餅の茶漬け
久しぶりに男の手料理を記事にする。僕の若い頃からの愛読書のうちの一冊、池田満寿夫著『男の手料理』(1989年初版、サンケイ新聞連載時期は1985年から1986年)に登場する料理を実際に作ってみようシリーズの第4回。随分と間が空いてしまった。第3回を書いた時点で次はこれだと決めて色々と試していたのだけど、アッと云う間に一年が経った。光陰矢の如し。それでもこうしてまたまた書いてみる気力が出たのだから張りきって行ってみよう。第4回は餅の茶漬けを作ってみる。
池田満寿夫センセイも人から教わったと云う手法。餅を焼いて、茶碗に入れて、お茶漬けの素(永谷園のお茶づけ海苔)をかけて、お湯を注いで出来上がりと云うのが男の手料理の餅の茶漬けである。素っ気ない位に簡単ではあるが、僕はここから深みにハマってしまったのだった。
呆気ない位にすぐ出来る。男の手料理風の餅の茶漬けの完成である。
食べてみた。確かにさっぱりしている。しかしどうも塩っぱい。これは改良の余地がある。これはきっと器が小さいから塩っぱいのだ。大きな器を用意することにする。
器を大きくしてみた。丁度良い大きさのが家になかったのでLOFTで買って来た。なかなか気に入ったのでこの後も頻繁に使っている。
なかなかにウマイと思う。だがまだまだ塩っぱく感じる。池田満寿夫センセイは絶賛しておられた(「熱狂せざるを得ない」とまで書いておられる)のだが、僕はそこまで心奪われなかった。センセイすみません。ここで僕はちょっとしたサイドストーリーも考えたのだ。同じ永谷園の松茸の味お吸い物で作ってみたらどうか。これはまた別のネット記事か投稿かで見て、やってみようと思っていたのだった。
お茶漬けの素をお吸い物に代えるだけである。最初はやはり小さな丼で作ってみてやはりこれでは塩っぱい。大きな器でまた作ってみる。
さあこれでどうなのかと思う。ネーミングは餅のお吸い物で良いのか。違う気がするがあまり考えていると先に進まないのでこれで許されたし。これはなかなかウマイとは思ったがどうしても塩っぱく感じるのは僕の味覚がおかしいのか。何かこう、ぴったりと来ないのだ。
それで他のお茶漬けの素を使ってみるとどうなるかと、色々と試してみる相変わらずの方向に進んでしまった。これは昨年の話で、かなりの期間をかけてトライしてみたことなので、現在の減量には影響がないので安心されたし。いやここでこんなに餅を食べていたから、現在減量を余儀なくされているとも思える。どうしても色々試してみたくなる性分なので、今後は注意すべきだと考える。
これはなかなかにウマかった。お値段的にもちょっと高級ではある。上品な味わいであったがやはりこれも塩っぱい。どう云うことなのか。
これは野沢菜の酸味が利いていて、餅にはちょっと合わないように思った。世の中には色々な茶漬けがあって、それを全部試していると今度はお茶漬けの人として本を書いたりテレビに出るようなことにもなりかねないので、この辺で矛先を収めることにした。それでよかろう。
そして麺と合わせたりもしてみた。こんな風に脱線して、いちいち全部食べていたら、そりゃあ太ろうとも云うものだ。本筋に戻ろう。戻るに当たって一つヒントをもらえる機会があったのだ。発想の転換と云うか、何というか。とにかくやってみたのだった。
改めまして、永谷園のお茶づけ海苔。ここに立ち返る。
餅を焼く。どこででも買えるサトウの切り餅である。オーブントースターではなく、焼き網で焼いた方が美味しいように思えるのだがどうだろう。ちょっとした焦げがないとどうしても物足りない気がする。名古屋ではお餅は焼かずに煮るタイプのお雑煮を食べる。それはそれでウマイと思うのだが、それは名古屋で食べればよろしい。ウチでは焼く。網で焼く。
餅の茶漬け、2023年バージョンである。これが既出の餅の茶漬けと何が違うのかと申せば、お茶漬け海苔を半量入れて作ったのだ。一袋一人前の半量である。塩っぱいのなら量を減らせば良いと云う発想の転換である。皆さんには大したことがないように思えるだろうが、僕にとっては青天の霹靂、サンダーストラックであった。そんな事に気が付かないほどに自分の頭は固くなっていたのかと慄然としたのだ。多ければ減らせ。それだけのことであるけれど、目から鱗が落ちるとは正にこのことであった。
ウマウマウー。これでいいのだ。お茶漬け海苔を、半量よりもっと減らしても良いかとも思う。どの口が云うのだと一斉攻撃を受けそうであるが、僕は薄味好きなのだ。塩っぱいのには敏感である。濃いのが嫌いなのではなく、濃くなくて良いのだ。その微妙な感じは、説明してもなかなか判ってもらえない。理解してもらう程のことでもないので丁寧な説明は省くが、ほんの少量の佃煮とかで白いご飯を大量に食らう歓びがそれに近いのかと思う。贅沢なおかずはなくともそれで充分に満足するのだ。茶漬けから話が逸れた。この調子でお吸い物もやってみよう。
改めまして、永谷園の松茸の味お吸い物。半量で行く。
餅のお吸い物、2023年バージョン。お湯がちょっと少なかったか。足りなければ足せば良い。調整すれば良いのだ。人間は簡単に思考停止に陥る。これはこうでなければいけない、こうするのが当然だ、これを変えることは出来ない、無理だ、やりたくない、自分と違うやり方は排除する、排除せねばならない、そうなるのだ。自分では考え方が柔軟であると思っていても、周囲からはそう見られていないことも多い。心しておきたいものだ。
ウマウマウー。僕の好みではあるが、餅には松茸の味お吸い物の方がマッチすると思う。やるならこっちだ。とても上品で、餅の甘さもよく判る気がする。ようやく納得するところまでやって来た。センセイ、こんな結論ですが如何でしょうか。
最後に身も蓋もないことを云うようだが、お茶づけ海苔でお茶漬けを作ったらヒジョーにウマかった。ご飯と云うのは本当に偉大な食べ物であると実感した。塩っぱさの受け止め方が餅とは全然違うのだ。ご飯は塩を受け止めて包み込むのだ。気は優しくて力持ち。餅ではないが力持ち。なんちゃってー。最後にくだらない着地ですみません。とは云え、適材適所、大事なことだと実感した。『男の手料理』、必ずまたやります。期待せずにお待ちください。