見出し画像

大事な大事な触れたもの

特別先行上映のケイズシネマの一週間ですごく新鮮な刺激的なことがあってそれはここに記しておきたいなぁと思う。
それほど大きな人数ではないのだけれど、この期間に十代、二十代のお客様も足を運んでくださって、その感想や反応が僕にとっては大事な大事なものになったことだ。

僕はこの作品には違和感のようなものがずっと流れていると思っている。
それは時代の不条理を丁寧に描いているからだ。
現代を生きている視点からみればその違和感は大きなものだ。
僕たちはこの時代の日常を組み立てることでリアリティを構築していく稽古を重ねていった。

お客様がその違和感や不条理をどのように受け入れるのかは自由だ。
それに正解なんてないし、不正解もない。
それを特別規定もしていないし自由に観てくれて良い。
そして多分どういう視点だとしても、物語は同じ場所に辿り着く。
それでも持つ感想は変わるかもしれないけれど方向性が変わることもない。

ただたまたま耳にした感想だけかもしれないのだけれど。
それぐらい数自体は少なかったから。
それにしても共通したものを僕は感じた。
十代、二十代の感想は時代の不条理を一切引き受けていないものだった。
この時代だからまぁこういう感じだよなと感情移入出来てしまうお客様も何人もいたのだけれど、若い感性はそれを明らかに前提として拒絶したのだと思う。
なんであんなことを言うの?なんでそんなことをするの?
実にシンプルに違和感を違和感として感じていた。

若い感性というのはピュアで繊細でストレートで鋭敏だ。
それは時に残酷なまでに作品そのものの本質を見抜いてしまう。
僕たちは、大人にしかわからないなんて言葉で濁してそんな言葉たちをどこかで軽く扱うことしか出来ない。
大人にしかわからないものがあるのは間違いないけれど、大人よりも鋭敏に本質的なものをみつける能力を持っていることを忘れてはいけない。
だって大人は誰だってその時代をくぐりぬけてきて知っているのだから。
例えば、かっこいいとか、悲しいとか、物語がわからなくても感じてしまう時代を大人たちはくぐりぬけてきているはずなのだから。

それこそテレビのニュースをみて「なんで戦争なんかするの?」「なんで人を殺す人がいるの?」なんて本質的なことをずばりと聞くことが出来るのが若い感性の特権だ。大人になるとその疑問が経験則で出てこなくなる。
わかっていないのにいつの間にか分かった気になってしまっている自分にそんな言葉で気付いてしまう。浅瀬を知るという奴だろうか。
僕たちは生きていくために違和感を記号化して生活の中にいつの間にか引き受けてしまっている。

もちろんどちらが正しいのかということではない。
ただただ僕はその時代の不条理を引き受けない鑑賞後の言葉に感動したということだ。
シンプルで力強い言葉だと感じた。
ネタバレになるからこの程度しか書けないのがもどかしいけれど。
僕にとっては重要なこととして記憶された。

こんなことを書くと誤解されるかもしれないけれどさ。
僕はどんな表現も十代、二十代に響かなければ駄目な表現だと思っている。
そりゃ全員に響くわけじゃないし、若さなんて大きな主語ではいけないと思うのだけれど、別に全員じゃなくてもいいから、若い感性に響く何かがそこにあるのかないのかは大きなことだぜって思っている。
それは自分がハイティーンの頃に触れたもので、今、思えば深く理解は出来ていなかったとしても、かっこいいとか、なんかすげぇとか、感じたものが今の僕を構成していると実感しているからだ。
あの頃、だっせぇなあって感じたものは、僕の中になんにも残っていない。
大人になってから良さが分かったものだってそりゃああるのだけれど、そういう枯れた表現を肯定できるほど僕はまだまだ人間が出来ていない。
寺や神社だって、なんかかっこいいなぁって思った神社は今みてもかっこいいし、今は神社仏閣は美しいなぁなんて思うけれどそれにしたって今になってわかるような良さが表現の本質とは思えない。

若い感性が映画『演者』に触れた。
「あの、面白かったです!」と声をかけてくれた十代の女の子がいた。
帰ろうとして立ち止まって振り向きざまだった。
思い切って言ってみたという感じだった。
「あ、ありがとう。」
そう僕は言いながら、全身を稲妻が走っていた。
気を使ってくれたのかなと一瞬思ったけれど、それは勇気を出して言葉を投げてくれたことに対して失礼だぞと思い直して素直に受け入れようと思った。
わざわざ、言葉に出して伝えてくれたこと。
言葉で感動したとかの前に、体が痺れて反応していた。

映画に出演した西本早輝ちゃんの舞台挨拶の言葉もそうだった。
初めて作品を観て、鮮烈な言葉を残してくれた。
大人が受け入れてしまう当時の常識のようなものを、繊細に掬い上げていた。

僕はたぶんそれを忘れないだろう。
いつまでたっても忘れることはないと思う。
落ちついた大人たちの感想とは別のものとして記憶される。
もしかしたら風景まで含めて、映像で記憶されるかもしれない。

何かを伝えようとしてくれた。
たったそれだけの僕の体験だ。
たったそれだけだけれど。
たったそれだけなわけがない。

映画『演者』

企画 監督 脚本 小野寺隆一
音楽 吉田トオル

「ほんとう」はどちらなんですか?

【限定3回上映】
2023年4月15日(土)18日(火)21日(金)
各回10時から上映
名古屋シネマテーク(愛知・名古屋今池)
初日舞台挨拶あり 登壇:小野寺隆一

【限定2回上映】
2023年4月15日(土)、16日(日)
各回夕方上映
シアターセブン(大阪・十三)
予約開始:4月8日9時より
2日間舞台挨拶あり 登壇:小野寺隆一

◆終映◆
2023年3月25日(土)~31日(金)
K'sシネマ (東京・新宿)

出演
藤井菜魚子/河原幸子/広田あきほ
中野圭/織田稚成/金子透
安藤聖/樋口真衣
大多和麦/西本早輝/小野寺隆一

撮影 橋本篤志 照明 鈴木馨悟 録音 高島良太
題字 豊田利晃 絵画 宮大也
スチール 砂田耕希 制作応援 素材提供 佐久間孝
製作・宣伝・配給 うずめき

【あらすじ】
昭和20年春、終戦直前のとある村。嶋田家に嫁いだ3人の女たち。
血の繋がらない義理の三姉妹は男たちが戦時不在の家を守り続けている。

家長であるはずの長男の嫁、智恵は気を病んでいた。
三男の嫁、恵美は義姉を気遣う日々を送っている。
次男の嫁、陽子は智恵がおかしくなったふりをしているのではと疑っていた。

やがて魔物が再び女たちの前に現れる。
世界は反転して、演技は見抜かれる。

いいなと思ったら応援しよう!

小野寺隆一
投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。