冬のバラより豚バラ
エッセイが出た。
タイトルに「就活」と入っているので、就活関係の取材がやたら多い。
その中でも最も聞かれて困るのが、
「今の就活がどれだけ苦しくて、学生を圧迫するのもので、理不尽で制度として破綻しているか」を自らの経験として語らせようとする質問だ。
私の本は、2009年当時、就活がピークとなる4月1日、最終面接の五分前に、リクルートの丸の内サウスタワーのビルへと続くエスカレーターに乗る目前で、パニック障害を起こして転倒してエスカレーターに乗れなくなるところから始まるので、そういう質問が来るのは仕方ないかもしれない。
けれど、私は別に「就活」がなくなってほしいとは思わない。
むしろ、その仕組みの中で内定を勝ち取れるのはすばらしいことだと思う。
中川さんの「内定童貞」に書かれているように、面接の中で自分の武器を、めいっぱい発揮できる人もいるだろうし、楽しく就活を終えられる人もいるだろう。
そういう人にとっては、この上なくいい仕組みだと思うし、もし今自分が大学3年生に戻って、就活をもう一度するとしたら、たぶん、ふたたび就活の仕組みに乗るだろうし、そして内定も取れるだろう。(たぶんね)
でも、やっぱりどうしたって世の中には載れる仕組みと載れない仕組みがあって、もしも自分がその仕組みに載れなかった場合、「載れない」ということを理由に命までおとしてしまう人がいることは、聞いていてやはり、どこかおかしい、やるせない、と思ってしまう。
これは、就活にかぎらず、世の中のすべての仕組みに言えることだと思うけど、その仕組みがどんなに素晴らしい仕組みであろうと、あまりにも「載せる圧力」が強すぎると、それだけで、いろいろなものが潰れていってしまう。その潰れてしまったものの中に、小さくてもきらきらした、あまりにも良いものが、あったとしても。
私の絵の先生は、よく
「人の能力を伸ばすには、『冬のバラ』方式では限界があるんです。」と言っている。
冬のバラは、春に美しいバラを咲かせるために冬にわざと枝葉を削ぐ。厳しい環境においてそれでも新しい芽を出したバラは、より強く、美しい花を咲かせるのだ。
けれど、
「それだけじゃだめなんです。その方式で育てられた人には限界が来ます。人間は命ですから。
人を伸ばすということは、水をやり、枯れた葉は取ってやり、日が強ければ日陰をつくり、支えて、伸びたい方向に枝葉を伸ばせるように支えて、やっとその人の花が咲くんです。人を伸ばすというのはそういうことです。
自分の才能を開花させられる天才というのは、自分に自分でそうしてあげられる人のことなんです」
私はその話を聞いてから、ずいぶんとラクになった。
これを読んでいる、就活生のあなた。いや、就活生に限らないかな。
就活のすべてが悪いとはまったく思わないけれど、就活の仕組みが、あまりにもあなたの枝葉の形にそぐわず、あまりにもがちがちに縛ってしまって、もう二度と、伸びることすらもかなわないほどに命を削ぐような気がしてならないのなら、そこから少しの間でも、逃げていいのではないか、と思う。
もし、その仕組みがあなたにとって本当に必要であれば、たぶん少しの間を置いて、その場に戻ってくるだろうし、
その間に、自分で自分の枝葉を伸ばす方法を、誰かと一緒に、あるいはひとりで、考える時間をもっても、いいのではないか、と思う。
あかるいひざしを浴びて、ひなたぼっこでもしながら、さ。