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他人に期待をしない生き方

私にはもう何年も、いわばご贔屓にしていただいているお客様がいる。
大なり小なりお仕事をいただき、毎月しっかりと報酬を遅れることなくいただく。
初めの数ヶ月で信頼いただいたのか、
「尾道さんには一生お願いし続けます。」と言われたことは今でも思い出す。
そんなお客様から急に、
「今年いっぱいでもうお願いしない。」という旨の連絡が私に入った。
理由を聞くと、どうやら体調を崩して入院するようで、事業も畳んでしまうとのこと。
これ自体仕方のないことで、お客様にはなんともご自愛いただきたいものである。

今日書きたいのは、「「一生お願いしたい。」と言っていたのに何なのだ。」と言う愚痴ではなく、相手の一存で物事が左右されるとき、自分はどんな気持ちを抱きどんな感情が湧いてくるのかという話だ。

他人の行動は制御できない

自分のことでさえもどうなるのかわからないのに、他人の行動など予想がつかないことがほとんどだ。
朝起きて、「今日は暇だし、午後はサウナに行こう」と心に決めても、昼食後に眠くなってしまい結局行かないなんてことはしょっちゅうある。
自分の意識や使える時間に対してうまくいかないことがあっても、それは自分のせいであり、理由を考え、次に活かすことは可能だと私は納得できる。
また、納得はできなくとも多少の諦めという形で一旦腑に「落とす」ことはできそうだ。

しかし、物事がうまくいかない、うまくいっていたことが急に止まってしまう、それらの理由が他者にある場合はどうだろうか。
自分ではどうすることもできず、苛立ったり、相手に文句を言う人もいるだろう。
嫌な気持ちが頭にこびりついたままやむなく次に進むことになる。
そういうときに私はどうしているのか、どう思っているのかと考えてみた。

仕事を失うことは幸運だった

今回の件で私が出した感想は、
「ああ、ゆっくりできる時間が増える。なんともラッキーだ。」
という気持ちだった。
収入の穴を埋めるため別の仕事を探さないといけないのに、不思議と焦りや不安は先行しなかった。
私が得た教訓として最も大きいと感じたことは、
「仕事がなくなるというマイナスの事実から出てきたのはプラスの感情だった」
ということである。
収入が減るというマイナスの事実から、時間に余裕ができるというプラスの感情が生まれたことが、私の大きな気付きであった。
もちろん、全く持って不安が無いわけではないが、そんなことよりも「幸運だ、嬉しい」というポジティブな思いが先行した。
そして、この感情をもう少し深く考えてみた。

他人に期待しないということ

結論から述べると、私は他人に期待していないということが原因の一つなのではというところに落ち着いた。
フリーランスという働き方の性質上、安定感が無いことは初めからわかっていたし、世の中自分に都合の良いことばかりなわけがないと、自覚しているからだ。
自分じゃどうにかならないことが起こったときに、最初から期待なんてしていないのだから、不利益が生じたところで「ああ、やっぱりな。」と腑に「落ちる」感覚がある。
だからこそ焦りや不安よりも、時間の余裕を楽しめる感情が出てきなのかもしれない。
自分にはきっと、無意識的にでも心の準備はできていたのだろう。

他人に期待しないほうが良いのか

そんなことを言うのであれば、人類みな他人に期待しなければいいのか。
そういうわけではない。
人に期待をすることで、自分だけではできない大きなことができたり、一人では気がつけない発見に繋がることは大いにある。
任せられる部分や寄りかかることができれば、気持ちに余裕もできるだろう。
私が言いたいのは、期待をしないことで自分に十分な事前準備ができ、自分の立ち位置・地盤を整えられるならそれで良いということだ。

本来ならば、期待すべきところ、期待せず自分で解決するところを使い分けて、上手に生きていけるのが良いだろう。
しかし、私にはそう器用にはできそうにない。
だからといって自分はだめな人間だと失望の烙印を押すのではなく、他人に期待できる人間じゃないとわかっているのだから、面倒なことを考えず自分本意に生きられる準備をしていこうというのが、今回の件で再確認できた自分の立ち位置だった。
もちろん、その分自分にのしかかる責任と向き合う覚悟は必要である。
それさえできていればいいとも捉えることができる。

期待をする相手は自分だけで良い。
肩肘張らずに多少傲慢だと思いながらも、自分の生きやすい解釈をすれば良いのである。
私はこれからも他人に期待をせず、自分に期待をして、その期待に背くことのない準備をしていく生き方をしていくつもりだ。


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