第28話 陽のあたる道
数えきれない自問自答をくりかえすことが、人間の成長には欠かせないことだと、信じています。
会社を立ち上げて以降、サラリーマン時代とは比べものにならない量の、自問自答を重ねてきたことは確かでした。
気がつくと会社のことを考えている。寝ていても会社のことを考えている。起業を意識し始めてから、そんな状態に至るまでは、意外と短いものです。
(ちなみに、サラリーマン経験がないままに、経営者になる人は、どうして社員は、自分のように思考を重ねられないのか、不思議でしょうがないようです)
僕は帰り道、神泉駅に向かう、右カーブの上り坂を歩いていました。
この会社をどうすべきか。俺はどうすべきか。
模範解答なんて存在し得ない、この難題をどう解くか、ずっと考えていました。
自問自答も、やり過ぎると、よくないのかもしれません。もう、吐きそうになっていました。
どんどん逃げたくなります。何もかも、リセットしたくなってくるのです。
...もう、クレイフィッシュに売っちゃえ。
あの会社、そんなに長くないから、ちょうどいいじゃないか。
高値で売却して、すぐ辞めちゃえばいいんだ。
しばらく経てば、誰も覚えてないはず。
メンバーのハピネスとか、キャリアなんて、気にしてもしょうがないや...
駅の入り口へと、右へ小道を折れた瞬間、
斜め後ろより、女性から声をかけられました。
「あのぅ、小野せんぱい。ですよね」
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翌週僕は、恵比寿駅西口にあった、少し格好をつけたカジュアル・フレンチのお店へ、浮わついた気分で出かけていました。
テーブルの向かいには、名古屋の高校の2つ下の後輩、あかね(仮名とさせてください)さんが、ちょこんと座っていました。
彼女は社会人2年目。名古屋から出て、東京の上品な私立校を卒業したのちに、著名な経営者が率いる、ある人材系の急成長企業で勤めていました。
ダーク・バーガンディ色のワンピースを着こなして、口紅もくっきりと。すっかりと、いい香りがする、大人の女性になっていました。
あかねさんと僕は、プラトニックな関係でした。
高校時代、卒業式の後に一度。彼女が上京してきた直後に、もう一度。二人で街を歩いて、清らかなデートをしたことがあるくらいです。
お互いに恋心はあったと思いますが、それがはっきりしたのは後日談であって。その時々は、相手の気持ちについて、お互い確信はなかったと思います。
近づこうとすると、なぜか進まない関係でした。
縁があるようで、なかったのでしょうね。
それでも、彼女には、いつかまた出会ったとき、「すごいですね」と言われたいなって、どこかでそんな風に考えていました。そういう意味では、僕にとって長い間、影響力を持ち続けた女性だった。と言えるのでしょう。
その彼女と、5年ぶりに、ばったりと神泉駅で出会って、食事の約束を取り付けるのだから、人生は面白いです。
僕はレストランで、普段はやらない、赤ワインをボトルで頼むという判断を下したのち、この5年間のアップデートを始めました。(注:デートの時に、ボトルで身分不相応なワインを頼む男には、気をつけましょう)
しばらく得意げに、起業して社長をやっていることを、話していました。(注:大して何も成し遂げてないのに、起業家ぶる男には、気をつけましょう)
食事が進みます。お酒も進みました。
やがて僕は、自分の会社の経営に、ほとほと疲れきったこと。
さっさと会社はクレイフィッシュに売ってしまって、リセットしたいと思っていること。
お酒の勢いもあって、ぶちまけてしまいました。
僕はただただ、共感して、応援してもらいたかったのです。
ところが、おもむろに、あかねさんは一言、こう言い放ちました。
センパイ... ひょっとして、
すこしメンタル入ってます?
凄くショックだったことを覚えています。
あわよくば、あかねさんと。という出来心に、冷や水をかけられた瞬間でもありますが、それ以上に、この俺様がメンタルなわけないだろ、何言ってるの?と、プライドをかけて、全力で否定していました。
センパイ、あのですね。
会社がうまくいっていないのは、センパイのせいじゃないと思いますよ。
この世の中のせいなんですよ。
変に自分の背中に背負うと思うの、違うと思いますよ。
私には、どんなチョイスが正しいかなんて、わからないですけど。
センパイには、日陰の道じゃなくて、
陽のあたる道を歩いてほしいなって、思います。
格好つけて自分のキャパを超えてワインを飲みすぎた僕は、朦朧としながら、恵比寿駅の階段で、彼女を見送りました。
陽のあたる道、か。
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今思うに、このときの彼女の指摘は正しかったのです。僕は既に、結構なところまで、やられていたのでしょう。
メンタルをやられている人の問題は、問題があることを受け入れられないことです。そして、そういうときに、周りの人がやるべきは、その問題はあなたのせいじゃない。と伝えること。それが第一歩なのです。
そのことを、彼女が知っていたのか、そうでなかったかは定かではありません。
ただ、自分の会社で、創業社長を間近に見ていた彼女は、少し経営者の修羅の世界が見えていたように思いますし、だからこそ、僕に物申してくれたのでしょう。
本当に残念ながら、後にも先にも、この美しい女性とは、ご縁がなかったのですが、この言葉を残してもらえたこと。それだけで、大変なご縁に恵まれたと感謝するべきなのでしょうね。
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