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海の神「ワタツミ」の子孫が開拓した意外な場所とは

7月の第3月曜日は国民の祝日「海の日」。令和6年は7月15日です。

海の日は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨とする日です。



◆7月第三月曜日は 国民の祝日「海の日」

海の日はもともと、1876年(明治9年)に明治天皇が東北地方に巡幸した際に、灯台視察船「明治丸」で航海し、7月20日に横浜港に帰着したことを発露とし、海運の重要性を認識し、海運・海事関係者に感謝する「海の記念日」として制定されていました🍉

「海の日」として国民の祝日に制定された当初は7月20日でしたが、2003年に改正された祝日法のハッピーマンデー制度により、7月の第3月曜日へと変更されて現在に至ります。


◆神道における「海」と「塩」

、そして海が作り出すは日本の文化や信仰において重要な役割を果たしています。

海は、海産物を生み出す「生命の源」であり、生命を維持するために不可欠な「塩」を生み出す重要な存在であり、原初のみそぎが行われた場所でもあります。

日本神話では、イザナギが黄泉の国のケガレを海水で禊を行ったことではらえが成され、天照大神アマテラスオオカミ須佐之男命スサノオノミコト綿津見ワタツミ三神や住吉三神といった神格の高い神々が多く誕生しています。

このことからも禊は、重要な観念を形作る、極めて神聖な行為であることがわかります。
神社に参拝する際には「手水」をとって、手と口を清めて体の外側・内側と祓ってから参拝しますが、これもみそぎを簡略したものです。

また、生命の維持に欠かせない存在であり、優れた殺菌力や浄化する祓の力を持つ塩は、神様へのお供え(神饌しんせん)としても唯一無二の存在であり、塩と湯を混ぜた塩湯えんとうはお祓いの道具としても用いられます。

海が生み出した不思議な塩の力は、様々な形で日本の文化・信仰と深く結びついているのです🎵


◆日本の海の神様「ワタツミ」とは

島国で海洋国家であり、海が生活の身近にある日本。
日本の海の神様といえば…「ワタツミ」

「ワタツミ」は「海の神霊」という意味で、「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」を表す上代語の格助詞、「ミ」は神霊を表す言葉です。

元々は特定の神様を表すものではなく、「ヤマツミ」と付く山の神が多いのと同様、「海の神様」一般を指す普遍的な名称であったとも考えられています。

「ワタツミ」は日本神話では神産みの段で登場する、イザナギ・イザナミの二神の間に生まれる海の神様です。

そしてその後、前述のようにイザナギが黄泉の国のケガレを海水でみそぎをおこなった際にも「ワタツミ」の名を持つ「綿津見三神わたつみさんしん」が出現されました。

綿津見三神のほかにも、住吉三神が出現されました

この時の禊で生まれた「ワタツミ」綿津見三神とは、海を司り海面・海中・海底を守護する神々でありながら、同時に「祓えの神という性質も持ちます。

「ワタツミ」といってもその名を持つ神様は複数存在して、それぞれに様々な別名や御神徳を持っているのですね❣

そんな綿津見三神を祀る「海神の総本社」が、博多湾にある志賀島しかのしまに鎮座する、志賀海神社しかうみじんじゃです。

志賀島は金印が出土した場所としても有名ですが、古代から祭祀が営まれており、古くから政治的に重要な場所であったと考えられています。


◆海の神様の総本社「志賀海神社しかうみじんじゃ

志賀海神社は全国に広く存在する、ワタツミを祀る総本社であると同時に、ワタツミの子孫で古代日本を代表する海人あま族である安曇あづみ族の本拠地として、初代の阿曇磯良あづみのいそらから60数代を数えた今も阿曇家が宮司を務めている、神話と現在をつなぐ神社でもあるのです…!

そんな志賀海神社ですが、例祭である「山誉種蒔漁猟祭やまほめたねまきかりすなどりさい」では、豊漁を祈願に際してはじめに“山を褒め称える神事”を行い、種蒔き、鹿猟の所作を行い、“山の営み”の弥栄を祈ります。

「海の神様」を祀る神社なのに、山を褒める祭祀を行う――。

それはつまり、山を通って浄化されミネラルを蓄えた、豊かな川の水によって豊穣な作物を育て、川の水は海へと流れて大漁の海の幸を人々に与える という自然がもたらす豊かな循環を、昔の人たちは知っていたから。

こうした考え方は、持続可能な生活や環境保護を考える上でも非常に興味深くもあります。
安曇氏はこうした自然の循環を理解し、バランスを保つことで自然の恵みを享受し続けることを理解していたのでしょう…✨

◆海の神「ワタツミ」の子孫が開拓した意外な場所とは

また興味深いことに、海人族と呼ばれる安曇氏は、優れた航海術を背景に全国各地に入植していったことから、祖神であるワタツミも全国各地で祀られることとなります。

「安曇」が移り住んだ土地は、阿曇・安住・渥美・熱海など様々な文字が当てられ、姓としても地名としても全国に広く見られます。
そんな安曇氏が開拓した代表的な土地には、長野県の山間部に位置する安曇野あずみのがあります。

長野県はご存じの通り海に面していない「海なし県」ですが、安曇氏が大々的に入植したこの安曇野には、今も綿津見三神とその子である穂高見命ほたかのみことを祀る「穂髙ほたか神社」があります。

この日本アルプスの主峰である奥穂高岳おくほたかだけの麓に鎮座する穂高神社で行われる例祭の名前も「御船祭」と呼ばれる一風変わったものとなっており、5艘の船が山中を駆け巡り、迫力のあるぶつかり合いを見せます。

奥宮は穂高連峰の麓の上高地に祀られており、嶺宮は北アルプスの主峰奥穂高岳に祀られていますが、山中の奥宮でも例祭時には明神池に2艘の船を浮かべて祭員が乗り込む「御船神事」が奉納されるなど、山の中にあっても海の神への感謝と敬意を示すお祭りが今も斎行されています。

海の神様が山奥に祀られているというのは、少し不思議で面白い現象ですよね。山の中でありながら、海の神様への信仰と敬意を形にして表現する、安曇の歴史を感じるお祭りです…🎵

「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている「海の日」。どうぞ海の神様へのお参りの機会にもされてください♪



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