「滋味深い文章」に出会うのは、Webでは不可能なのか
知り合いの編集者さん数人に短編小説を見てもらう。うち、二人から色よい返事。
「大変面白いので是非書籍化を検討します」とのこと。
実はこの短編は、書き上げた直後に他の編集者さんに見せたら
「誰がお前の妄想に金払って読むんだ?!」
「こんなの、村上春樹が書いたって読まんわ!!」と酷評されたことがある。
それでも「これは絶対に面白い」という自信があったので、構わずに人に見せまくった。
人の評価なんて、本当にアテにならないなと思う。
編集者さんだって、100%客観的な目で作品を見られるわけじゃない。読むときは読者と同じ、単純な「好き」「嫌い」が評価には反映されるわけだから、一度酷評されたって、めげることはなく見せ続けていたら、そのうち誰かが気に入って世に出してくれるのだなあ、と言うことが最近やっと分かってきた。
しかし、短編を書籍化するためには単行本1冊分の原稿量が必要であり、続きを連作で3〜4本書くことになった。
うう〜ん、単行本にするのって大変だなぁ、こんな時webならバラで載せられるのに、とついついウェブと紙の比較をしてしまう。
「文章を紙にするのって、すごく大変なんですねぇ」と片方の編集者さんに言うと、
「そうなんですよ。特に昔は今と違って、デビューの道が文学賞を取ることしかなかったから、選考委員の編集者の『好み』にかなわないものはどんどん外されていくでしょう。そうすると、その時の選考委員のメンバーとか、誰が下読みするかの運・不運だけで、本当は素晴らしい作品でも落選しちゃうことがたくさんあったはずです。それで『俺は才能がないんだ』と思ってやめちゃう人も多かったでしょうね。その点、いまはインターネットで発表しさえすればすぐれた作品は必ず誰かに発掘される時代ですから、素晴らしいですよねぇ」
というお返事。
確かにねぇ。
2月の後半某日、大好きな編集者さん(女性)とランチ。
彼女曰く、WELQやMERRYの事件があってから「きちんとした書き手」への需要がウェブ媒体の仕事上でも急速に高まっているそうだ。クライアントありきの仕事でも、作家さんを指名する広告主が増えているらしい。
良いニュースだな、と思う。
そのまま「今の時代に求められる小説の長さ」の話になった。
今は、長い小説が求められなくなった、ウェブでも、ワンスクロールで読めて「質の高い読書体験」よりも「ちょっと気分が良くなる」ぐらいが求められるのだそうだ。
書き手も長編小説を書く体力がなくなってきていて、とある賞の応募下限を「原稿用紙200枚」としたところ、「多すぎる!」という感想がtwitterなどでたくさん寄せられたらしい。
うーん。
確かに、最近自分でも「純粋な長い読書」が難しくなってきた、と感じる。紙の本でもグイグイ読者を引き込むようなものじゃないとすぐに飽きてきて、50ページも読んで面白くなければ「もういいかな」と思ってしまう。
WEBの短い記事に慣れちゃった分、少しでも長くて要点を得なくて、最後まで読まないと意味のわからないようなものを読む力が減っている。
けれど、じゃあなぜ私はものを読むのか、読み物に何を求めているのか?と自分自身に問うた時、これははっきりと分かっているのだけれど
「滋味深さ」なんだよな。
長さは関係ない。長かろうと、短かろうと、何度もなんどもなんども読み返したくなって、そのうち、それ自体が私の血液だったり、細胞だったり、筋肉だったり骨になったりするような、そんな味わい深い、それでいて一度では満足できないような、何度も繰り返してやっと身になるようなもの。
これまで自分の中で「グレート・ギャツビー」を超えて滋味深いなと思った小説はないのだけど(最近読んで「いい!」と思ったのはジュンバ・ラヒリの『停電の夜に』とか、イーユン・リーの『黄金の少年、エメラルドの少女』、あと、西加奈子さんの『i (アイ)』は素晴らしかったなぁ)
そういうものだったら、お金を払っても全然いいし、人に自信を持ってオススメしたいと思う。
しかしウェブでそういう「滋味深い」文章に出会ったことがあるか、というと、残念ながらほとんどない。
何回も繰り返し読み直したくなる文章に出会ったことがあるか。心に残っている記事があるか、というと、全く思い出せない。昨日読んだ記事すら忘れている。
媒体のせいなのか、ウェブに載せるって時点で書き手の意志から「滋味深さを出そう」が削がれてしまうのか謎だけど、紙の本で得られるような「滋味深い」経験をウェブから受けたことなんて、ほっとんどない。
もう、読み物に「滋味深さ」が求められる時代ではないのかもしれない。バズってお金になれば、PVも取れるし、いっか、って感じなのかもしれない。
けど書き手としては、私はやっぱり、読み手の体内を何度も何度も何度も巡るようなものが書きたいと思うし、それはウェブだろうと紙だろうと関係ない。そういう風に受け取ってくれる読者がいる限りは、どこでだって同じように書くと思う。
今は紙を中心にした執筆を進めているけれど、ウェブでも、紙と同じように滋味深さのある文章を書けるようになりたいな。読者はそういうところから、私に出会ってくれると思うから。