見出し画像

人間愛のシンフォニーを奏でるならば、強さ弱さは優劣ではない(2023年11月1日(水)四国学院大学チャペルアワー)


<はじめに>

この記事は2023年11月1日@四国学院大学チャペルアワーの奨励原稿です。
牧師になってから、大学チャペルアワーのおはなしは初めてでした。チャペルアワーの前後には、学生さんと少しおはなしも出来たのですが、どうもこのタイトルを見て楽しみにしていただいていた方もおられたようです。ありがとうございました。


<聖書・礼拝で歌った賛美歌>

コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章9〜10節

542「主が受け入れてくださるから」

(※)聖書本文は、たとえば日本聖書協会HPなどから見ることができます。
「書名・章・節から探す」のところで書名と章まで入力し、節入力を省略すれば、章全体を参照できます。


<説教本文>

迷いでた一匹、こぼれ落ちた種。できない…みんなと同じに、言われちゃう「ダメ」だって。強く・明るく・元気に…、ずっと聞いてきたっけ。でもそうはできないはぐれものの耳に、神の声は聞こえてきたんだって。


波風立てない、いい子でいられるって、それだけで結構な特権なんです。多数者の側にいるから、現状にあまり不満を感じないでいられる。

気にしすぎだよ、なんて言われちゃう。なんかおかしいぞと思っていても、実際に声を出すと、「わざわざ言わんでも」とか「逆に面倒だろ」とか、そういう言葉が来ることだってある。今いる場所が社会の隅っこであっても、そこで波風立てずに…。それがむしろこの社会で「強く・明るく・元気に」生きることかのように教えられてきたんじゃないでしょうか。小学校とかでもそうな気がします。自分の思いを出さずみんなと同じようにできるのが、強さで。もちろん意見を言うのは良い…、ただしかき乱すような、教師の想定を超えるものはダメ。中学校や高校でもおかしな校則というのが話題になりますが、例えば式典のときの姿勢も指定される。それも男性はこう、女性はこう…とか。でも「失礼じゃない姿勢」というのは幾つもある。権力者はたとえ理不尽なことでも、理不尽と思わさないように教え込もうとします。差別を保持するための、科学的・合理的と銘打たれた言説というのはいくらでも見つけ出せます。その教えを飲み込める素直さというのが強さと見られるわけです。

 

我慢できる強さ、我慢してても隠せる明るさ・元気。そういったものが重宝される世界は、ずっと続いてきました。「スルースキル」が強さと目されているということです。瞬間的には、そのようにして生き残ることが必要に迫られるときもあり、そういうテクニックと言う意味の強さではあるかもしれません。しかし、それは今権力を持っている人にとっての都合良さという意味での強さでもあるのです。
 


もしかしたら、宗教改革者ルター、10月31日、ヴィッテンベルク城教会の扉に幾つかの疑問を記した紙を貼ったというマルティン・ルターも、「気にしすぎ」とか「面倒起こすなよ」などと思われていたのかもしれません。悩みの多い人生を過ごしてきた彼。彼は修道士で、罪の告白をするという行為を大切にしていたわけですが、例えばある本で見たところで言うと、時に、言うべき罪を言い漏らしたという罪を重ねてしまったのではないかという疑心に襲われ、また罪の告白室へ戻るなどということもあったそうです。どうも鬱病のようだったのではないか、という話も聞きます。


「スルーできない」そういう面倒くさいヤツだったのかもしれません。
学術の面でのルターは、30代前半には、ここにいるN・J教授のように、大学で講義を担当するようになっていたので、それはもう優秀だったのでしょう。でも、「スルーできない」というのは、権力者都合から言うと、とにかく面倒で、たぶん「強さ」ではないのです。そしてこれは、おそらく彼の「悩み多い」という「弱さ」な部分から来るものです。


「スルースキルなし」という「弱さ」によって宗教改革が起こった。もちろん、当時の教会のやりかたをおかしいと思う人はたくさんいたように思います。贖宥状(免罪符)大量販売の動機は、壮麗な教会堂(現在のサン・ピエトロ大聖堂)を建てようという美術好きの教皇と、司教という権力を金で買おうとした人の利害一致からくるものであって。ドイツ各地の民衆の富が、イタリアの貴族出身教皇のために集められてしまうという搾取的様相になっていました。おかしいと思う人はいたでしょう。

実際、ルターの庇護者として知られるフリードリヒ王は自領での贖宥状販売を禁止していました。そのように、自分の権力の範囲でクレバーに立ち回る人はもっといたかもしれません。
 


しかし、権力者というものは、おかしいと思ったとしてもスルーしてもらえれば、まぁいいやという感じなのでしょう。「国民はじき忘れる」というような政府で重い役割を担っている人の話が出てきてふざけんなと思ったことがありますが、思うだけだったら、まぁいいやなんでしょう。

スルーできない。見過ごせない。そういう面倒くささに直結し、場合によっては社会不適合者とのレッテルを貼られるかもしれないくらいの、そういう「弱さ」、「我慢しておけばその場はしのげるのに言い出しちゃう弱さ」がきっかけになって宗教改革が起こっていったと、言ってみたいです。

逆に、我慢できちゃう「強さ」は、権力者都合の、いま傷めつけられている人がいる世界をキープするのに貢献してしまうと言うこともできるのです。
 


いやいや、そうは言ってもさ、言い出すのはさすがに勇気が足らないよ、そういう方が多いと思います。大丈夫です。今傷めつけられている人々からあげられた声を塞いでしまわないように。それでいいのです。それが始まりです。ルター一人で宗教改革がなされなかったというのもまた本当のことです。当時の教会のやり方をおかしいと思っていたけれど、具体的に声をあげるという意味ではスルーしていた人たちと、ルターの声が混ざり合って宗教改革となったのです。
 


そう、それは例えば、1950年代のアメリカで、もうひとりのルター(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)を立ち上がらせた出来事とも重ね合わされます。

1955年8月に、ある食料品ストアを訪れたことから、言いがかりをつけられ、数日後、拉致されリンチされ、殺害された当時14歳エメット・ティルという少年がいます。当時そのような事件は時に起こってしまっていたそうですが、そこで押し黙ることをしなかった母親のメイミーと彼女の協力者たち。そう、黙らなかった母が世界を変えたのです。そして、エメットの裁判の報告会に参加し、その数日後、エメットを思い、バスで立たなかったローザ・パークス。そしてバス・ボイコット運動へ。

こちらのマーティン・ルーサー(マルティン・ルター)は、最初どちらかというと、ですが、おかしいとの思いを持ちながらもスルーしていた人だったと言ってもいいのかもしれません。運動の始まりの時、教会堂を使ってもいいけれど、その教会に赴任したばかりなので自分が先頭に立つような働きができるかはわからないという打ち合わせをしていた…と書かれている本を見たことがあります。
 


スルーできなかったメイミーが、ローザが。彼女たちが怒りを持ちながらもスルーしていた人と合流し、正義の大河のようになり、「どのひとも共に兄弟としてテーブルにつくという夢を語る兄弟愛のシンフォニー」を奏でるのです。

実際にはローザ逮捕と似た事件が少し前にあって、それはスルーしてしまったという話も聞いたことがあります。それ自体は、逮捕された人の「素行」による判断ということのようで、悲しい思いで聞くのですが、「弱さ」「強さ」が混ざり合ってこそ歌となるということを物語ってはいるでしょう。

音楽において、強さ弱さは表現方法であり、優劣ではないのです。そして、同時に響かせる和音についても、どっしりと支えるベース音や、基本的な響きをもたらす音については比較的強く弾き、それらにぶつかる音だけど豊かな響きをもたらす音は少し弱く弾くと、全体として豊かな音の広がりになります。表現方法も、音色もいろいろあるからこそいいんです。

スルーできないを始めとした、権力者都合で言う「弱さ」、迷いでた群れの一匹、こぼれ落ちた種のような人が加わって、まことに美しい響きを奏でる人類愛のシンフォニーとなる。それはつくられたものは全て美しいという神の原初の祝福、神のはじめからの法則、まことの正義なのです。この神の法則に信頼して、進み出よう。
 


そう、この正義への信頼によって、私たちはそれぞれのところへ帰っていこう。そう語ったキングJr.のあのスピーチから60年も経ってこのとき、この言葉がまだ語られなくてはならないということは、決して喜ばしいものではないが、しかし、この信頼によって、私たちは自らの弱さを祝福しつつ、再び立ち上がることもできるでしょう。この信頼によって、絶望の山から希望の石を切り出すことができるでしょう。

この正義への信頼によって、小さくされた人々の弱々しい叫びである不協和音を、人類愛の美しいシンフォニーであると聞いていくこともできるでしょう。そのシンフォニーのバックには自由の鐘が鳴り響いていることでしょう。山という山、世界の隅々から、自由の鐘を鳴り響かせるのです。そのとき、私たちはどこに立っていても神の国の中心にいると感じることができるでしょう。異教徒がそのままで、子どもがそのままで、女性たちや性的少数者たちがそのままで、貧しい人びとがそのままで、肌の黒い人がそのままで、もちろん男性も権力性を脱ぎ、本来の自分を回復するという意味でそのままで、神の国の中心に立つのです。そう、人間愛のシンフォニーを奏でるならば、強さ弱さは優劣ではない!

皆が本来の自分を回復して神の前に立つというその時、私たちは共に見るでしょう、虹色に輝く神の栄光を、すなわち地上に実現する公正を、共に救われる世界を!そこでは、仏教徒も、ムスリムも、ヒンドゥーも、アミニズムも。ユダヤ教徒も、無神論者も、キリスト教リベラルも、福音派も。やまと系も、移民者も、うちなんちゅも、アイヌも。クィアも、ヘテロも、地方も都市も、互いに手を取り合って祝福を贈り合う世界の訪れを見るのです。

そこで私たちは共にあの歌を歌うことができるでしょう。懐かしい天のふるさとの自由を、つまりあの古くからの何度も繰り返し聞いてきた歌を、共に歌うことができるでしょう。その歌には、こうあります…、
「ついに自由だ!ついに自由だ!全能の神に感謝しよう。ついに私たちは自由になったのだ!」 


<参考資料>

M.L.キングJr.「わたしには夢がある」
ティモシー・B・タイソン著、廣瀬典生訳『エメット・ティルの血』
梶原寿『マーティン・ルーサー・キング(ひかりをかかげて)』


<アフタートーク的な>

礼拝の後、タイトルの期待に応えられたか少し心配でしたが、その学生さんからは「見受けた通り、よかった」という趣旨の感想をもらうことができ、一安心でした。

響きの素晴らしい礼拝堂でした(サムネイル画像)。学食ではカツカレーをいただきました。四国学院大学の皆さま、ご一緒いただきまして、ありがとうございました!また行きたいです!!

いいなと思ったら応援しよう!