ペットボトルロケット/キナリ杯応募作品
両親の都合で東北の山奥の町に引っ越してしばらく経った、私が6歳か7歳の頃のこと。
高校の教員だった父が、夏休みに子供向けの科学の実験教室を開くことになり、私も友達のSと一緒に参加することになった。
ペットボトルでロケットを作るという内容で、2ℓサイズのペットボトルを持って行けば誰でも参加できるということだった。
父は、一言で言えば「無口な厳しい人」。身体も声も大きく、威圧感が強い。私が小さい頃は特に躾に厳しく、些細なことで叱られる度に心身ともに凍りつく思いをした。怒鳴られるのが怖くて迂闊に話しかけられず、父に話しかけられると緊張で言葉が出てこなくなったことをよく覚えている。
幼い私は、怯えながら、父に愛されたい、良い子だと思われたい、と常に考えていた。
その父が、自分の実験教室に呼んでくれた。私は嬉しくて、お知らせのプリントを何度も読み返した。
しかし、ここで一つ心配なことがあった。参加者は、ペットボトルを持参する必要があるのだ。
当時、私の母は自然食品へのこだわりに取り憑かれていた。白米、白砂糖、合成甘味料、着色料、化学調味料、添加物の類は一切禁止というかなり極端な食卓事情だったため、我が家にはペットボトルがなかった。
私は散々読んで皺くちゃになったプリントを母に見せ、ペットボトルが欲しいと頼んだが、母の返事は曖昧なものだった。普段、ペットボトルの飲み物が欲しいなどと言ったら鬼の形相になる母が怒り出さないか不安で、私はプリントを持ったまま母の周りをうろうろと歩きまわった。
その翌日、母は2ℓのお茶を買ってきて中身を捨て、空にした四角いペットボトルを私にくれた。怒らずに用意してくれた母に心底ほっとして、実験教室への心配も無くなってとても嬉しかった。
そして当日。
うきうきしながら四角いペットボトルをリュックに詰めて、私はSと一緒に父の勤める高校へ向かった。
小さな町で娯楽がほとんど無かったからか、科学実験教室は盛況だった。集まった小学生で賑やかな理科室で、私は期待と興奮でドキドキしていた。
教えるのは私のお父さんなんだぞ、お父さんはすごいんだぞ、と、誇らしいような、くすぐったいような気持ちが胸いっぱいに膨らんでいた。
始めに手順を説明する為に、父が教壇に立った。白衣を着た父はいつもと違いニコニコして優しく、慣れた様子で黒板に図を書いて説明しながら、冗談を言ったりもした。私は父の説明を夢中で聞いているSやみんなの顔を盗み見て、ますます嬉しくなった。
いよいよロケット作りが始まった。
私はSと同じテーブルでペットボトルを加工しはじめた。Sが持ってきたペットボトルは炭酸飲料が入っていたもので、丸くて柔らかかった。
私の四角いペットボトルは固く、カッターを差し込むのに随分苦労した。
各テーブルを回って教えていた父が、私たちのところへやって来た。私ははりきって、父によく見えるように自分のペットボトルを差し出した。
私とSのペットボトルを見比べた父は、こっちの方がいいな、と、Sのペットボトルを指差した。
私はやっとの思いで底を切り取った四角いペットボトルを握ったまま硬直した。高揚していた気持ちがみるみる萎んで、潰れてぺちゃんこになった。
父の一言で、私はSが余分に持っていたペットボトルをわけてもらい、最初から作り直すことになった。作りかけの四角いペットボトルは、中途半端な形のまま捨てられた。
ロケットが完成し、各々自分のロケットを持って校庭に移動した。一列に並べられたロケットが打ち上げられ、歓声が上がる。
それぞれに勢いよく発射したロケットは、校庭の端まで飛んでいくものもあれば、左右に逸れたり、真上に飛んでポトリと落ちるものもあった。自分のロケットを追いかけて走り出す子、飛び上がって喜んでいる子。
みんなが楽しそうに見えた。
私のロケットは全然飛ばなかった。
丸くて柔らかいペットボトルを使っても、私が作ったロケットは飛ばないんだなぁと考えて、悲しかった。
自分はきっと、あの四角いペットボトルのようなものなんだ、と、思ったら鼻の奥がツンとしてきて、慌てて顔を上げた。
打ち上げはもう終わっていて、ロケットを抱えてはしゃいでいるみんなの顔がぼやけて見えた。
立ち尽くしたまま見上げた何も無い青空を、
私はきっと一生忘れない。