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心の在処

心はどこにあるのかという昔からの質問がある。
最近は頭が一番らしいけれど。
昔はやっぱり心臓だったのかな。
実際に胸がドキドキしたりするからそっちの方が実感があるのだろう。

でも答えは明確で全身だ。
ストレスで胃炎になる人だっているし、腸内環境を整えてポジティブになる人もいる。猫だってストレスがたまると毛並みが悪くなるように、人間もストレスで皮膚が荒れたり、髪の毛がガサガサになる。
映画を観に行って感動する時は全身が泡立つような鳥肌が立つ。
どう考えても心は全身にあるのだと実感する。
脳はそれを処理して記録するだけだ。
胸は脈拍というリズムの変化がわかりやすいだけだ。

でも多分、心のありかの質問に全身という選択肢はない。
それを言っちゃだめでしょな答えになる。
どこか?って聞いているんだから、全部は駄目でしょ?ってことだ。
空気を読みなさいよ的な感じさえある。
まぁ、そりゃそうかと納得しつつ、頭か胸か肚か他のどこかかなんて考えたり。
質問には目的があり、解答には範囲が設定されている。
それでいいのだ。それでいいのか。

たぶん、でも僕はこの質問にちょっと考えてしまうだろう。
空気が読めない人間になってしまいそうだ。
だって僕はその心についてずっとずっと考えてきたのだから。
役者として演じるとき、人の芝居を観るとき、誰かの芝居を受けるとき。
当然、技術的な部分が重要なのだけれど、そこで心についても向き合わないとどうにもならない場所にいたのだから。

芝居はさ、そう見えりゃいいんだよ。
例えば泣いてなくても泣いているように見えればいい。感じればいい。
逆を言えば、泣いていても悲しそうに見えなかったら駄目なんだから。
涙は流れている芝居だけれど、なんか全然何も感じないこととかはよくあることで。
大事なことはそう見えるかどうかなのは間違いない。それが表現。
心が動いていようが、役者が感じていようが、伝えられなくては意味がない。
だからそれはすごく技術的な側面の方が強いのだと思う。
それこそ伝統芸能なんかは型で感情表現をするわけでさ。
ところがその圧倒的に技術的なはずの肉体からそう見えるだけじゃない何かがにじみ出てくることがある。
ただそこに立っているだけでも痛いほど心に響くことがある。

それを今日まで色々な演劇人たちが言語化している。
世阿弥は華と呼んだし、僕に芝居を教えてくれた人はエロスと呼んでいた。特権的肉体論という演技論で唐十郎は説明しようとしたし、魂だとか、ソウルだとか、色々な言葉がある。金子さんは「匂い」って言ってる。
それに向かい合うということを先人たちもずっとやってきたということだ。
心はどこにあるんだろう?
その質問に肉体表現で答え続けてきた。
稽古場で誰かの芝居を観るとき、ああ、なんか出ているぞとセンサーが動く。セリフあわせてるだけだなとか、段取り確認だなとか、反復だなってときはセンサーが黙ったままだ。
目には見えないはずなのに、やっぱり伝わってくる。
僕が涙が止まらなくなった観劇体験はすべてその何かをぶちこまれた体験ばかりだ。

狂言の先生に教わった時に驚いたんだよ。
あんなに型の世界なのに最初に教わったのは臍下丹田だった。
正座してさ、へその下の丹田と呼ばれる場所に精神を集中させると熱を持ってくるのがわかるなんて言うんだよ。その熱をゆっくり肉体の中心に沿って横隔膜まで移動させてから発声する。
まるでヨガのような、座禅のような、修行のような考え方。
でも多分それは1000年以上の歴史があるわけです。
長い経験と歴史に裏打ちされた技術の一つだったりするわけです。
肉体のエネルギーを外に発するみたいなことをやっているのかと僕はすごく新鮮で驚いたのでした。
そして確かに声が違って聴こえたんだよなぁ。

そういうアレをさ。
感じる映画にしたかった。
心を感じる作品じゃないと意味がないと思った。
目の動きにも、指先の動きにも、心があればいいと思った。
そう見える芝居は反復稽古で創っておいて。
そこから先は、それがそこにあるかどうかだった。

それを感じることのできるお客様が絶対にいると信じてた。
わからないという人も想定していたけれど。
僕はそれを感じてくれた人がこんなにたくさんいたということにまだ全身が少し痺れいるような状態だ。

明けて今日は新月。
空に月はない。
けれどほんとうは見えないだけでそこに月がある。


映画『演者』
企画 監督 脚本 小野寺隆一
音楽 吉田トオル
題字 豊田利晃

「嘘ばかりの世界」だ
  「ほんとう」はどこにある

【次回上映館】
未定

出演
藤井菜魚子 河原幸子 広田あきほ
中野圭 織田稚成 金子透
安藤聖 樋口真衣
大多和麦 西本早輝 小野寺隆一

撮影 橋本篤志 照明 鈴木馨悟
録音 高島良太 絵画 宮大也
スチール 砂田耕希
制作応援 素材提供 佐久間孝
製作・宣伝・配給 うずめき

【あらすじ】
昭和20年春、終戦直前のとある村。嶋田家に嫁いだ3人の女たち。
血の繋がらない義理の三姉妹は男たちが戦時不在の家を守り続けている。

家長であるはずの長男の嫁、智恵は気を病んでいた。
三男の嫁、恵美は義姉を気遣う日々を送っている。
次男の嫁、陽子は智恵がおかしくなったふりをしているのではと疑っていた。

やがて魔物が再び女たちの前に現れる。
世界は反転して、演技は見抜かれる。

◆終映◆
・2023年11月18日(土)~24日(金)
ユーロスペース(東京・渋谷)

◆終映(特別限定先行上映)◆
・2023年4月15日(土)16日(日)※限定2日間
シアターセブン(大阪・十三)
・2023年4月15日(土)18日(火)21日(金)※限定3日間
名古屋シネマテーク(愛知・名古屋今池)
・2023年3月25日(土)~31日(金) ※限定1週間
K'sシネマ (東京・新宿)

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。