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モノカキングダム答え合わせ|リクエスト編③【ゆずさん】
リクエストシリーズ第3弾です!
「モノカキングダム」はもう昨年の12月の企画でしたが、未だに過剰考察やってます。
総論は、こちら。
ここを見ると一連の考察の視点がわかるかも。
エントリー作品です。
たまってきたので、マガジンにしました!
先日、モノカキングダム2024の入選作品の8作品の考察が終わり、リクエストシリーズも第3弾です。
たぶん、全部で6万文字くらいいってますね(笑)。
本当に毎回好き勝手に書かせていただいております。ありがとうございます🙇♂️
今回の、リクエストシリーズ第3弾。
実は、ゆずさんからもコメントで嬉しいリクエストをいただいておりました!!
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ありがとうございます~!
2月も下旬になってしまいました……ホント、すいません……
ということで、リクエストにお答えして、ゆずさんのこの記事を取り上げます!
わたしをこえてゆけ。ゆずさん
こちらの作品です。いつものように書き出し→中盤→終わりで見ていきたいと思います。
まず、注目したいのが「こえ」をどう扱ったか?ということです。
普通に考えると出てくるのは、「声」です。
そうすると聴覚的な文章が多いのではないかと思います。
これに対して、「声」以外の「こえ」で攻めた作品が一定数ありました。
こういうのを読んだとき、どう思うか?
いや~攻めてるな~(笑)
ですね(笑)
この点について、モノカキングダム過剰考察でオーソドックスの裏を取りに行く戦法だと書きました。
これ以外の「こえ」は、若干攻めている印象がありました。
「超え」や「肥え」、「こえ~」なんて言うものもありました。
このあたりを選択するのはⅯ-1でいえば、トムブラウンとかランジャタイみたいな感じですかね。オーソドックスの裏をとりにいくのは、それだけで大胆です。
でも、これ実はとても戦略的な選択だと思いました。Ⅿ-1とモノカキングダムで違うのは採点方式。全員の合計点方式ではなく、129名が一人2票ずつを持っています。したがって、全員から平均点を集めるよりは、何人かにめちゃくちゃ刺さるほうがいい。
Ⅿ-1も志らく師匠がランジャタイ最高点を付けていた気がします。Ⅹでもトムブラウンが100点と言っていた。ある特定の人に刺さるという意味では、実は理に適っている。
そもそもnoteなんて、全員に読んでもらうものではない、特定の誰か、ターゲットに読んでもらうもの。そうであれば、noteの書き方としても大正解だと思いました。
この作品のタイトルは、「わたしをこえてゆけ。」
あえて漢字を当てるのであれば、
「超え」
です。
攻めてます。
せっかくなので、この戦法(?)のメリット・デメリットについてもう少し触れておきたいと思います。
まず、オーソドックスの裏を取るというのは、「その戦法自体にインパクト」があるというのがメリットです。戦法そのもので「意外性」を出すことができるのは武器です。
「こえ」の使い方でいえば、「こえ」ではない「超え」という時点で、作品に印象を残すことができます。
言ってしまえば、「あーあの作品ね。「こえ」を「超え」で書いてた作品、そうそう覚えてる」みたいな感じになります。
だからこそ、デメリットは何かというと「戦法だけしかインパクトに残らないおそれがある」ということかと思います。
つまり、言い方はあれですが、「あーあの作品ね。「こえ」を「超え」で書いてただけの作品、覚えてるけどどんなんだったっけ」ってなってしまうおそれがあります。
ここの難しさではないかと思います。
トムブラウンがマジで意味の分からない漫才をやってしまうと跳ねない。意味が分からなそうに見えて、大爆笑してしまうのは、実は、意味が分からないだけではない要素を盛り込んでいるから。
要は、奇をてらうだけでは、なかなかむずいだろう、そこにもっていき方がどう入るかということではないかと思います。
そういう観点でこの作品を見るとですね、この作品の面白いこと、驚くべきことがわかります。
「こえ」を「超える」という意味で使っている。その部分は、オーソドックスの裏をいっている。
しかし、奇をてらっているだけではない——
むしろ、極めて王道で攻めているかのように見える。そして、ハネている。
あたかも、トムブラウンが令和ロマンの漫才をやっている(?)かのように見えます。
あと、もう一点、この文章のマジですごいと思ったところがあります。それはこのあと、順に見ていきながら、お伝えできたらな~と思います。
書き出し
ああ、ついに。
じんわりとした喜びと、ほんの少しの寂しさに胸がつつまれた。
中学生の長女に背をこされた。
書き出しの「三行で撃つ」。
いや~、ホントみんなうまいな~(笑)
こっから長くなるの覚悟なんですけど、一文ずつコメントしていいですか(笑)
まず、最初
ああ、ついに。
この5文字ですよ。「何、なに??」って、次が読みたくなるじゃないですか。何かを待っていた、そして待っていたその時がきた、そして、どこかしらエモーショナルさを感じさせるこの5文字。
出だし中の出だしを5文字で勝負する。いや~、こっから、この後期待ですよ。
そして、第二文。
じんわりとした喜びと、ほんの少しの寂しさに胸がつつまれた。
この感情の複雑なグラデーションの中で、ある一点に落とし込む解像度ですよ。つまり、「喜び」と「寂しい」の間にはグラデーションがあって、「じんわりとした喜び」と「ほんの少しの寂しさ」なんですね。そして、二次元じゃなくて三次元なんですよ。両方の感情が一文で書かれることによって立体的になっているんです。
これ前文が「ああ、ついに。」の5文字だからこそハネている気がします。
私みたいな長文書きがちな人間だと、たぶん第一文で余計なこと書いてしまいそうな気がしてしまうんです。
例えば、「ああ、ついにこの時が来たか」とか「ああ、ついにこの瞬間が来てしまった」とかそんな感じで書いてしまいそうなんです。
でも、書かない。「ああ、ついに。」しか、書かない。
書かなくても伝わるんです。いや、書かないからこそ伝わるんです。
いや~超勉強になりました。
そして、第三文です。
中学生の長女に背をこされた。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!(笑)
この二文からのこのもっていき方、最高です。
言い方あれですけど、「長女の身長が母親の身長を超えた」というだけといえばだけの話なんですよ。この文章最初に入れるって選択肢もあったかもしれないですけど、3文で跳ねさせるのであれば、絶対こっちが良いと思いました。この3文のもっていき方で、ここまで変わるかと。
すいません、書き出し3文でかなり分量を使ってしまいました……笑
次
彼女たちをうらやましいと思ったのは、
産み落としてすぐのことだ。←鳥じゃあるまいし。
次女は長女にそっくりで、
顔を見た瞬間、いいなあと思ったのだ。
ここ読んで、びっくりしました。
え、生まれた頃からやるの?って(笑)
2,000字以内っすよ。これで、どうもっていくのか、がぜん楽しみになります。
次、どうなるのどうなるの?って引き付けるのがとても上手い。
と思ったら、次。
中盤①
わたし自身は弟がおり、
男兄弟の良さもさみしさも経験した。
小さい頃はリカちゃん対ゴジラが定番だったし、シルバニアの赤い屋根の大きなおうちには、よくウルトラセブンが突撃していた。
なんとゆずさん自身の子ども時代に回想します。
個人的にここの展開も意外だったなあ
「リカちゃんVSゴジラ」とか、「シルバニアにウルトラセブン突撃」とかがめちゃくちゃ面白かったです(笑)
男兄弟の良さと寂しさを描くエピソードとして、秀逸だと思いました。
しかし、これどうやって展開していくんだろうか。先が気になります。
そして次
やっぱりお姉ちゃんや妹がほしいなあ。
もはや、それは夢だった。
ここにゆずさんの夢が膨らんでいる様子、願望が広がっていく様子がうかがえます。
そう、だからこそ、男兄弟との対比が光る。「シルバニアにウルトラセブン突撃」とかとんでもない光景ですからね(笑)。「やっぱりお姉ちゃんや妹がほしいなあ」にもっていくのに一役買ったんじゃないかと思います。
まるごと夢みていたわたしには、
自分が女の子を2人授かったときは
それはもう嬉しかったし、
とてつもなく喜んだ。
これでハッピー感Max最高潮です(笑)
「ああ、ついに」からのこの喜び。読んでいる側も嬉しくなってしまいます。
中盤②
そしてですね。姉妹の成長のエピソードに戻ります。
姉妹は幼い頃から目鼻立ちがそっくりで、
アルバムの同時期の写真を見ると
母のわたしすら見分けがつかない。
離乳食やお食い初め、はじめて歩いた写真など、とことん同じような顔をしている。
ちなみに姉妹は歩き出した月齢も一緒だ。
いつまでもハイハイとつかまり立ちしてるから、
どうしたもんかなと思っていた。
(中略)
ぴーちく、ぱーちく同じ顔と声で
言うのがかわいらしくて仕方がない。
彼女たちはわたしよりずいぶんと上手い方言を操る。ちなみに、たこ焼きをひっくり返すのも上手だ。
(中略)
わたしはどんどん追い抜かされていく。
2人ともキューピーちゃんみたいな体型で、
とてもキュートだったのにすらっとした
お姉さんになった。
わたしに白髪が生えるスピードで、
彼女たちは、大人に近づいていく。
ほほえましいエピソードが続きます。
本当は全文引用したくなってしまうのですが、私がこの作品を読んで一番すごいと思ったことを申し上げますね。
何がすごいと思ったか?
それは、
「生まれてから「こえる」までを、この限られた文量でここまで詰め合わせて確実に伝えていること」
だと思います。
まず、最初から最後まで、エピソードは盛りだくさんなんです。でも、一つひとつのエピソードそのものは、一文の量としては短い。だから手数という意味では多い。文章やエピソード一つひとつは、分解して考えるとどちらかというと独立していて断片的ですらある。
それなのになぜか、二人のお子様の人となりや成長の様子が驚くほど確実に、ありありとイメージできて、思い描くことができる。伝わってくる。
例えば、こことか
料理とイラストが大好きな女の子と、
ピアノと歴史が大好きな女の子に成長した。
こことか
でも、次女とケンカすれば長女が、
長女とケンカすれば次女がそっとなだめにくる。
我が家の掟は、「ケンカは翌日に持ちこさない」ことだ。新婚夫婦みたいでしょ。
これは、ゆずさんの文章が非常に上手いということもあると思いますが、それ以上の決定的理由が本作品にはあると思います。
それは、
ゆずさんが二人のお子さんをとてもとても大切に育ててきたから
だと思います。
だから10年以上の子どもたちの成長の歴史の中で、二人のエピソードをどのように書いたら一番愛情が伝わるのか、あるいはどのように成長してきたかが伝わるのか、誰よりも完璧にわかっているゆずさんだからこそ、この文章が書けたのではないか、そう思ってしまうのです。
冒頭で、「戦略は奇をてらっているのに、王道に見える」と申し上げました。
これはある意味当然でした。ゆずさんが、10年以上の子どもたちの成長の歴史の中で、ベストなエピソードを少ない文字数の中で選び抜き切っているからです。
つまり、こういえるんじゃないでしょうか。
この文章は、二人の娘さんにとって、一番の王道の文章
だと。
ここまで考察して、自分のこと、超絶反省しました。自分にも、小学生の子ども2人がいるのですが、こんなふうにはぜっっつっつたい書けない(笑)せめて、ある一つのイベントの思い出についてだったらもしかしたら書けるかもしれません。
でもこんなふうに、成長の記録をベストオブベストなハイライトにして書くことは到底できない。
一番近くにいた母が選び抜いたハイライトだからこそ、愛が伝わる。
奇をてらっているのに一番の王道。
ちょっとウルウルしてきてしまいました(笑)
さあ、ここまでもって来られたうえで、エンディングにいってみましょう。
終わらせ方
「お母さん、大丈夫?」
「早くこないと、おいてくよ!」
威勢のいい声が少し前から聞こえてくる。
ふたつのそっくりな声がわたしを呼んでいる。
さあ、ふたりとも。
わたしを、こえてゆけ。
うーーーわーーーーーーーー(笑)
クライマックスで、マックスピークですわ(笑)
エピソードは、ゆずさんと二人の娘さんの10数年の歴史の中の王道中の王道をベストオブベストでチョイスしつつ、迎えたこのラストシーン。
そして、最初に「奇をてらっている」と申し上げた
「こえる」をタイトルの「わたしをこえてゆけ。」と回収してフィニッシュです。
いや~鮮やかです。こんなに気持ちのいいクライマックスはそうそう書けないと思います。
守り守れられる存在から、同士というか助け合う関係が見えてくるという展開もいいですね。
もう一度、上スクロールして第一文に戻ってみましょうか。
ああ、ついに。
この5文字ですよ。もう「ああ、ついに。」っていうしかないんですよ(笑)
最初と「ああ、ついに。」の味わいが全然違うのではないでしょうか。
あ~考察書いてて気持ちよかったな~(笑)
ゆずさん、好き放題書かせていただきありがとうございました!
そんなわけで、リクエストシリーズも次回でいよいよラストです。分量的には本が一冊書けるくらいになっております(笑)
毎回毎回長文になってしまっているので、気が向いたときにでも読んでみてください。
ということで、クライマックスまでマックスピークで(笑)、「今日一日を最高の一日に」