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第32話 突入

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腕時計を見ますと、アポの時間になりました。
もう、逃げられません。進むしかない。

開き直ったのでしょう。考えても仕方がないと。

このタイミングで、頭の中の無限ループは止まり、何かのスイッチが入りました。


目の前にそびえ立つ(実際は低層ビルですが)銀色のビルは楽天。Shopping is Entertainementというタグラインを掲げている割には、全くエンターテイメント性を感じない、質素で無愛想なエントランスが、威圧してきます。

その圧は三木谷さんという一人の起業家が、ビルを覆い、生み出していたフォースだったのかもしれません。とにかく、自動ドアをくぐった瞬間、ぐっと身体のこわばりが増しました。

正面受付ブースに座る小宮さんは、なかなかの美人なのですが、やたらと、そっけない感じです。全身ブラックのワンピースが、これまた威圧感を与えてきます。(実は超気さくな、いい人。今はおしゃれパン教室を主宰)


次に、小柄で元気な、秘書の宮坂さんが、お迎えに来てくれました。エレベーターの行き先は、最上階の5階。

5階は、前回、三木谷さんとお会いした、社長室の階です。

サービス精神が旺盛な宮坂さん。エレベーターの中で、僕の緊張をほぐそうとしてくれたのか、ただの話し好きなのかは分かりませんが、気さくに話しかけてくれました。(後日、それは完全に後者だと分かります。)

今日は山田と澁谷がお会いさせていただきます。
三木谷は、遅れて参加する。と聞いています。

ん?!

僕がこの時点で理解していた、楽天側の出席者は、交渉担当者の澁谷さんに加えて、今回初めてお会いすることになる、山田常務の、2名だけ。

エレベーターが5階につくまでの間、瞬時に考えを巡らせます。

澁谷さんは、三木谷さんが来ることを、事前に言わなかったぞ。

どういうことだろう。
これは、何か仕掛けを用意しているな。
考えろ!

どういうことだ?

ボスが予定外に登場するような演出を、わざわざ、なぜ仕込んでるのか。
澁谷さんは、今日、僕が交渉しにきていることを、わかっている。

着地するかどうか、わからないのに。
そうか...

これは、三木谷さんが、取りにきてるな。

パワープレーをかけて、僕らを今日中に落とそうとしているということか。

宮坂さん、ナイスアシスト。

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エレベーターを降りると、広い会議室に案内されます。ドアを開けた入り口側が12名程が座れる、白い長机が置かれた、質素な会議室。

ふと入り口の反対に眼を向けると、その奥に続く別の扉があることに気づきます。奥の院、でしょうか。好奇心がそそられます。

会議室で、僕を出迎えてくださったのは、澁谷さんと、常務取締役の山田さんでした。


中目黒の高田純次こと、澁谷さんからの、山田さん紹介は、こんな調子でした。

この人はですね、興銀で、将来の頭取って呼ばれていたんですよ。

その後、ゴールドマンっていう、かんじの悪い奴らのとこで、楽しくやってたみたいですけど。

かわいそうに三木谷に騙されちゃって、こんな中小企業に、拉致されてきたんですよ。わはは。

澁谷さん、さすがの安定のクオリティ。


山田さんについて、僕が持った第一印象は、一言でいうと

「この人も目が笑っていない」

でした。名刺を交換する時も、席についても、話し始めても、終始にこやかで、爽やかなんですが、目は笑ってません。


ある意味、社会人としてのキャリアを、コンサルティング会社でスタートしたこと。苛烈な労働環境で、やたら頭の回転が速い、俊才エリートから厳しい指導を受けてきたことが、役にたったのでしょう。

クレイフィッシュの荒巻さんもそうでした。僕の中では、その「種族」の方々に対するセンサーと、対処法が備わっていました。

ロジカルモンスター常務の参戦。
でも、心の中は、落ち着いていました。

———

交渉のキックオフです。

僕がシンプルに伝えたのは、前回のご提示はありがたかった。でも、他社が、もっと高い買収金額を、再提示してきた。という事実です。

しかし、具体的な他社の金額は、まだ言いません。
競合先の社名も言いませんでした。


まずは澁谷さんが、詮索を入れてきました。

小野社長も、役員の方々も、前回うちに来てくださったとき、とても前向きでしたよね。

正直、急に他の話があると言われて、戸惑っています。

ひょっとして、NetAgeさんが動いて、他社に持って行こうとされているのですか?

グッド・クエスチョン。

僕は、瞬間的にこれは、いい意味で、先方に勘違いしてもらえるぞと思い、こう返します。

はい、正直なところ、NetAgeには、株を50%持っていただいていますので、無視はできないんです。

先方もネットワークがありますので。

一行目は事実。
二行目も事実ですが、わざと含みを持たせました。


NetAgeはこの前年に、ネットディーラーズというサービスを、ソフトバンクの孫さんに売却した実績があります。これがNetAgeの名前を世間に轟かせました。

おそらく、お二人は、NetAgeが、またソフトバンクに僕らの話を持ち込んでいるのでは。と連想したのではないでしょうか。

アタマは冴えていました。よい交渉の入りができたのではないでしょうか。

しかし、まだ常務が動いてきません。じっとこちらを観察しているのが気になりました。

第33話 →

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