第33話 それぞれの信義則
九月末の季節外れの暑い一日。日本のEC市場を牽引する楽天の、本拠地オフィス最上階。目黒川を望む会議室で、緊迫したやりとりが続いていました。
対面左側の澁谷さんが、まずは挨拶がわりに、一発かましてきます。
プロトレード さんの今年の売上予想は、800万円の着地、バーンが年間で3,500万円程度ということですよね。
将来の事業計画も見ましたが、保守的にみて、ディスカウント・キャッシュフローベースで計算すると、企業価値は良くて1億といったところじゃないですか。
普段は高田純次なのに、一旦真面目モードに入ると、きちんとした日本語になるのが新鮮です。こういうスタイルが、35歳を超えるとモテるんでしょうか。
しかし、この程度のジャブでは、僕も怯みません。
いやいや、澁谷さん。DCFって、セル一つ変えれば、どうにでも数字つくれちゃいますよね。
楽天さんと一緒になった場合の、今後の会員数の伸びと、将来のプラットフォームとしての価値を考えていただけますか?
ムカッとした顔で、澁谷さんが続けます。
中身はやはり、やり手の金融マンです。
一気に切り込んできました。
もう、あまり、まわりくどい話をしてもしょうがないですね。
他社さんは、どういう数字を提示してるんですか?
出来立てホヤホヤ、一年目の決算も迎えていないスタートアップを買収するんですから、企業価値の算定なんて、あってないようなもの。さすがにこのころの自分は、十分わかっていました。
つまり、これは正解のない世界。こちらの回答には、工夫のしようがあるわけです。
この一発目の返答次第で、このあとの交渉の流れがきまります。まずは、どう答えるべきか。素早く頭の中で案を練ります。
案1:B2Bの可能性は無限で、1兆2兆の世界が広がっています。とブチあげる。(いわゆるMasa Sonメソッド)
案2:はい、他社は3億円で出してますね。とブラフをかます。
案3:クレイフィッシュから提示された1.3億円を、正直に言う。
案4:金額は答えられない。御社とは随分と差がある。とだけ言う。
案1をかませるような、ビジョナリーキャラは、この人たちには、ウケなさそうなんで、なし。
案2は、銭形警部から、不義理認定を受け、男塾にて無期懲役をくらいそうなので、なし。
のこるは、案3か、4です。
どうしてかは説明できませんが、直感で、僕はこう答えました。
御社の数字は、僕は他社には伝えていません。
ですので、他社の数字を御社にお伝えするのは、信義則違反かと思います。
ただ、差が大きいということだけは言えますね。
ここで、今まで、じっとやり取りを聞いていた、「爽やかなのに、目が笑っていない」山田常務が動きます。
ぐわっと口を斜め上に開き、ものすごい早口で、まくし立ててきました。
小野さんさぁ、
あんたが信義則とかいうの、おかど違いなんじゃないの?
うちと話をした後に、他と当たってさ。
天秤にかけて、値段を釣り上げてきたんでしょ?
これは面食らいました。
興銀・ハーバード・ゴールドマンの、パーフェクトエリート超人。ロジックで攻めこんでくると思っていたら、いきなり喧嘩ごしで来ました。
テニスだと思ってフィールドに入ったら、ラグビーが始まった感じです。ファウル判定してくれる審判は、そこにはいません。
一瞬のフリーズ。さてどうする?
僕の中で、二つのキーワードが降りてきました。
不義理をしないこと(by 川野)
良い交渉をすること(by 後藤)
まだ当時の僕は、それらの教えを表面的にしか理解できていませんでしたが、つまりのところは、正々堂々とやりなさい。そんなことかなと、考えていたのでしょう。策略なしで、素直に答えます。
いえ、あの、山田さん、僕はそういうつもりはありません。
ご存知だと思いますが、御社とは独占交渉の覚書などは、結んでませんし、
それに、、、
ここで、さらに山田常務が、さらに予想外の動きをします。
もっと、怒り始めちゃったんです。
僕の話が終わらないうちに、たたみかけてきます。
あんたさ、覚書があるかどうかとか、関係ないでしょ!
三木谷はすでに、オファーを出したんだから。
随分と、お行儀が悪いよ。
ルール違反も、はなはだしいんじゃないの!
テニスコートで、サーブモーションに入った瞬間、低くて速いタックルをみ舞われた気分でした。とても、相手に、理があるようには思えません。
この時僕は、腹が立ちましたが、不思議とキレもしませんでした。
腹が据わっていたとか、そういうかっこいいものではありません。
ただ、どこかで、申し訳ないけどこの方々よりは、きつい経験をしてきたという自負があったのかと思います。
僕はすっと、語りはじめました。
山田さん、僕はこの会社を作って、正直なところ、経営者として、何が正しいことなのか、どうすればもっとうまくいくのか、全然わからなくて。
自信なんて全くなくなりました。
ただひとつだけ、この会社とサービスと仲間たちが、どうやれば存続できるのか。それだけを一生懸命考えて、自分が思うその時のベストだと思う判断をとにかく愚直に繰り返してきただけです。
それが、お二人にどう見えるか分かりませんが、私は、私が、正しいと思ったやり方で、やるしかなくて。なぜなら、経営者って、ほんとに孤独で、リアルに頼れる人なんて、いませんから。
お行儀がよいか、悪いかなんて、わかりませんが、とにかく必死でやってるとしか言えません。
それが、気に入らないなら、しょうがないです。
難しいかもしれませんね。
話しながら、ふつふつと、これまでの会社経営のストレスを、思い出します。
物凄く短いけれども、濃密だった、メンバーとの時間を、思い出します。
それは刹那だったけれども、自分のアイデアが形になってゆく創造の喜びを、思い出します。
そして、子供には恵まれなかったけれども、かわりにプロトレード という「子供」に恵まれたということを …思い出します。
そんな思いを、噛み締めつつ、僕は冷静にファイトしていました。
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