どこか語ってはいけないもののような。映画「ロストケア」から思うこと。
先週の金曜日、夫と久しぶりに映画館に映画「ロストケア」をみに行った。
まず声を大にして言いたいのは、
柄本明の演技がとにかく素晴らしかった。
もちろん、松山ケンイチや長澤まさみの一瞬の気を抜くことも許されないやりとりも素晴らしかったのだが、
柄本明は群を抜いていた。
ロストケアをみて、「こんなこと現実ではありえない」と言う人がいたら、
実際に自宅で介護をしている人たちに触れている私が言えることは、
一歩間違えば、起こり得るかもしれないということ。
そのくらいギリギリの生活をしていて、
それは、いっときの気の迷いかもしれない、けど、
変わり果てていく親が目の前にいて、
自分の仕事や生活もあって、
これがいつまで続くかわからない、
疲れと未来に対する不安。
実の親を施設にいれることの負い目や金銭的な問題。
いっそこのまま、、と思う瞬間があってもおかしくないと思ってしまう。
そういった葛藤が描かれている作品だった。
ただ、どこかで冷めた目でみている自分もいて
なんかよくわからない。
「この作品が伝えたい真意みたいなものは何なんだろう?」
映画をみたあと、スシローで夕飯を食べながら、
夫が私に言う。
夫は、松山ケンイチ演じる斯波宗典が長澤まさみ演じる大友検事を逆撫でするようなあの話し方や間合いが印象的だったと。
2人とも共通だったのは、柄本明の演技のリアルさと、
介護の壮絶な現実が描かれていて、もし、実際に、今、この瞬間も介護をしている人がみたら、その場にいられないくらい苦しくなるんじゃないかってこと。
夫が問いかける
「この作品が伝えたい真意みたいなものは何なんだろう?」に私は上手に答えることができなかった。
社会課題みたいなものを訴えたいのかもしれないねと当たり障りのない返答をする。
この文章を書いていて、自分が感じている何か違うっていう感覚が整理されてきた。
そうか、私がこの作品の「葛藤」と表現した「いろいろ」は、私が実際に経験したものではなく、あくまで、想像にすぎない。
医療・介護に携わるようになって15年で、私が勝手に想像して、得た感覚で、本当のリアルではないんだ。
だから、私が感じて、言葉にしているそれら全ては空虚なものな気がして、私が何かを語ってはいけないような、申し訳ないような、どこか冷めた感じがしてしまう。
でも、
私は、
自分が経験していないことを、
想像して、
これからも目の前の誰かに関わり続けるのだ。
それは、私が生きていく術なのかもしれないな。
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