいきなり入ってしまいます。髙塚しいも|5児の母さん(siiimoさん)の作品です。
正直、間がたってしまって、もう一回改めて読みこむ必要が生じてしまいました。しいもさんからコメントもいただいていたので、申し訳ないなあと思っています。
間が空いてしまうとその分余計な期待値も上がってしまうかもしれず、かえって自分の首を絞めてしまうのではないかなどと思っていたのですが、結局ダラダラと時間が過ぎてしまいました。
そうしてまた、この作品、どうやって考察記事を書いたらいいかなぁと悩んでしまいました。
何故そう思ったかというと……
何を隠そう、私が投票をした作品が髙塚しいも|5児の母さんの作品だったからです!笑
お前が誰に投票したかなんて知らんがなと言われそうですが、当時は、悩みに悩んで手持ちの1票を投じました。
そうはいってもですね、本当に僅差で悩みました。別に、これは私だけではないと思います。
そして、改めて、入選作品を一つひとつ考察してきて、やっぱりどれもK点を簡単に超えて、素晴らしくて、考察しがいのある記事ばかりでした。
そうすると、しいもさんのこの記事、自分はここまで他の記事を考察してきたうえで、どういうふうに読めるんだろう。
そんな気持ちでもう2カ月近くたってしまってから、もう一度読み直すことになりました。
そうして思ったことを正直に述べます。
もし、一通り考察を終えて、もう一回投票することがあったとしても、私は、この作品に投票していた、そう思いました。
はじめて読んだとき、いや、どちらかというと投票作品を決めるために2回目に読み直したときの衝撃を思い出しました。
そして、この作品は、noteだったからこそ、仕上がった作品なのではないかと思います。
そして、もう一つ。
この記事は、うまく考察できるかどうかわからない……
なんていったらいいんでしょうね。っていうか、なんでうまく考察できそうにないのかを、言葉で説明するのは、無理っぽくないですか(笑)
他の作品にも言えるのですが、考察をすることによって、その作品の良さを落としてしまうのだとしたら、本意ではないのです。でも一方で、本当にいい作品は、私なんぞがあーだこーだいったところで、その良さがなくなることもないだろうと思ったりします。
ある意味、簡単に説明することができなさそうなその作品の良さをあえて説明しようとするのは、私にとっても挑戦なのかもしれません。
この作品は、そんな名作ではないかと思っています。
ということで、中身に入ってみますね~
あなたの「こえ」のその先で、会えたら|短編小説 【高塚しいもさん】
改めて
しいもさんの文章のイメージって、「元気で楽しいお母さん」のイメージだったんですね。
実際にそういう作品も多いと思います。
でも、しいもさんの記事で、当時、衝撃を感じた記憶を思い出す作品があります。
この作品について、詳しくここでは書かないですが、「優等生」という言葉が一つのキーワードで出てきます。
私が、衝撃だったのはグラデーションでした。
およそ言葉ってそうなんじゃないかと思っているのですが、例えば「優等生」と「優等生じゃない」の間には、無数のグラデ―ションがあるのではないかと思うのです。
この「優等生」と「優等生じゃない」のあいだの、無数のグラデーション。これを文章で如何に伝えるか、単純な白と黒ではなく、その間のグラデーションが文章という形で丁寧に描き分けられている。
その解像度が高いことがすごい文書の秘訣の一つなんじゃないかと思ったりしました。
白か黒かだけじゃなくてその間のグラデーションをどのくらい意識できているか、あるいは、例えば、そこにもう一つ次元を加えて、立体的にする、構造的にする、そんな発想で考えると「私に書けること」のバリエーションって飛躍的に増えそうです。書き手が描ける無限の可能性を感じます。
さらに、この作品には、「優等生」と「優等生じゃない」のあいだの無数のグラデーションだけじゃなくて「優等生のフリ」っていう概念が入ることで、文章の奥行きが飛躍的に広がっているように思います。
あ、この人は「ことば」に対して、ものすごい、半端ない気を遣って文章を書いている……
「ことば」に対する深い敬意を感じました。
そうして、今回の作品。
今回は、短編小説です。どんな作品なのでしょうか。
そんなわけで、いよいよ中身にはいってみます。
書き出し
四十九日を終えても、私の体はあの人がいない世界に慣れやしない。
この手は米を2合研ぎ、
この目はあの人に合う新しい服を探し、
この耳はあの人の低くかすれた声を求めた。
書き出しは、「三行で撃つ」。
そんなことをこの考察シリーズでは述べてきましたが、まさに、ですね。まさに。
もう、1行目で状況一発理解じゃないですか。
そして、2行目以降は、身体感覚です。
そして、今回のモノカキングダムのテーマは、まだ覚えていますか(笑)。
「こえ」
です。
4行目(実質的には2文目)で出てきました、「あの人の低くかすれた声」。
身体感覚を述べていく中で、さりげなく「声」を導入しているんですね。
もう空気が作りあげられています。
完璧な立ち上がりだと思いました。
そして、次の一文
――あの人のところに、いきたい。
これって、もう揺さぶってますよね。
いやぁ、このあとどうなってしまうんだと、ドキドキしてしまいます。
そして、「いきたい」のところ。
これって漢字で書くのかどうか?って結構悩んだんじゃないかなあ。
私は、小説を読むのは、得意ではないんですけど、小説ってなんでこうわかりにくく書くのかなあと思ったりしてました。
しかし、最近は、解釈の幅を拡げ、読み手の想像力に委ねることによって、その文章の可能性を拡げるという側面が小説にはあるのかなと思いました。
そんななか「いきたい」が、ひらがな……
読み手は、ここで想像をせざるを得ないわけですね。
これは、もしかしたら、誤った深読みなのかもしれない。でも、誤った深読みでも全然いいわけです。というか、正解はない。その人が、そのように読んだのであれば、もうその作品はその人のあたらしい創造になるのです。
これは、私がいつも取り上げている「読んでいない本について堂々と語る方法」のコンセプトです。
だからこそ、「いきたい」をひらがなで書く選択肢って全然アリなのかなって思いました。
この後、回想に入ります。
ふたりきりの、目的地が海しかなかった、なんでもない旅行の果てで。彼はその貝殻を耳にあてて言った。
なに、ばかなこと言ってるの。
若かった私は笑って彼の声を聞き流した。
彼は。導かれたのだろうか。
でもこんなの、忘れ去っていた昔の話。
たぶんです。たぶんですけどもう「、」にするか「。」にするかレベルでめちゃくちゃ練りに練ったんじゃないかと思います。
たとえば「彼は。導かれたのだろうか。」のところ。
文法的に言えば、「彼は、」のはずです。でも、たぶん、凡ミスで間違えたのではないと思います。ここの部分をいったん区切るべきか、区切らざるべきかを検討して、あえて区切ったのではないかと思います。
そして、なんといったらいいのだろう。この「あえて」の選択、これがすごい繊細なチョイスに見えて仕方がない。たぶん、すごい悩んで決めたんじゃないだろうか。「、」にするか「。」にするかレベルをものすごい悩んで決めた。
それがこの文章の随所に払われている、そんなふうに感じてしまいました。
これも、ことば一つひとつに対する深い敬意といえるのではないでしょうか。私も敬意を払わざるを得ません。
きわめてそうっと、その白い貝殻の空洞を耳に押しあてる。
もう一方の手のひらで高鳴る胸を撫でつけ、期待はするなと自分に言い聞かせ、全身の神経を聴覚に集中させた。
右耳に押しあてた貝殻からは、外界を遮断した、まるで世界が違う冷たい空気が流れ込む。
その右奥深くの遠い世界から、なにかが少しずつ近づいてくるのを感じた。
それは、たしかに『こえ』だった。
厚い窓ガラスの向こうからなにかを訴えるような遠い叫び。
マジで全文引用してしまいそうなレベルです……
本当に一文字レベルで一つひとつの言葉を慎重にチョイスして筆を運んでいる。
例えば、最初の「きわめてそうっと」から
「厚い窓ガラスの向こうからなにかを訴えるような遠い叫び。」まで
シーンが慎重に展開していく流れであるからこそ、猶のこと。
あーホントにすごいです。
中盤①
あの世にいつでも飛び込む覚悟で、私は一日を彼のベッドで過ごす。右耳に貝殻を食い込ませ、あの人が「それいいね」と言った白い小花柄のワンピースを身に着けて。
あの世にいる彼にすがりついていく様子が、感覚的にも身体的にも言語的にも、伝わってきます。本当に慎重な言葉の一つ一つのチョイス。
さらにいうとしたら、かぎかっこ(「」)です。かぎかっこをつけているセリフとつけていないセリフがあります。かぎかっこをつけていないセリフ、これも本当に綱渡りのチョイスに見えてきます。かぎかっこをつけるかつけないか、セリフのために改行をするのかしないのか、たぶん一つひとつにしいもさんなりの理由があります。
これは、おそらく明確な理由を持っているというよりは、そのセリフ一つひとつに丁寧にかぎかっこをつけるべきかを選択した結果生まれたグラデーションなのではないかと思います。
それがこの文章全体のことばの解像度を飛躍的に上げている。
これってすごいことだと思います。
こんなに丁寧に紡ぎ出された言葉たち、もはや、その言葉の気持ちになって考えたら(?)、しいもさんに書いてもらった言葉たちはめちゃくちゃうれしいのではないかと思います(笑)
あの人は、いつだって大切なことは声に出しては言ってくれなかった。
それは。今も変わらないの?
私は問いかけ、そのこえを追い求めた。
それに追いつけたなら。
「一緒にいこう」
今度こそ、そう言ってくれる気がして。
主人公の女性が徐々に彼の世界(あの世)へと足を踏み入れていくように見えます。
展開していくのですが、徐々に、しかし確実にです。丁寧なことば運びとシンクロするように、確実に彼の世界の方へと彼女は向かっていく。
今までの他の作品の展開は、鮮やかな急展開が多かった。この話も実は、そうなのですが、「確実な展開を味わいながらも、後から急展開であることに気がつく」ような気がしました。
これを可能にしているのは、やはり、しいもさんの丁寧なことばの選択、ことば運びによるのではないかと思います。
中盤②
—――今夜。会いに来てくれる気がする。
私は震える手で、そうっと、右耳にその空洞を押しあてる。
目を閉じて、全身で、彼のこえに耳を傾けた。
こえは、聞こえなかった。
けれど、瞼の奥に、在りし日の彼がうつっていた。
あの日一緒に海に行った日の、若くて逞しい腕をしたあの人の後ろ姿だ。少しだけ前を行く彼を追いかけ、私は走り出した。
もう少しで飛びつける。
そんな距離まで近づいたとき、彼が振り返った。
やさしい顔。眉毛をぐっと下げる、あの人の笑顔。
「—―――」
こえはやっぱり、聞こえなかった。
「在りし日の彼の姿が目に入る」。そして、「こえは聞こえない」。
この描写は、あえて言ってしまえば「ベタ」です。ベタな展開をベタに書くのは、下手をするとものすごく安っぽく見えてしまうと思います。
しかし、この作品は違いました。
一文字一文字が本当に丁寧に選ばれている。
だからこそ、確実に読み手はその世界の中に入っていけるのではないだろうかそんなふうに思います。
この作品は一文字レベルで味わうべきだと思います。
終わらせ方
「母さん」
その声があまりにも自分に似ていて、ドキリとしながら私は目線を左に動かす。
海外で仕事をしているはずの一人娘が、そこにはいた。
どうして?
私はうまく声が出せずに、視線で彼女に問う。娘は私の頬に、大切そうに触れた。
一つひとつ触れていたらマジで終わらないですね(笑)
もう全部触れるのあきらめました(笑)すいません。
ひとついえるとしたら、一文字レベルの世界だと思います。
その少し甘い声は。
浅黒い肌は。
いつの間にか、若いころの私にそっくりだった。
けれどこの強く私を引き寄せる魂の中には、あの人の血が確かに通っている。
娘の声に、そっと微笑んで、私は応えた。
ここで、「若いころの私にそっくり」という描写が、ニクイなあと(笑)
娘の声は聞こえてきたが、あの人がなんて言ったのかは聞こえなかった。
この文章は最後こんなふうに終わります。
あなたのところには、もう少し、お土産を持ってから行くことにする。
次に会ったその時は。
私にあの時、なんて言ったのか。
素直に、言ってよね。
くくりとしては、主人公が、娘の声で生きて戻ってくるハッピーエンドです。でも、そんな要約はたぶん何の意味もありません。
最後のことば、余韻が残りますよね。
なんて丁寧で繊細な筆の運びなんでしょうか……
そんな余韻も冷めやらぬなか、わたしは一回目に読んだとき、ある重要なことに気がつくことができませんでした。
二回目で、審査に向けてもう一度読み込んだときに気がつきました。
そして鳥肌が立ってしまいました。
なんのことか?
たぶん、モノカキングダムに参加して審査した方は、お気づきの方も多かったと思いますが、私には衝撃な気づきでした。
この文章は、娘とあの人(父)の対比が書いてあります。
娘の声で呼び戻された主人公。
そして、あの人の「こえ」は聞こえなかった――
そう「声」と「こえ」が、書き分けてあったのです。
わたしは、最初娘の声が「声」で、あの人のこえが「こえ」で使い分けているのかなと思っていました。
でも、そうじゃなかった。全然、解像度が違いました。
そうではないことがこの部分でわかります。
ふたりきりの、目的地が海しかなかった、なんでもない旅行の果てで。彼はその貝殻を耳にあてて言った。
なに、ばかなこと言ってるの。
若かった私は笑って彼の声を聞き流した。
ここの彼の声は、「こえ」ではなく「声」です。
そう。彼の言ったことがすべて「こえ」ではないのです。
ここで、note読みの最大の特長は「上下に自在にスクロールができること」ではないかと思います。
よければ今一度、この作品の「声」と「こえ」の使い分けを見てみてください。
そうすると、あの世からのこえが「こえ」であり、この世の声が「声」であることに気がつきます。
そして、このことに気がついたうえで、私はこの部分をもう一度読んで衝撃を受けてしまいました。
――すごい。この世のものじゃない『こえ』がするよ。
そう。あの人は、生きているときから、最初から、貝殻を耳に当てて『こえ』を聞いていたのです。
今になってこの考察記事を書いているこのときにも、鳥肌が立ってしまっています。
この二重かぎかっこ(『』)の『こえ』。
実は、この『こえ』が、この文章でもう一カ所だけあります。
右耳に押しあてた貝殻からは、外界を遮断した、まるで世界が違う冷たい空気が流れ込む。
その右奥深くの遠い世界から、なにかが少しずつ近づいてくるのを感じた。
それは、たしかに『こえ』だった。
厚い窓ガラスの向こうからなにかを訴えるような遠い叫び。
この耳に押し当てた貝殻から聞こえるものが『こえ』だったのです。
そう。2か所ある『こえ』は、どちらも聞いている人が生きているときに貝殻から聞いていた『こえ』だったのです。
また、鳥肌が立ってきました。
しいもさん、「こえ」の解像度がやばすぎます。ここまでのきめ細やかな仕掛け。
そうしたらですね。私、この考察記事書いてて、間違ってた部分があったなあって思ってしまったんです。
それがここ
――あの人のところに、いきたい。
これは、さっきひらがなが「全然アリ」ですねって言いました。
でも、そんなんじゃなかった。解像度が違うんです。
ここは、最初から、ひらがなにするべき箇所だったのです。「読んでいない本について堂々と語る方法」とか言ってた自分が恥ずかしくなりました(笑)
なんというおそろしい言葉の解像度……
しいもさんのことばに対する深い敬意、解像度の高さ。それがこの作品の1993文字すべてに宿っている。
私は、この作品に出逢えて本当に良かったと思いました。
しいもさん、本当にありがとうございました。そして、お待たせしてしまってすいませんでした💦
今後の過剰考察は……?
そんなわけで入選作品の過剰考察シリーズ!無事終了しました!
後半、更新のペースがだいぶ遅くなってしまったのですが、中断とかはせず、マイペースにやっていければと思います。
そんななか、先日、マイトンさんの過剰考察記事のコメント欄でリクエストいただいた
の過剰考察記事は、書きたいと思います!
そして!もし、自分もモノカキングダム過剰考察記事を書いてほしいという奇特な方がいたら、コメント欄にそのむね記載いただいたら、過剰考察記事を書いてみたいと思います~
※今回の考察対象は、モノカキングダムにエントリーした記事のみにします。
ただ、今年に入ってなんだかんだ忙しいので、実際にはみなさんが忘れたころに突然考察記事が現れてくる感じになってしまうと思います。そこは、ご愛敬でお願いできればと思います(笑)
ただ毎回、異様に長文化してしまっているので、分量は減らしたいと思います(できれば2,000字~3,000字くらいにしたい。いつもそう思っている)。
といって、結局長くなってしまう傾向がありますが……(この記事も結局8,000字になってる。長すぎると読んでもらいにくくなってしまう傾向があるので、工夫はしたいです……)
ということで、久しぶりに現れたわりに、結局ダラダラ長文で大変失礼いたしました!次いつ書けるかわかりませんが、あまり筆がさびない程度に空きすぎないように、今後ともよろしくお願いいたします~
そんなわけで、やっと書けた喜びと今でも鳥肌が消えない余韻を残しつつ「今日一日を最高の一日に」