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そこは投げっぱなしかよ

北方謙三さんの「三国志」とか「水滸伝」が好きで全編読んだりしたのだけれど、その中でも好きなシーンが食事のシーンだった。
なんであの飯をつくるシーンが好きだったのかというと、多分、いわゆる繊細な料理ではなくて、雑な男の料理だったからだと思う。
雑な感じというのは悪いイメージがあるけれど、実はそうではなくて重要なポイントを押さえておけばいいのだというスタイルなのだ。
煮込みの内臓なんかをぶつ切りにしたりするのだけれど、その前の処理で少しだけ丁寧な仕事が入っている。

雑な感じの方がかえって魅力的というのは面白いことだと思う。
昔、ヘタウマなんていう漫画ジャンルがあったけれどあれも近い。
丁寧な仕事、時間をじっくりかけた仕事が素晴らしいのは当たり前で。
そうじゃなくて、雑なのに魅力的に仕上げるという能力は特別なものなんじゃないかなぁと思う。
ただ雑なものもあるから、魅力的なものは何かを抑えているということなんだろう。
レタスを手でバリバリちぎっちゃうようなワイルドな感じって美味そうだけれど、実はちぎったあとにパリパリ感を維持するような冷水とかでさっと洗ったりを必ずしているんだよなぁ的なイメージ。

僕はエレキギターのソロとかで難しそうなのを聞くよりも、白玉一発ジャーンみたいなのがよっぽど気持ちいいよなぁっていう人だからかもしれない。
絶対的なここっていうタイミングがあって、繊細さを上回るパワーがあるよなぁって思う。
まぁ、繊細な感じが嫌いなわけでも何でもないんだけれど。
好みで言えば雑な感じで凄い方が好みって言うだけで。
懐石料理なんかよりも漁師飯の方が美味そうだなぁって思うタイプ。

雑なだけのものと、雑なのが魅力的なもの。
この二つには天と地ほどの差がある。
なぜその魅力が生まれるのかはとても重要なことのように思える。
ただ肉を焼くのでも、美味いのとそうじゃないのが生まれたりする。

おい、テキトーだな!みたいな面白さ。
投げっぱなしから生まれる偶然の要素。
なんだろう、すべてを計算しつくしたものよりも、計算できない部分を取り込んでしまったもののほうが懐が深いんじゃないだろうか。
いつも飯は美味いけど、今日のは格別だなみたいなことがあるような。

雑な面白さ、雑な魅力。
あれは結局、面白い!と楽しめる感覚から生まれるのだろう。
あ、このテキトーさは面白いぞ!って感じたらそのままにする。
計算ではとても出来ないような面白みが加算されていく。
ツボを押さえるっていうのはそういうことなんだろう。

頭でっかちだから、何から何まで計算したくなりそうだけど。
ここは冒険だなと雑に投げ出せる。
そうありたいなぁと思う。
ここさえ外さなければその場で。
そういうのが実力と思われない要素であることは間違いないけれど。
それって偶然じゃん?みたいな。
別にどう思われようが、良いほうがいいもん。
投げだすっていうのは違くて、自然に任せるに近い。
自然には幾何学的なものやそれこそフラクタルデザインだったりがあふれているのだから。

でも問題があるとすれば。
雑にするっていうのはなかなか真剣に取り組めることじゃないってことだ。

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小野寺隆一
投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。