母校の成蹊高校で「SFプロトタイピング」を実施して分かったこと
母校の成蹊高校にてSFプロトタイピングのワークショップを行いました。
同じく卒業生で、WIRED.jpなどで編集者として働く岡田弘太郎さんとの共同開催です。
高校でSFプロトタイピングのワークショップが開催されたのは、全国で初めてではないかと思われます。
参加者は生徒、卒業生、先生方の14名。
まず「2050年の社会は今とどう変わっているか?」について各自の予測を持ち寄り、次に「あなたが2050年の成蹊高校の校長だったらどんな学校にしたいか」という切り口で議論を重ね、最終的には各自がSF短編小説(のプロット)を完成するという、短いながら非常に内容の濃い時間でした。
私はソニーやサイバーエージェントなど、普段は大企業でのSFプロトタイピングの連続ワークショップや、GLOBISで行われている起業家向けの1DAYワークショップに講師として招かれています。
自分自身をSF作家だと思うか?と聞かれると、全然思ってない、と答えますが、なぜSFプロトタイピングには参加するかというと、ひとえに「小説を書いてみる」という行為によって、参加者が自己を相対化してゆく過程を見るのがたまらなく楽しみだから、という答えに行き着きます。
「SFプロトタイピング」と「文学・文芸としてのSF」は全然別物ですから、同一線上で語ること自体がナンセンスですし、「SFプロトタイピングは企業にとって都合の良い未来しか描いていない、そんなものはSFではない」という批判に対しては、参加したSF作家のアウトプットを読めば「企業にとって都合の良い未来」など描いていないことは一目瞭然ですから(作家はそんな器用な人間ばかりではないのでは…)、単に批判者の勉強不足であると感じます。
私の考える「SFプロトタイピング」の意義とは、参加者が、生まれて初めて、なんの予備知識も、先入観も、文芸の技巧についての凝り固まった考えも持たずーー自由にSF小説を書いてみることにあります。
その過程で、未来の課題が現在の課題と地続きであることに気づくこと。書かれた小説の中に、客体化された現在の自己が潜んでいること。客体化された自己を見つめることで、自分の作り出した物語の中に「仲間」を見出すこと。
そのプロセス自体に他なりません。SF作家の執筆するアウトプットは、その上澄に過ぎません。
今回、参加された方々は、世代や立場は違えど未来を描くことに真摯に取り組み、自己の客体化を通じて現在を見つめるということをその鋭い観察眼と柔軟な着想力によって行っているように思えました。
生徒それぞれが確固たる己の経験に裏打ちされたロジックのもと、未来を描く力を持っていることに驚きましたし、書かれたプロットも(学内だけの発表に留まり、お見せできないのが残念ですが)大変面白かった。
教育現場でこのワークショップの手法が持つ意義については、これまで未知数でしたが、しっかり機能しているように感じましたので、今後もぜひ母校だけでなくさまざまな教育現場で実施してゆきたいです。
いやー、SFプロトタイピング、面白い。
ご参加された皆さん、ありがとうございました。
ちなみに、「成蹊SFプロトタイピング2050」を開催してくれた久保田善丈先生のレポート文章はこちらです。↓
---
ちょっと遅くなったけど、報告、感想です。
13(土)午後、ふたりの卒業生、小説家小野美由紀とプロ編集者岡田弘太郎を招いて、「成蹊プロトタイピング2050」を開催しました。今回は、スクール・ダイバーシティと、来年度スタートの授業「探求」のあり方を模索中の中高研究部とのコラボ企画でもあって、主任の村本さんには教員への声掛けなどずいぶんやってもらいました、ありがとうございます。
当日は、家庭科主催の大きなイベントと被る中、生徒4名、卒業生4名に加えて6名の教員の参加を得て、本気のプロトタイピングを進めることができました。最終的には参加者それぞれがプロトタイピングの成果を詰めこんで小さなSF小説を書き上げて共有するまでがイベントなので、厳密にはまだ終わっていないということになりますが、まずは、おつかれさま。このあとは、集まった小説や発想を学校レベルで共有する方法を考えたいと思います。ホント、おもしろくて、ギリギリあり得そうな未来をたくさんとらえることができたという実感があるので、あとは、そうならないようにするために、そして、そんな未来のために-ということで。
あらためて、この企画を持ち込んでくれた2人の卒業生について。まずは、本当にありがたいなと。彼らのプロフィール、自己紹介を見ればよくわかるけど、彼らの存在自体がたぶん、成蹊みたいな保守的な学校(最近はとくにそんなふうに感じています)にゆさぶりをかけてくれると思うし、生徒たちを、「進路」っていう言葉のある種の「呪い」-理系? 文系? とか、やりたい仕事は? みたいなありふれすぎる声かけから解き放ってくれるのかなって、そういう数少ないキーパーソン的卒業生だと思ってます。たぶん、ダイバーシティ経由の卒業生からはそんなキーパーソンがどんどん出てくるんだろうけど、彼らはそのプロトタイプかなと。
で、この企画、SFプロトタイピングをおもしろいと思ったのは、っていうことを少し。「2050」って、ぎりぎり現実的な想像が出来そうで、かつ、妄想でも許されそうな、そんなタイミングの設定なのでは? で、そんな設定で、しかも「SF」っていういかにも縛られないフィルターで未来をしゃべり合ってみる。で、そんな未来にならないように、今何を? とか、逆に、そんな未来のために、今何を? という感じで直近の課題を突きつけ合う、っていうかそれを学校に突き付けていけるとしたら、これはおもしろいでしょう。
もうひとつは、さっきの「進路」の話と絡むけどSFプロトタイピングって、「文系的想像力」と「理系のテクノロジー」が交差するように促すような、そういう場を意図的に作り出す試みだと思います。そうすることで、ベターな未来を先取りしたり、ヤバい未来を先回りして回避するような知恵を構成するっていう感じで、この点でもホントおもしろいそうだなと思うわけだけど、でも現状、中高はまったく別のことを生徒に促してると思います。「理系に進むのか、文系なのか、この日までに決めて来なさい」-でも実際には、テクノロジーなしの文系も、物語なしの理系もありえない-。
SFプロトタイピングを体験したり、その成果を知ることは、そんな20世紀的な近未来へのアプローチとは違うアプローチの仕方を感覚すること。本気のプロトタイピングで、学校を、社会を変えてやろう-っていう感じです。
回収した当日のワークシートや小説は、またあらためて。ちょっとびっくりするくらいおもしろいと思います。とりあえず。
他の参加者も何か共有したいことあれば送ってください。kubota