イタチ
両親の都合で東北の山奥に引越して数年、どこにいても山の緑が視界に入る生活にもすっかり慣れた頃のこと。
私は小学二年生だった。
当時、クラスの中で休みの日に「お泊まり会」をするのが流行っていて、私はYちゃんと二人で仲の良かったMちゃんの家に泊まりに行くことになった。
Mちゃんの家は山間の小さな集落にあった。子供が自力で行き来できる距離ではなかったため、Mちゃんの家に行くのは初めてだった。
夏休み中の出来事だったと記憶している。
午前中、母に送られてMちゃんの家に着き、先に来ていたYちゃんと三人で、Mちゃんの家を案内してもらったり、持っているおもちゃを見せてもらったりして過ごした。
Mちゃんのお母さんが作ってくれた昼食をごちそうになってから、午後は公園に遊びに行くことになった。
とても暑い日だった。晴れ渡った空の下、山々の濃い緑がくっきりと浮かび上がっていた。
公園を目指して山道を無理やり舗装したような道を歩いていると、道路と畑の間に座ってじっと何かを見つめているおじさんがいることに気がついた。不思議に思っておじさんの視線の先をたどると、木の杭のようなものに吊るされている小動物が目に入った。
その動物を見た途端、私は足が竦んで動けなくなってしまった。猫のような小さな狐のような可愛らしいその動物は、前足を針金のようなもので縛りあげられて宙吊りのままぐったりしていた。よく見るとところどころ毛皮をむしられたような痕がある。
私はその場に凍りついたように突っ立ったまま、座っているおじさんに視線を移した。そして、彼が右手に鞭のような丈の短い棒を握っていることに気がついた。
あれで叩いたんだ―――
怒りのあまり目の前が真っ赤になって、気がつくと泣きながら叫んでいた。
なんでそんなことするんですか
放してあげてください
おじさんは変なものを見るような目つきで私を見ると
あっち行け
と怒鳴った。
怖いやら悔しいやらでさらに頭の中が混乱した私は、同じことを何度も叫んだ。
おじさんは黙って私を睨みつける。私も泣きながら睨み返す。
日差しが容赦なく降り注ぎ、全身から汗が噴出した。感情の爆発で頭がぐらぐらして、時が止まっているような感覚を覚えた。
膠着状態の睨み合いが続く中、私がいないことに気がついたMちゃんとYちゃんが戻ってきた。
二人は泣いている私に驚き、どうしたの?なんで泣いてるの?と交互に聞いてくる。怒りのあまり口が利けない私は、無言で吊るされている小動物を指差した。
すると二人は、それがどうしたの?という表情で私を見つめる。私はもう何が何だかわからなくなって、ぼろぼろ泣いたまま更におじさんを睨みつけ、
放してあげてください
と繰り返した。
そこでようやく、私が泣いているのはおじさんが小動物を吊るしているからだと理解した友人二人は、大丈夫だよ、しょうがないよ、と私を説得し始めたが、私は泣きながらおじさんを睨み続けた。
まったく動く気配のない私に、友人二人が次第に呆れモードになり、イライラしはじめたのを感じたが、怒り心頭の私は一歩も動かなかった。
ずっと私に睨まれているおじさんは流石に居心地が悪くなったのか、私たちに向かって
こいつらは畑を荒らすんじゃ
みせしめじゃ
と言い捨てると家の中に入っていってしまった。
おじさんの姿が消えても怒りは収まらず、それどころか膨らむ一方だった。
この土地はもともと山だったはずなのに。
そこに勝手にやってきたのは人間の方で、
勝手に家を建てて畑を作っているだけなのに、
もともと住んでいた動物を縛って吊るして、殴るなんて。
というようなことをごちゃごちゃと考えている間も、私は突っ立ったまま涙を流していた。
いつまでも動かない私をYちゃんがうんざりした顔で見ていた。怒りの感情の仕舞い方も、友人の軽蔑の視線の取り去り方もわからなくてやっぱり動けない私のところに、Mちゃんが彼女のお母さんを連れて走ってきた。
Mちゃんから状況を聞いていたのだろう、お母さんは泣いている私を慰め、背中をさすってくれた。
そしてそのまま、みんなでMちゃんの家に帰った。
小動物は最後まで吊るされたままだった。
おじさんがいなくなった時、すぐにその動物のところに走り寄って助けなかったのは、怖かったからだ。死にかけた(すでに死んでいるかもしれない)小さな動物に触るのが怖かった。おじさんに対する怒りとは裏腹に、私はあの小さな生き物を見捨てた。触れるどころか近寄ることさえできなかった。
***********
今でも時々、思い出しては考え込んでしまう。
大人になった今は、あのおじさんの生活や価値観も想像できるようになった。彼らはあの山間の町で、代々そうやって生きてきたのだろうと思う。
町で生まれ育ったYちゃんとMちゃんが無反応だったのは、つまりそういうことなんだと想像する。
日常風景として当たり前のことだったんだろう。
彼らにとって、動物は生命として尊重する存在ではなく、ましてや可愛がり守る対象ではなかった。
そう解釈している。
しかし外から来た私にはその感覚がなく、突然むき出しの暴力を突きつけられて衝撃を受け、感情の処理が制御不能になった。
初めて実際に見た暴力というものへのショックもさることながら、目の前で拷問されている動物を見殺しにした苦い記憶として、今も脳裏に刻み込まれている。