第23話 ダイヤモンドヘッド
この時代に、観光をすることの意義はどんどん薄れていると言う人がいます。それはなぜかというと、今やネットで、そのランドマークの映像も動画も、なんでも観られるから。
このご時世、生まれて初めてハワイへ行って、ダイヤモンドヘッドを見ても、「あー、あの山、有名だよね」という程度の感動しかない、世知辛い世の中になっています。
2000年9月のとある日、プロトレード 経営陣、佐藤さん、岡田さんと、僕は、3人揃って、中目黒の楽天オフィスへ向かいます。
ここで僕らは、その「ダイヤモンドヘッド一応みたよ」的な、なんとも形容しがたい確認作業を行うことになったのでした。
-----
世界のヒロシ・ミキタニ。
いや、当時のタグラインは、ネット業界の風雲児。元興銀エリート、ハーバードMBAで、鬼の一橋大テニス部キャプテン。ヒロシ・ミキタニでしたね。
お会いした時のご年齢は35歳。(いまの僕の10歳も下だったという事実は、僕の感覚と随分ズレがありますが)その堂々たる体格。押しの強い顔。何度もメディアで見てきた、その人でした。
すでに日本を代表する起業家として、ポジションを確たるものにしていましたので、あのヒロシと会える。というだけで、ミーハーな佐藤さんは、会う前から興奮していました。
ただ、なぜなのでしょう。僕の中でも、(確認したところ)同じく佐藤さんの中でも、その時のミーティングの記憶が、一切残っていないのです。確か、楽天の5F、社長室で、澁谷さんのアテンドのもと、お会いしたはずなのですが、おぼえていないんですよね。
オーラがすごかったとか、なかったとか、印象と違ったとか、そういうことが無かったのだと思います。そこで向き合ったのは、ヒロシ・ミキタニ。彼そのままだったのでしょう。
行く前から、メディアで、何度も見ていたダイヤモンドヘッド。そのあと、何度も足を運ぶことになるワイキキ。すぐ目と鼻の先にいつもあるのは、ダイヤモンドヘッド。
朝日をバックにとても綺麗な稜線を現すこともあれば、時には激しく噴火したりと、その後のいろんな思い出が、色濃く重なってますから。
いちばん最初に、この目で見たダイヤモンドヘッドが、どうだったのか、印象に残っていない。そんなことなのかもしれません。
対照的だったのは、副社長の本城さんとの出会いです。こちらは、なぜかとてもよく覚えています。年齢は一つ上のはずなのですが、すごく年上に感じました。目がキラキラしていて、ヤンチャ少年のようでもあるし、積み重なった自信と経験値からくる落ち着きが、達観した老人のようでもありました。
簡単に形容すると、頭が良くて、ハードワーカーな、のび太くんです。本城さんのメガネは横長ですが、丸メガネもきっと似合うなと思ったものです。(もし正直に言ったら、間違いなく怒られるな。とも思いました)
本城さんは、楽天式のマネジメント、メンタリティを、僕らに、とくとくと語ってくれました。
楽天は、創業の一年目から、ずっと黒字です。
僕らは、おひとりの店舗さん。一円の利益に、こだわってやってきました。
「上手」にやるより、「まめ」にやること。
繰り返し、具体的に、丁寧に、仮説検証を回して仕事をしてきたことが、楽天の成功の秘訣なんです。
彼がそれを意図はしていなかったとは思いますが、言葉の端々では、「渋谷でビットバレー狂騒に浮かれていた連中と、僕らは違うんだぜ。本物はこっちだぜ。」というメッセージが込められていて、それは、鋭利なナイフのように、僕らにつきささりました。
このとき僕の中では、この人たちから学べることは、多そうだな。という思いと、この社風に合うだろうかという不安と、両方あったと思います。
-----
9月26日、ひととおり、楽天社内のコンセンサスをまとめてくれた、中目黒の高田純次こと、澁谷さんから、連絡が入ります。
三木谷も、本城も、皆さんのことを大変高く評価しています。
子会社として外にぶら下がるのではなく、楽天BtoB部門として、完全に組織の中に入ってやりませんか。
もう一社、お話しされているところが、どこかはわかりませんが、そちらよりは出せると思います。
100%買収で、金額は、デット込みの1億円でどうでしょう。
ただ、うちの三木谷は、ケチで有名でして。乾いた雑巾をさらに絞ってでも、利益を出そうとする会社です。
ですので、給料水準は、ぶっちゃけ低いです。他の人と差をつけるのは良くないと思います。御社の役員の皆さんは、年棒550万円でいかがでしょうか。
ただ、今は従業員持株制度を準備していますので、チームの皆さんへは、合計100株分のオプションを、年末には配布できると思いますよ。
ついに具体的な、買収オファーが提示されました。
澁谷さんは、とてもデキる男だったのです。後にわかるのですが、この時から既に、インフォシークの買収など、いくつか案件を、ガシガシまわしておられました。軽薄とか言って、ごめんなさい。
しかし、ここで単純に終わらないのが、プロトレードという会社の、ひねくれたところだったのかもしれません 。全く同時タイミングで、撒いていた種から、芽が出てきたのです。
瀕死の状況なのに、妙な話ですが、僕らにモテ期が再度、到来したのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?