普通という言葉が好きだ【日記】
爪切りを失くした。
部屋の中で物を失くす、ということが、理解できない。
どこかで落として紛失した、ということなら分かる。
しかし部屋の中で物を失くすというのは一体どういうことなのか。
探せばあるはずなのである。絶対に。固形物が消えてなくなるわけがないのだから。
しかし爪切りは見つからない。
探しても探しても見つからない。
仕方がないので新しいものを購入した。
爪を切るのは苦手だ。
普通、という言葉が好きだ。
好きというよりは、憧れに近い気持ちかもしれない。
私は普通になりたいのである。
普通でありたいし、普通に見られたい。
会話の中で「普通、こうだと思わない?」などと言われるとたいへん嬉しい気持ちになる。
相手にとって私が「普通の人」、もしくは「普通を理解している人」という前提がなければ出てこない言葉だからだ。
たいへん嬉しい気持ちになりながら、その嬉しさが滲まないように努力して返答する。普通という言葉を聞くたびに嬉しそうになることは、おそらく普通の範疇にない。
母親から、毎日生存確認のLINEがくる。
無事?
というものである。
無事でなかった前科があるので致し方ない。
無事!
と返す。
それを起点にやり取りが続く。
両親については、母親を友人だと思うことでずいぶん気持ちが楽になった。
私のことをよく知っている、わりと趣味の合う年上の友人。父はその友人の夫である。
友人夫妻だと思えば、非常に友好的な態度を保つことができる。
良き発見をしたと思う。
しかしこの態度は、私自身が健康な精神状態を保っている時にしか発揮されない。
とても残念だけれど、自分のメンタルが弱っているときには距離を置きたいタイプの友人なのだ。
かといって彼女からの連絡を無視することはできない。
音信不通になったら倒れたと思われて、非常に面倒なことになる。
通知を見逃さないように注意しながら、無事! と可愛いスタンプでやり過ごす他ない。
平均は手の届かない遥か彼方だ。分かっている。
だからして、せめて平凡に見える人でありたい。普通に見える人になりたい。
見えないところにはびっしり切り傷があっても、服を着ていれば無傷の普通の人だ。
私を知っている人、実際に関わっている人の前では、普通でいたい。
そういう人たちの前では、平凡で無害な、良心的な人でいたい。
しかし。
そう思うのは、私と関りのある人に対してだけだ。
道ですれ違うだけの人には、どう思われても構わない。
なんにも気にしないで歩く私は、普通の範疇にない。
なんにも気にしないで歩けるから、私は都会の雑踏が好きだ。