知らない町を歩いた ずっと遠くを見て けっして歩みを止めなかった 大きな車とか 真っ黒な牛が近づいてきても ただやり過ごすだけで なんでもすぐに忘れてしまった 何もかもが意味もなく 景色とともに流れ去っていき 記憶に跡をとどめなかった 延々と歩きつづけるうちに 百年くらい歳をとったけれど 不思議といつまでも若いままで 体は朽ちて 灰のように崩れていくのに 心は赤ん坊のような肌をして しっかりと歩きつづけるのだった 朽ちれば朽ちるほどに 透き通っていくような気さえして いつま
またそうやってあなたは 寝転がったまま手をのばす 空に向かって手をのばす 消化しきれない いろんな色の絵の具が まだらに渦巻く沼に ずぶずぶと沈んでいくように なかば意識の消えているような うつろなような目をして 手をのばしている ひとつひとつその手で集めた いろんな大切なものや どうでもよいもの いわば今日までの命の痕跡に ごちゃごちゃ積み上がった 自分のかけらたちに ずぶずぶと沈んでいく それは心地の良いことなのか それとも気分の悪いことなのか さなかにいてもよくわからな
目の見えない白い魚が 腹這いになって息をひそめる 海の底の砂の上 四角い暗い部屋の中 壁の向こうの換気扇の音 ぬらたい空気を肌がすべり しぶとく鳴り続ける心臓が 砂をかすかに震わせる 声を出さずに笑う子が 音を立てずに歩く しずかに息を切らす やわらかく突き刺す水の冷たさに 心が研ぎ澄まされる 砂の上で耳を澄ます
なんにもない なんにもない頭の中に なんにもない青空が映って とってもしずかだ 変な形の鳥が 真っ白い体を宙に浮かして 空を滑っていく あの鳥の飛んでいく先を 小さくなって消えていく先を 思っている 手を伸ばしている 手を伸ばしている人は 誰だろう、なんにもない空の なんにもない空気の中に立って 手を伸ばしているあの影は しだいにぼやけて 青空にかすんで消えていく あれは誰だったろう なんにも思い出せないや なんにも思い出せない なんにもない青い空が なんにもなく広がっている
わん、つー、さんのドラムが鳴って ふっと重力が消えて 体が浮いてひっくり返ってしまう 秋の日の午後です 私はやわらかなアスファルトの でっぱったところにつかまって まわりで自転車やら三角コーンやら ぷかぷか浮いて漂うのを見ていました これが秋かな 空気のにおいも変わってきたし いろんなものが流れ込んでくるのに 影はどんどん細っていくし はしっこの点に引っかかったまま あなたは下りてこられないみたいだ 戸棚にかきたまスープの素が まだ半分残ってるのに
中に何が入っていたって 瓶の色が青ければ満足だった 誰にも会えなくたって 隅々まで歩いてまわれば気がすんだ 何度も来ているような 初めて見るようなバス停で降りて 空のにおいを嗅いだ それから川面を滑ったり 橋の欄干をすり抜けたりしながら 雲の影を追いかけて 自分が迷子になっていることに いつまでも気づかずにいた ばさばさと羽ばたく真っ白な鳥が 町の上を横切っていくのを 小さな川の土手に立って 目で追っていた 心が崩れていった 線香の灰が落ちるように 音もなく ほろほろと崩
街路樹の枝が、はさっと揺れて 白っぽい秋が空気に染みていきます 四角いビルの壁はがさがさして ものしずかに向こうの空を見ています 信号機の上に小さな子どもが 膝をぶらぶらさせて座っています 白っぽい手でストローをくわえて シャボン玉を空に吹いています (あれは地球が生まれた頃から あるいはもっと昔から ずっとそこに座っていて シャボン玉を吹いているのです) ふらふらと少し漂うと シャボン玉はすぐに消えて でもそれは壊れたのではなく なくなって
真夏の夜に降る雪は 暗い夜空からふわりと現れて ふわりふわりと舞い降りてきます 真夏の夜に降る雪は ビルの屋上や窓のひさし 四角い看板や電柱の上に積もります 真夏の夜に降る雪は 屋根に触れる前に溶けて しかし消えてなくなるのではなく ふんわりとした白い光になって ふわふわと降り積もって 暗く落ち着いた夜の街をふちどるのです ガードレールにもたれる人影 高速を走り抜ける自動車のライト あちらこちらで無数にゆらめく光を 静止した時間の中に閉じ込めて 雪の積もったビ
———しずけさに耳を澄ます 都会の夜の音と光の 溢れかえる騒めきを しっとりと包んでいる やわらかい夜の空気の しずけさに耳を澄ます 雑踏の足音や話し声は 途切れ間のない波音のように うねるように這うように押し寄せる 風を切る自動車の車体 無数のスピーカーから流れる広告 がしゃがしゃ走る電車の音 通りの向こうに七色の鹿が ネオンカラーの光の塊のような おおきな しずかな 透きとおる 七色の鹿が立っている 広
手から傘が落ちて 体が地面に崩れ落ちた 雨がアスファルトと頬を打つ 水溜りにそこの店の看板が映ってる 頭の中の水が静かに脈を打つ 身体じゅうから力が抜けている 昔よく聞いてた曲が流れる 雨に濡れて街の灯がきれいだ 誰かが駆け寄ってきて何か言ってる 水をくぐったような声が降ってくる ああこの人はやさしい人だ とってもやさしい人だ 何か言おうと口を開きかけて 何を言おうとしたか忘れた 街の灯の向こうの暗い夜空に いまなら落ちていけると思った
橋の上に立っててさ 絵筆でぐるぐる引きのばしたように 空にはいろんな色が弧を描いて 色とりどりにうず巻いて 橋の上から見ながらさ それが朝焼けなのか夕焼けなのかも分からなくて 自分がなぜここに立っているのかも分からなくて ただ色とりどりにうず巻く空を見ながら 体が後ろに倒れて ゆっくりゆっくり落ちていく感覚を 体じゅうで感じてるのに 目に映る景色はずっと、橋の上から見はらす空で 何を描いているのかも分からず ただ色を並べているような キャンバスを放ったらかして パレットの上で
暑い日差しの坂道をくだる 遅めの夏の、まだ白い脛 木の葉の緑、車の熱い屋根 花束のあとの濡れた輪ゴム まるいお盆のふちを歩いて ぐるりと回って戻ってくると 壁掛け時計の時報が鳴って 鳩が夕日へ飛び去っていった 低い窓の桟に肘をついて うわごとばかり言っている くたくたしたシャツの背中 昼間お盆にこぼしたお茶が 緑の海になって打ち寄せる 浜辺にひとりでたたずむ背中
空を歩きたい 宙を踏んで 見えない階段を昇るみたいに 一歩ずつ空に昇っていくと 町の見晴らしがひらけてきて 遠くに山の稜線が空と接して あおく霞んでいる あおく霞んでいる、心の中には からっぽの空があって 一歩一歩 見えない廊下を歩くみたいに 町と空の間を歩いて いつしかさかさまになって 私は私が誰だか忘れている 雲の中に潜って 深く深く潜って 水深何百メートルの地の底であおい泥にまみれて 気がついたら真昼の昼日中の空を なんにもないからさ なんにもないからさって からっぽの
何もない頭の中に 海が広がっている 青い青い海が どこまでも広がっている 風もなく波もなく 船も、島の影もなく 青く青く広がっている 水面の上に立つと 足もとに輪が広がる まるい輪が 少しだけ広がって うすれて消えていく 足ぶみするにつれ 広がっては消えていく からっぽのあたまのなかに からっぽのそらとうみ ほかにすることもないし みなものうえでおどろうか わん、つー、さんのすてっぷで くるりとまわってかたむいて もうここにはな
青く暮れてく夕暮れに だんだん眠くなるような 四角いタイルを歩いては 海の上を歩いてるような気がして もういろんな建物の色も 横を追い越してく自動車も 信号待ちの雑踏も 目に入らなくなってきて ここじゃないどこかで鳴ってる 水面に雫の落ちる音がして そんなわけないのに そんなわけないのに あなたもここにいるような気がしました 青くなだらかな町並みに きれいに交通整理された ぬるい夕陽や あさっての雲の形や 湿った夏の風が流れていきます 四角いタイルを踏むたびに 水面に波が広
真夜中の凪いだ水面に あなたはそっと現れて ステップを踏む ステップを踏む 音のない暗い水面で 音もなくステップを踏む 微かな足元から うっすらと輪が広がる いくつもいくつも輪が広がる 輪はあまりに薄くて すぐに消えてしまって 水辺まではとても届かない 真夜中の凪いだ水面は 照明も客席もない舞台のようで ものを言わない 表情を変えない人形がひとり 音楽もなしに踊る 黙々と踊る その動きはかろやかで 線の細い 暗く微かなシルエットの 宙に浮いたような足元から まるい輪が生まれ