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ビンボー起業③米びつ空っぽ。新婚時代。
大分でレンタルドレスのお店を営んでいる、4人の子持ちママです。 やむにやまれぬ理由により、ひょんなことから主婦が起業をすることになった実話。 経験、知識、資金、人脈。 何を取っても「有るもの」など何一つなかったあの頃のわたしの奮闘記です。
前回はこちら↓
なぜ、まだまだ手のかかる小さい子供がいるのに、パートではなくバイトでもなく、はたまた会社員でもなく、
なんで「起業」という道を選んだのか。
そのお話をしてみようと思います。
来る日も来る日も、家計簿とにらめっこ
話しは、結婚当初、11年程前に遡ります。
結婚当初、夫の職業は「大工見習い」でした。
今でこそ、1人で新築一棟請負うほどにはなったものの、やはり職人の世界は見習い期間というもの無くしては、絶対に成り立たない世界なのです。
けれど、職人見習いのお給料の手取りって、現実問題、とっても厳しい。。。
私たちは、いわゆる「出来ちゃった婚」というやつで、結婚した時はもう既に私は妊婦でした。
ですので、もちろん家計が厳しくとも、働きに出るという事はできませんでした。
ただただ、毎日家計簿と電卓とにらめっこをしながら、やりくりする日々でした。
やりくりといっても、無い物は無い!!!
どうにもこうにも行かない極貧生活を送っていました。
どの程度の極貧だったかと言うと、今でも忘れません。
こんなエピソードがあります。
ある日の晩ご飯。
「ご飯おかわり!!」と夫に言われても、おかわりするお米がなくてキレた事がありました。
「おかわりおかわりって、米をバカみたいに食べないでよ!!」って。
朝から晩まで肉体労働してきた、夫に向かってこのセリフw
普通に考えて頭おかしいですよね。まさに鬼嫁。
というのも、もう我が家の米びつは空っぽだったんですよね。お米を買い足す余裕も無かった。もう正に、その日暮らし。
今日1日とにかく、食い繋いだらまた明日は明日の風が吹くさ。みたいな生活。
でも、いちいち米びつの残量の報告なんて夫にしたってしょうがないし、我が家の米びつが空っぽだなんて事実は夫は知らないわけで。
ノーテンキに「おかわり」って言われたときに、いつもギリギリの予算でなんとか頑張ってきた物が一気に、色々な感情と混ざって爆発したんだろうと思います。
現代でも、餓死は他人事ではない
飽食の現代、生活困窮者が餓死した等のニュースを見る度に、現実味が湧かない方がほとんどだと思います。
でも、いつ誰がなってもおかしくない身近な問題だと私は感じます。
なぜなら現に、私達は食べるお米がなくて困っていたんですから。
極貧生活から学んだコスト管理のいろは
それでも食べなければ死んでしまいますので、
お友達のおじいちゃんが作っている野菜を貰いに行ったり、
貰った物は、絶対に悪くしないで食べきることを心がけたり、
使える物は使う!!(私が保育園の時に貰った食器を今でも使ってたり)
余計なものは買わない!!(とゆーか買えない)
車移動する時は、どのルートが一番ガソリンを消費しなくて済むかを考えながら走ったり(でも私は方向音痴なのでなかなか計画通りのルートで走れないんだな、これが)
食品から衣料品から、とにかくその物が、いつ、どこのお店が、どれくらい安いのか??
底値を徹底的にリサーチ。
そして、底値と比較して、どれくらいまでの値段なら妥当な値段か?購入可能か?目安を決めておいて、それ以上になる時は絶対にその物に手を出さない!!
という買い物スタイルを徹底しました。
その結果、辿り着いたのは、
食品は季節の物を食べる事が一番体にも良く、経済的にも良いという事。
なぜなら、旬の時期が一番栄養価が高いうえに、沢山採れるので値段も安くなるからです。
それも、年中何でも並んでるスーパーではなく、道ばたとかにある無人販売等を利用すること。
または、農家の方が直接運営しているお店に行くと、一発で今の時期の旬の物がわかります。
しかも、安心だし安い。
だから、必然的に、ワンシーズンで使う食材が限られてくるのでレパートリーは狭くなります。
夏なら、来る日も来る日も、ピーマントマトナスズッキーニオオバ、ピーマントマトナスズッキーニオオバ、ピーマントマトナスズッキーニオオバ。。。
もう、呪いの呪文のような食卓。
まぁ、そんな事は気にしない。
生きて行くのに精一杯ですから。
でも今考えると、コスト削減とかリサーチ能力とかを毎日訓練していたお蔭で起業の時も多いに役立ちました。
でもね、「その時の経験が、起業の時に大いに役立ちました!」なんて偉そうに言ってみたところで、それは今になったから言える事で、
当時のわたしたちは、毎日毎日、明日を無事に過ごせるのかが不安で不安でしょうがなかった。
こんな私たちが、親になって大丈夫なんだろうか。果たして親としての責務を果たせるのだろうか。
毎日、情けない気持ちと不安で押しつぶされそうでした。
希望もクソもなかった初めての出産と子育て
ここに、当時毎日睨めっこしていた家計簿が、残っています。
当時の私にとって家計簿は精神衛生上、必要不可欠なものでした。
何もかもが足りなくて、不安だったけれど、数値として見える化する事によって、具体的に何がどう足りないのかが見えるので「漠然とした不安」に心を支配されることなく「どう対処していけば突破できるか」という精神状態に持っていくことが出来たのです。
けれど、そんな頼みの綱である家計簿さえも、いよいよ長男の出産予定が迫ってきた5月。
手元のやりくり生活費「ヤバイ足りない」
と、消え入りそうな筆圧で書き殴ってありました。
今見たら笑えますが、当時の私にとってみたら、これから始めての出産への恐怖と不安
そして、自分が身動きできなくなることで、生活のやり繰りができなくなる。やり繰りできなくなったら。。。。乳飲み子抱えてどうやって生きていったらいいのか。。。
もう、ぐっちゃぐっちゃな心境だったのでしょうね。
ちょっと、今思い出しても切ないな。
本当は、可愛い可愛い、赤ちゃんの誕生に心躍らせながら、大きくなるお腹を撫でて居られるような妊婦さんで居たかった。
でも、私にとって日々大きくなってくるお腹は時限爆弾のようだった。
次回に続く↓