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コラム「移住3度目で、尾道にたどり着く」

人の数だけ人生があるように、移住の形や背景もまた十人十色。今回は2024年6月に尾道へと移住し、そして同年8月からONOMICHI SHAREで受付の仕事を始めた成瀬さんの移住1年目コラムをお届けします。成瀬さんの移住の経緯とは…?

特に深く考えずにさらっと尾道に移住して、早くも3か月が経とうとしている。

何もせず、思う存分ぼ〜〜っと過ごしていたら2か月経っていて、もっとぼ〜〜っとしていたかったけれど、生きるにはお金が必要なので仕事を探さねば。と思っていた。

そんな折、「シェアオフィスの受付業務の募集があるみたいだから、話を聞いてみたら?」と、2〜3回しか会ったことがないのに気にかけてくれた優しい方が薦めてくれた場所にとんとん拍子で勤めることとなり、さらに突然、移住者目線のコラムを書くことになった。

尾道は私にとって、3か所目の移住地となる。だが、まだ2か月しか尾道生活を経験していない私に、何が書けるというのだろう…。

話をもらったときは正直「無茶振りだ!」と不安を覚えたけれど、そもそも安請け合いしたのは自分なのであった。尾道で思う事、今まで移住して感じてきた事など諸々を綴りたいと思っている。


私ははじめ、ただただ、ゆっくり生活がしたくて引っ越した。

今回の尾道への移住は3回目。
私は東京都八王子市で生まれ育ち、都内のcafe&barで働いていた。

2011年、東日本大震災の混乱を東京で体験したことを機に「災害時、東京にいるのは怖い」と強く感じた。もともと”田舎暮らし”への憧れがあったこともあり、「40歳までには田舎で落ち着いて生活がしたい」という思いも燻らせていた。そうして7年前の38歳のとき、八王子から三重県の山奥に引っ越したのだった。

三重県への移住、熊本県での暮らし、そして尾道へ

三重県では、まずホテルで働くことになった。ホテルに無農薬野菜を卸している農家さんと知り合ったことがきっかけで「田舎暮らしといえば畑だよね〜」とたまにお手伝いに行かせてもらっていたところ、あれよあれよと農家さんのもとで働くことに。

そんなこんなしていたらコロナがやってきた。それに付随していろいろな事が起こり、生活が立ち行かなくなっていく。

ここを離れて別の場所に拠点を移そうにも疫病のため移動もままならず、悶々とした日々を送っていたところ、熊本でドーナツ屋をやっている友人が「忙しいから手伝いにおいでよ」と誘ってくれて、二つ返事で熊本に引っ越した。熊本のお店は本当に忙しく、あっという間に3年が過ぎていた。

そして「今度こそはゆっくり生活がしたい」とたどり着いたのが尾道だ。

東京時代からの友人が尾道に移住してお店をしていて、1年前に2泊で遊びに来て、移住先に決めてしまった。私は独り身ということもあり、引っ越しや移住に対してフットワークがとても軽いと自負している。

尾道に決めた一番の理由は、”友人がいたから”というのが大きい。

ほかにも、
出会いがたくさんありそう。
自然もあるけど、お店もたくさんある。
公共交通機関が身近にあって実家に帰りやすそう。
という点も理由に挙げられる。

2024年4月に家探しに訪れ、なかなか家が見つからず途方に暮れながら海岸で海を眺めた時間もあったが、奇跡的に築100年くらいの古民家に出会い、2024年6月に引っ越して来たというわけだ。

次回、「築100年の古民家に巡り合うまで」(全く壮大な話しではありません)

家探しをしているときに寄ったcafeにいた羊

(移住定住コンシェルジュ:元廣京哉、編集:アンドウ)


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